兵庫県立尼崎高等学校　演劇部　１９９９年度　上演作品

　『イーゼル（画架）を運びながら』

作　夏矢　沙直

　　【登場人物】

　　　　智　子（山下　智子　高校三年生　美術部部長　「トモ」）
　　　　真由実（川野　真由美　高校三年生　「マーミちゃん」）
　　　　康　江（大野　康江　高校三年生　「オーちゃん」）
　　　　澄　世（浜田　澄世　高校三年生　「スミヨ」）
　　　　由　花（保志　由花　高校二年生　「ユカちゃん」）
　　　　蒼　太（高原　蒼太　高校二年生　「ソータ君」）

　　　　一、新入部員　

　　　　夏休みの高校。美術室。美術部員が、秋の展覧会に向けて製作に励んでいる、
　　　　高校三年の康江と澄世。夏の全国高校野球の放送が流れている。暑い中、黙々と
　　　　描く二人。

康　江 　今度の展覧会、いつやったっけ。
澄　世 　………。（野球がいいところ）
康　江 　なあ。
澄　世 　……何。
康　江 　展覧会。いつやったっけ。
澄　世 　ああ。（野球が盛り上がる）やったー。ええなあ、高校野球は。な、オーちゃん。
康　江 　…………。
澄　世 　勝っても負けてもさわやかやし。
康　江 　………。
澄　世 　ええなあ。校歌が流れるやろ。みんなワーッて歌うやん。感動や。
康　江 　歌うときが感動なん。
澄　世 　違う、そうやなくて。あれ、そうかな。ちゃうわ。点取ったときかな。ちゃうな。
康　江 　そうやろ。野球って何が感動なんかわからへんけど何か感動やんか。
澄　世 　そうやな。
康　江 　そこんとこ、気になるねん。
澄　世 　なんで。
康　江 　同じ高校生やのに、下手でも感動してくれるねんで。うちら下手やったら誰も感動してくれへんやんか。
　　　　不公平やんか。
澄　世 　ははーん。それで世の不条理を怒ってるんやな。
康　江 　違う違う。怒ってへん。不思議に思っているだけや。それより、何かその感動をすーっと作品で表現でけへん
　　　　もんか考えてるだけやねん。
澄　世 　すーっとね。芸術は奥が深い。
康　江 　野球やって奥は深いねんで。いっしょやん。
澄　世 　ちゃうで。真剣やんか。
康　江 　うちらだって真剣や。
澄　世 　汗かいてるで。キラッと。
康　江 　うちだって、汗書いてるで。ドドッと。
澄　世 　暑いもんな。えーっと、練習がつらい。
康　江 　何ゆってんの。練習、楽なんか。デッサンとか。
澄　世 　ああ、つらいな、あれは。そうか一緒か。
康　江 　そうやろ。同じだけ苦労してるはずやのにかたっぽは感動の嵐で、もう方っぽは「ふーん」て皆に思われる。
　　　　何かもっと自然に感動させる方法はないかと。
澄　世 　自然ちゃうやろ。うちが思うにオーちゃんは楽したいだけなんやろ。楽はないで。
康　江 　楽したいだけなんかな。

　　　　とそこへ部長の智子が入ってくる。

智　子 　何が楽なん。
澄　世 　あ、トモ。補習終わったん。
智　子 　うん。終わった。（とカバンの中をごそごそ）
澄　世 　オーちゃんがね。楽して感動させる作品をつくれないもんかって悩んでるねん。
智　子 　楽して…か。
康　江 　ちゃうで。うちらがむしゃらに作品作ってるけど、もっと効率よく感動させる方法を忘れてるんじゃないかと。
智　子 　効率よくね。
澄　世 　何でもそうやんか。野球かて感動させる試合しようと思ったら並大抵の苦労と違うやんか。うちらじーっと
　　　　座ってあーでもない、こーでもないってウジウジ考えてるだけなんや。苦労の量が違うよね。
智　子 　あ、あった。

　　　　智子、書類を取り出す。近くの机に広げる。

康　江 　そんなん、やっぱり違うわ。うちの言いたいのは、単位苦労あたりの感動やん。
澄　世 　単位苦労ってオーちゃん、えらい細かいなあ。
康　江 　単位はカロリーになるのか知らんけど同じ数だけ苦労して、どれだけ感動させるか。
澄　世 　油絵一枚描いて八百キロカロリー消費したから、体脂肪率が一パーセント下がりました。
智　子 　なんか、ダイエットみたい。
康　江 　だったら、カロリーとちゃうわ。えーと、苦労やから「クーロウ」やね。
澄　世 　そうか。油絵一枚で二十クーロウしましたので……。あれ、感動にも単位いるで。
康　江 　そうやね。じゃ「カンドー」。
智　子 　安直。
康　江 　わかったわ。感動したら、じーんて来るから「ジーン」てのはどう。
澄　世 　いいね。でも、もっと強烈に「ガーン」の方が良くない。
智　子 　「クーロウ」も安直ちゃう。
澄　世 　そうやね。うーんてうなるから、「ウーン」。
康　江 　きちゃない感じ。
澄　世 　じゃあ、ひーひー苦しむから「ヒーヒー」。
康　江 　それ、やらしい。
澄　世 　だったら、「ヒーハー」。
智　子 　いっしょや。
康　江 　もう、安直やけど「クーロウ」でいいやんか。物理のクーロンみたいでかっこいいし。
澄　世 　そやね。決めた。
智　子 　では、さっそく使ってみましょう。（と康江の作品へ行って）現在のこの作品の苦労は。
康　江 　四十クーロウぐらいかなあ。
智　子 　じゃ、感動は。
澄　世 　三ガーン。
康　江 　なんでや。
智　子 　（今度は澄世の作品へ行って）これは。
澄　世 　四十一クーロウ。
康　江 　これのどこが、四十一なん。なんでうちのより…。
智　子 　（無視して）じゃ感動は。
康　江 　うーん、ゼロ……。
澄　世 　（押し退けて）十五ガーン。
康　江 　汚いわ。
智　子 　主観やから仕方無いやん。

　　　　とそこへ遅れて、現在唯一の二年生部員由花がやってくる。

由　花 　すみません。遅れました。こんにちは。
智　子 　こんにちは。どうしたん、補習。
由　花 　いいえ、補充なんです。体育の。
康　江 　ああ、水泳か。
由　花 　はい。
澄　世 　ちょっと待ってえや。うちもひっかかってんねん。
康　江 　今日は二年の日や。
澄　世 　ほんま。ああよかった。でも何で三年にもなって、水泳なんかとってしもたんやろ。無理に決まってるのに。
智　子 　スミヨ人魚になるってゆってたやん。
澄　世 　あれは、テニスと水泳が抱き合わせの選択やから、テニスをとりたいうちとしては仕方無くや。夏の一時だけや
　　　　と思ってたんよ。
康　江 　自業自得やね。
智　子 　そしたら、由花ちゃん。準備する。
由　花 　はい。描かせていただきます。（と準備に入る）
康　江 　由花ちゃんはいい子だねぇ。
澄　世 　ほんま。誰かさんみたいに、高校野球に文句ゆわへんし。
康　江 　文句ゆーてんのと違います。
澄　世 　ゆーてます。妬んでます。
智　子 　あ、そや。九月の展覧会の会場の図面もろてきてん。
康　江 　あ、そや。それ、いつやったっけ。
澄　世 　忘れたん。九月二十日からやん。
康　江 　そんな早かったっけ。
智　子 　ほら、めちゃ広いで。

　　　　三年は、机のまわりに集まる。

澄　世 　ほんま。広いな。
康　江 　ちょっと待って。この部屋、これにパネル立てるんとちゃう。
智　子 　そう。展示パネル使いほうだいなんやて。
康　江 　まずいんちゃうん。
智　子 　何が。
澄　世 　ほんまや。足りるん、作品。
智　子 　足りんかなあ。一人十作品やったら足りるはずやけど。
康　江 　じゅ、じゅうぅ。
澄　世 　ジュー（溶ける）
康　江 　三作品、ゆーてたやん。
澄　世 　聞いた、聞いた。
智　子 　なんで。六月の初めにゆーたやん。昨年は、部員が多かったので三作しか出せへんかったけど今年は出し
　　　　ほうだいで一人十作ぐらい出品できます。たくさん出品して自分のコーナーも作れます、て。
康　江 　しまった。最初のほうしか聞いていなかった。
澄　世 　ほんまに最初だけやな。
康　江 　なんやと。スミヨもやんか。
智　子 　まあまあ、その辺の写真から水彩たくさん描いたらええやん。
澄　世 　そんなんゆーたって、うちらこの三作品にかけてたんや。今年の美術部トップアーティスト賞をねらってたんや。
康　江 　ほんまや。これで、あと七作品お茶を濁したら薄まってトップアーティストとれへんやんか。
智　子 　全部がんばったらいいやん。
澄　世 　何ゆーてんねん。うちら三年やで。進路どーすんの。
由　花 　トップアーティスト賞って何ですか。
智　子 　ああ、由花ちゃん。今年からやったから知らへんねんね。オーちゃんゆーたり。
康　江 　我が兵庫県立尼崎高等学校美術部では、もう十年も前から部展を開催してるんやけど、最初しんどいゆうて
　　　　なかなか皆作品作らんかったんや。それでこんなことではあかんと、時の部長が。誰やったっけ。
智　子 　東山さん。
康　江 　そうそう。その東山部長がこの尼崎の人間は何でも勝負にするので、見に来たお客さんに投票してもらって
　　　　賞をだしたらどうかって考えたんや。
由　花 　あー、あの投票用紙、それだったんですか。
澄　世 　そうや。
智　子 　案の定、勝負となると目の色変える尼崎の民衆は、しっかり作品を作るようになり、部展は大いに盛り上がり
　　　　ました。めでたし、めでたし。
康　江 　いわば、美術のアカデミー賞やね。
智　子 　毎年、宗荘たるメンバーが受賞してるんよ。ほら、あの若手で活躍している芸大のケンちゃん。あの先輩も受賞者。
由　花 　凄いですね。じゃ、副賞なんかも。
康　江 　豪華やで。芸術の都フランスのパリ旅行。
由　花 　えー。
康　江 　のパンフレット。
澄　世 　よくあるオチやね。つまり、物じゃなくて歴史に名を残すという名誉なんや。ほら、壁にサインしてるやろ。
由　花 　ただの落書きかと思ってました。
康　江 　失礼な奴っちゃな。よく見てみ。年度書いてあるやろ。
由　花 　（壁まで見に行く）ほんとだ。凄いんですね。
澄　世 　あー。その凄い賞をこんなことで取り逃がしてしまうとは。
智　子 　（康江の作品のそばまで行って）トップアーティスト賞ねえ。
康　江 　あ、それまだ途中やからや。だから、さっき四十クロウてゆうたやんか。
智　子 　オーちゃん。何クーロウまでする気なん。
澄　世 　（何時の間にか智子の後ろに立っている）八億クーロウかな。
康　江 　ちょっとそれどういうこと。それやったら、うちこれから、七億九千九百六十クーロウせなあかんくらいひどいって
　　　　こと。
澄　世 　近いね。
康　江 　（澄世の作品へ行って）スミヨだって。人の事言われへんで。
澄　世 　いやいや、うちは既に十五ガーン稼いでいるから楽勝や。
康　江 　そんなん勝手や。
智　子 　ほんまやね。いったい私ら何ガーン感動させたら、いいんやろ。

　　　　康江、澄世、その言葉に真顔になって。

康　江 　何クーロウすれば、良いのん描けるやろか。
澄　世 　ほんまに、よーわからん。

　　　　と真由実がやってきた。

真由実 　ごめん。補習目一杯やってきた。

　　　　道具を取りに部屋の奥（自分のロッカー？）へ行く真由実。

智　子 　かまへんで。三年生のあるべき姿や。
康　江 　なんやのトモ。トップアーティスト賞にかけるうちらはどうなんのよ。
智　子 　それも、あるべき姿やね。
澄　世 　でも、十作品必要なのに、三作品しか考えてないうちらは。
智　子 　なきものにせなあかんな。

　　　　戻ってきた、真由美はキャンバスを組み立て始めた。その姿に刺激されて、
　　　　絵画製作に戻る康江、澄世、由花。智子は、しばらく図面を眺めているが、
　　　　ふと顔を上げて。

智　子 　マーミ、それ三十号。
真由実 　うん。
智　子 　ちょっと小さいんちゃうの。
真由実 　ああ、Ｆちゃうねん。
智　子 　だったら、Ｐか。（確かめる）そうかＭか。
真由実 　Ｍのキャンバス探したんやけどトゥーも静風堂もちょうど切れてて、ロフト行ってん。ちょっと高かった。
智　子 　由花ちゃん。
由　花 　はい。
智　子 　見に来て。キャンバスってこういう風に張んねんで。
由　花 　はい。（見に行く）
澄　世 　曲かけていい。
康　江 　かまへんよ。
智　子 　うるさくないんやったら、かまへんよ。

　　　　澄世はカセット（ＣＤ？ＭＤ？）で曲を流す。

由　花 　枠の角ってこんな切り口なんですね。
真由実 　ちゃんとほぞ切ってあるんや。これが、こんな風に組み合わさるわけ。

　　　　木枠が組まれていく。

智　子 　私も用意しょ。

　　　　智子も奥へ行く。その時、美術室を伺う男子生徒が。

由　花 　Ｍってこんなに細長いんですか。
真由実 　そう。キャンバスのＦとＰとＭは同じ号数やったらこの長い方は同じ長さで、短い方がどんどん短くなる形や
　　　　ねんよ。
康　江 　ＦとＰとＭて何のことかわかる。
由　花 　はい。Ｆは人物像を表すフィギュアの頭文字Ｆ。Ｐは風景を表すパースフェクティブの頭文字Ｐ。Ｍは海の風景を
　　　　表すマリーンの頭文字Ｍ。
澄　世 　よー知ってる。
真由実 　というより、よー覚えてるって感じかな。うちらも何度か聞かされたやん。由花ちゃん、ちょっと持ってて。引っ張る
　　　　から。
由　花 　はい。

　　　　真由実は、キャンバスにタック（釘）を打ち付ける。智子、帰ってきて準備を始めるが、男子生徒に気付く。

智　子 　あれ。のぞきかな。

　　　　全員、「え」「どこ」等キョロキョロ。

智　子 　あ、そうや。忘れてた。入って入って。

　　　　男子生徒はやはりためらうが、こんな所を他の同級生に見られたら恥ずかしい
　　　　事に気付き、おずおずと入る。

蒼　太 　すみません。
康　江 　何。新入部員なん。
智　子 　そう。
澄　世 　二年生やな。
智　子 　先週いきなり廊下で声かけられてびっくりした。
康　江 　ナンパか告白かと思たんやろ。
智　子 　一瞬だけやで。「美術部の部長さんの山下先輩ですね」「美術部に入れて下さい。」て頭下げるから、私思わず、
　　　　「ごめんなさい」て逃げようかと思ったわ。
康　江 　勇気いったやろな。
蒼　太 　はぁ、それはもう。
澄　世 　ところで、何が目的なん。
蒼　太 　はあ。
澄　世 　こんな時期に入部希望とは。しかも二年やろ。
蒼　太 　はい。
澄　世 　何か他にねらいがあるんとちゃう。

　　　　蒼太ドキドキする。チラッと真由実を見る。そうなのである。

智　子 　まあまあ、貴重な部員。しかも男子や。歓迎しようやんか。
康　江 　うちら、卒業したら由花ちゃんだけになるし、うちはええよ。
澄　世 　目的がはっきりせんうちは心配やな。
智　子 　スミヨ。何疑ってんの。
澄　世 　うちは、コップ一杯の麦茶から事件を解決する少女や。鼻は利くねんで。
真由実 　うちもええよ。
由　花 　何組。
蒼　太 　七組。
由　花 　私、一組。（気取って）歓迎するわ。
智　子 　私らの美術部は見ての通り三年生四人、二年生一人で、一年生がいないんよ。とにかく、先輩の作ってきた
　　　　伝統を絶やさないためにも入部許可やで。
澄　世 　しゃーないな。謎は追々明らかにしていくしか無いか。
康　江 　謎ってほんまにあるの。
澄　世 　あるはずや。

　　　　二、クロッキー

智　子 　ということで、皆聞いてください。これから新入部員の…。名前聞いてなかったのでとにかく自己紹介して
　　　　もらいます。どうぞ。
蒼　太 　え。あの。二年七組二十三番高原蒼太です。
全　員 　…………。
智　子 　それだけなん。
蒼　太 　え。はい。
智　子 　何かもうちょっとあるやろ。生年月日とか血液型とか。
蒼　太 　昭和○○年◎月☆日※型です。
智　子 　私がゆーたんそのままやん。もうちょっと何やその。
澄　世 　おさまりつくやつ。
智　子 　そうそれ。
蒼　太 　はい。……以上。

　　　　全員うんざり。

真由実 　もうええやん。蒼太くんやったっけ。クラブネームは「ソータ」でいいね。
蒼　太 　は、はい。
智　子 　みんな、しゃーないやん。思春期の多感な男の子がこんなこわそうなお姉さん達に囲まれたら、萎縮するのは
　　　　当然やん。
康　江 　こわそうなってどういうこっちゃねん。
澄　世 　こわ。
由　花 　私は同級生やからお姉さんじゃないし、一番長く一緒にやらなならんし、トモ部長の言わはった中には入って
　　　　へんからね。
澄　世 　なんか、由花ちゃん生き生きしてるね。
康　江 　仲間が増えたからやろな。
真由実 　トモ。ソータ君のために自己紹介しとこか。
智　子 　うん。
真由実 　うちは三年の川野真由実です。通称マーミ。皆「ユ」言わへんねん。得意は油絵です。…以上。
智　子 　そしたら、オーちゃん。
康　江 　うちは三年の大野康江です。皆からオーちゃんて呼ばれてます。得意は油絵。以上。
澄　世 　そしたら、うち。うちも三年の浜田澄世です。スミヨとかスミちゃんとか好きに呼んでもらって結構です。得意技は
　　　　卍固めと水彩です。将来、日本画の道に進みたいなって考えてます。以上。
智　子 　皆「以上」てソータ君の真似か。次は由花ちゃん。
由　花 　私は二年の保志由花。そのまま由花って呼んでくれてええよ。得意はまだありません。
智　子 　それで。私はゆえあって部長をやらさせていただいてます、山下智子です。よろしくね。…と、そしたら自己紹介も
　　　　済んだことやし、クロッキーでもやらへん。
康　江 　そうやね、久しぶりにやるか。
智　子 　皆、ええ。

　　　　うなづく。それから全員で準備にかかる。

智　子 　時間は、最初三十秒。モデルそしたら、スミヨ。

　　　　テキパキと指示。立ち尽くす蒼太。

智　子 　あんた、何やって…。あ、そうか。誰かクロッキー帳と鉛筆。

　　　　皆もテキパキ。

智　子 　そしたら、行くでー。よーい、始め。

　　　　クロッキー大会。三十秒は長いので、もっと素早く。

智子 　はい、やめー。オープン。

　　　　旧来の部員は、クロッキー帳を床に落として見せあう。澄世は、由花の作品を見て。

澄　世 　腕上げたんちゃう。
由　花 　そんなことないですよ。
康　江 　そんなこと、ないわ。
澄　世 　オーちゃんのと違う、由花ちゃんのや。
康　江 　ライバルやもんな。褒めるわけないわな。

　　　　突然の展開で、困惑する蒼太。作品を抱き締めて隠したまま。

真由実 　ソウタくん。この時は、皆で見せあうのが伝統やねんよ。
康　江 　見せて。
澄　世 　うちをどう描いたん。

　　　　見せかける蒼太。……息を飲む他の人々。…やめた。

智　子 　見せなさい。
蒼　太 　いや。
康　江 　何でや。見せてよ。
蒼　太 　だって、下手やもん。
智　子 　最初やから、下手なんしょうがないやん。
蒼　太 　恥ずかしいし。
澄　世 　しょうがないって。
真由実 　作品は、作った以上、発表しないといけないんよ。恥ずかしいゆうとったらやってかれへんよ。
蒼　太 　でも……。

　　　　三年生は、手を延ばして蒼太のクロッキー帳をつかんだ。嫌がる蒼太。
　　　　見ていた由花が突然。

由　花 　つべこべ言わんと、あんじょー見せたらんかい。

　　　　他の人々、びっくりして由花を見る。

由花 　と思います。

　　　　その拍子に蒼太は、作品を落として皆に見せてしまった。覗き込む人々。
　　　　ショックを受ける蒼太。

澄　世 　えー。
康　江 　ははは。よー描けてる。
智　子 　ちょっと、ねぇ。
由　花 　はい。
真由実 　ちょっと、皆。ソータ君は生まれて初めて意識してクロッキー描いたんよ。オーちゃんかて、スミヨかて、
　　　　トモだってそんなんやったやん。かわいそうや。

　　　　ちょっと後ろめたい人々。

智　子 　じゃ、次行こかー。オーちゃんモデルやって。
康　江 　うん。

　　　　以下三枚位。モデルも変える。「ラ・クンパルシータ」等のタンゴ（ラテン系）で
　　　　ダンス処理。その後、突然。

澄　世 　服がうっとおしいな、オーちゃん。
康　江 　え。ほんまやな。
澄　世 　うちはやっぱり生の人体が描きたいな。
康　江 　せやな。
澄　世 　トモ、次モデルの番やから、脱いでくれる。
智　子 　脱ぐって……。
康　江 　いや、何もパンツまで脱げとは言わへんよ。水着位
智　子 　そんなん、わかってるわ。いやや、オーちゃん脱ぎ
康　江 　何でうちなん。スミヨ脱ぎ。人魚やろ。
澄　世 　だから、水着持ってへんてゆうたやん。そうや、水着持ってるっていえば。

　　　　康江、澄世、智子は由花を見る。

由　花 　え、何で私なんですか。さっき泳いだばっかりで着れません。べちょべちょです。
澄　世 　それが、いいんや。体の線ばっちり出るから。
康　江 　仕方無いな、由花ちゃん。芸術のためや。
智　子 　な。由花ちゃん。この状況やったらそれが必然や。運命や思てその初々しい裸身を晒して。
真由実 　スミヨ、オーちゃん、それにトモまで。由花ちゃんいじめて何が楽しいの。
澄　世 　そやかて。
智　子 　マーミ。大事な事やと思うんよ、体の線て。この世で一番美しいのは夕焼けの空やない。スイスアルプスの
　　　　山々でもない。北海道富良野のラベンダー畑でもない。人間の体なんや。そんなん、わかってるやろ。
真由実 　だからって、下級生いじめることないやろ。
康　江 　いじめとちゃうねんで。
真由実 　皆、上級生らしくないわ。……わかった。うちが、脱ぐ。

　　　　一同、びっくり。ゆっくりとボタンに手をかける真由実。一つはずした。蒼太は、
　　　　叫んだ。そして、走って美術室から逃げてしまった。蒼太を見送る人々。皆の
　　　　動きが止まった。その中で。

澄　世 　意気地なし。
康　江 　最短記録や。由花ちゃんの時は、もうちょっとここにおったな。
澄　世 　女やもん。最後までおったやん。由花ちゃん、オーちゃんにはがいじめにされて、ボタン三つはずされたところで、
　　　　気絶したけど。
由　花 　気絶するしかなかったんです。
康　江 　何にもせえへんかったからね。
由　花 　………！トモ先輩。
智　子 　いや、何にもしてへん。そんなんするわけないやんか。パンツ逆やなかったやろ。
由　花 　はい。……って。何でそんな言い方なんですか。
真由実 　なー。何にもしてへんなー。（ニヤリ）
三年生 　何にもしてへんよー。
智　子 　遅いな。マーミの裸身に興味を持ってそろそろ覗きに来てもいいはずやねんけどな。
澄　世 　うち、見てこよか。

　　　　というなり、廊下に出て見る澄世。

智　子 　どう。
澄　世 　（帰ってきて）おらへん。廊下にもおらへん。
康　江 　帰ったんちゃう。
真由実 　片付けよか。うち、キャンバス張るの残ってるし。
澄　世 　よーし、トップアーティスト賞や。
康　江 　うちのもんや。
智　子 　そうやな。片付けよか。ソータ君、もう来ないかもしれへんね。

　　　　と言いながら、クロッキー大会終了。全員、それぞれ自分の仕事に戻る。

由　花 　先輩皆エグいから、また部員入らへんやないですか。
澄　世 　うち、何か帰って来るような気するけどな。
康　江 　鼻が利くからね。
澄　世 　そう、うちの推理では、明日くらいまた来るで。
由　花 　ほんまですか。ほんまやったらいいけど。
康　江 　どんな顔して来るかな。
澄　世 　楽しみやー。うちの水泳の後に来てや。

　　　　それぞれ、製作する。キャンバス張りの音と澄世の曲が流れる。と、誰かが
　　　　走りこんできた。裸（水着着用念のため）の蒼太だ。まわりも確かめずに叫ぶ。

蒼　太 　僕でよろしかったら、さあどうぞ、存分に描いてください。

　　　　同、唖然。気付いて恥ずかしがる蒼太。暗転。

　　　　三、エスキース

　　　　部展まであと二週間ということは、九月六日の月曜日放課後。いつもの美術室。
　　　　由花登場。無言で準備を始める。そこへ康江登場。由花の姿を見て。

康　江 　ちわーっす。
由　花 　こんにちは、オーちゃん先輩。
康　江 　えらい早いやん。さては密かにトップアーティスト賞狙ってるな。

　　　　康江はそう言いながら用意を始める。

由　花 　そんなこと無いですよ。オーちゃん先輩かて野望は着々と。
康　江 　野望なあ。三作からいきなり十作やもんなあ。
由　花 　それ、何作めなんですか。
康　江 　いちおう、九作までそろたで。
由　花 　すごい。
康　江 　ゆうたかて、平行して進めているから、六割っちゅうところかな。
由　花 　でも、凄いです。
康　江 　由花ちゃん、なんぼあるん。
由　花 　平面五、立体一の六作品は目途が立ちました。
康　江 　（立ち上がって）目途って。完成したん。
由　花 　ほぼ。
康　江 　あかん。激やばや。うちの野望はこんな伏兵に…。

　　　　康江は戻って、忙しそうに動くが、その実あせって、手に付いていない様子。
　　　　物陰から現れるように、澄世登場。

澄　世 　うちは、六割一分完成やあ。ガハハハハ。
康　江 　スミヨ。なんで、すぐせこくうちに勝とうとするの。
由　花 　あっ。スミちゃん先輩。こんにちは。
澄　世 　こんにちは、由花。（用意を始める）せこないで。うちは、合理的に勝負するタイプやねん。

　　　　真由実と智子が話しながら登場。

真由実 　……だから、将来のことやんか。絶対行き詰まると思うわ。
智　子 　何でえよ。皆が求めているのは写実やんか。結局、漫画かて、ドラエもんの絵では皆読まへんよ。もっと
　　　　実物に近い表現の作品に人気あるやん。
真由実 　ちゃうねんて。うちは修行の途中やと自分で思っているから、写実を極めようとしているけど、読者の立場
　　　　からすると感情移入の問題やねん。結局、その世界で自分が気持ち良く遊べる絵やったら、それがたとえ、
　　　　ドラエもんやったかて、好きやで。
智　子 　そんなもんかな。
康　江 　ふたりは、何を難しい事しゃべってるんだ。
澄　世 　うちには、分かりません。
由　花 　先輩、こんにちは。
智子・真由実 　こんにちは。
康　江 　その写実なんたらっちゅうのはどういうこっちゃなのかな。
真由実 　トモがね、いくら絵描いたって写真に負けるから無駄やんか。ってゆうねん。
智　子 　そうやろ、苦労して体の線の描き方見つけて、陰の付き方考えて表現して、色はどうやったらでるのか覚えて、
　　　　絵具の感覚身に付けて。はあー、しんど。て。できた作品はいつまでたっても納得でけへん。写真はすぐやで。
　　　　パシャッと。画面の隅々まで表現できるんやで。
澄　世 　でもな、トモ。写真に負けるはずの絵描きは絶滅しなかった。今でもしたたかに生きている、という事は、皆が
　　　　求めているからや。悲観することないで。写真には滅ぼされへん。
康　江 　何の話ししてるん。
澄　世 　芸術における大衆性と作家の創造性について、二人は討論してたわけや。
康　江 　わからへんゆうとって、ちゃっかりわかっとるやんか。
澄　世 　これでオーちゃんにまた一歩リードしたな。
康　江 　だから何でスミヨはすぐせこく勝とうとするの。
澄　世 　オーちゃん。よきライバルよ。正々堂々と勝負しよう。

　　　　澄世は康江と握手する。

澄　世 　そして、うちが勝ーつ。
康　江 　もーえーわ。
智　子 　結局、今の自分を信じろというわけやねんな。
真由実 　そうそう。さ、はじめよっか。
智　子 　ほんまや。あと二週間やからね。

　　　　全員、口々に「せやった」「よしやろう」等と持ち場につく。

康　江 　スミヨ、進路はどーするん。
澄　世 　文学部や。
康　江 　え。美大ちゃうの。
澄　世 　うち日本画やんか。だから文学部の史学科行くねん。
智　子 　そうか。それで、東洋の美術史勉強するねんね。
澄　世 　そうや。日本画は師匠探して修行や。
康　江 　師匠。
真由実 　そやねんで。日本画はまだ師匠と弟子という形が、残ってんねん。
康　江 　あ、知ってる。徒弟制度やろ。
真由実 　そう。ヨーロッパでいうところのギルドや。
康　江 　難しいもんやねんな。うちやったら、すぐ美大行くけどな。現実見な。オーちゃんはどーするん。
康　江 　うちは、スミヨを倒してトップアーティスト賞取ったら、普通に大学でも行ってどっか就職するわ。絵は趣味で
　　　　描くねん。
由　花 　そんな。もったいないですよ。
澄　世 　だから、現実をちゃんと見なあかん。うちは倒されへん。百年早いわ。
智　子 　学部は。
康　江 　そうやねん。まだ決まってへんねん。
澄　世 　そんなことでは、どっこも行かれへんで。うちを倒そうなどと夢見てるからや。
康　江 　なんでや。
澄　世 　うちがトップやからや。グワッハッハ。
康　江 　ほんまに、もーえーわ。マーミはどうするん。
真由実 　うちは、芸大か美大行くわ。油絵。
澄　世 　ストレートやな。マーミちゃんらしいわ。
康　江 　師匠は探さんでええの。
真由実 　洋画の世界の徒弟制度は薄まってしまってんねん。芸術自体どんどん変化するし、師匠についてたら、一時は
　　　　ええけど、変化について行けへん。
由　花 　皆さん、だいたい決まってるんですね。
澄　世 　厳密に言うと、オーちゃんはまだやけどな。あっ、そや。トモはどーするん。
智　子 　前、ゆーたやん。私デザインや。美大行こうか専門学校にしようか迷ってるねん。
澄　世 　そやったな。
真由実 　コンピューターとかするん。
智　子 　わからへん。もっと基礎的なこと勉強したいんやけど。
真由実 　四年制の美大にし。その方が就職しっかりしてるし。
智　子 　そうは言われてんねんけど…。
由　花 　参考になりました。
智　子 　ほんまやで。この世界は厳しいからよー考えときや。て、人の事いわれへんねんけど。
真由実 　とにかく、この部展がおわらへんと何にも手につかん。
校内放送 　三年生に連絡します。ただ今より進路集会を開きますので、すぐに三階集会室へ集合して下さい。

　　　　三年生は、残念な様子。

智　子 　今日、これがあったんや。
澄　世 　せっかく、乗ってきたと思ったらこれや。
康　江 　ここにも、伏兵あり、や。
真由実 　しゃーないやん。行こか。…あれ。まだソータ君、来てへんの。
由　花 　はい、そうなんです。

　　　　三年生、片付ける。

康　江 　ユカちゃんが、ちゃんと誘ってあげんと。
智　子 　そうやで。美術部再生のためのアダムとイブやねんから。
澄　世 　仲良くしいや。
由　花 　アホなこと、ゆわんとってください。
康　江 　赤なるとこがあやしいな。
智　子 　やめとき。イブをたぶらかすのは。
真由実 　うちら四匹の蛇か。
康　江 　え。蛇って四匹なん。
澄　世 　ちゃう。もう行くで。
康　江 　待ってや。何のことなん。さっぱりわからん。

　　　　四人は集会にでかける。由花は自分の作品製作に戻る。と、こっそり蒼太が
　　　　現れる。何やら大きな作品を抱えている。その作品を運ぶのに夢中で、イーゼル
　　　　に当たって音が。

由　花 　何してたん、今まで。
蒼　太 　何にもしてない。
由　花 　嘘や。その作品、取りにかえってたんやろ。
蒼　太 　ああ、そうや。家では描かれへん。
由　花 　見せて。
蒼　太 　あかん。
由　花 　なんで。
蒼　太 　何でも、あかんのや。
由　花 　つまらへんの。

　　　　由花は、今度こそ本当に自分の製作に戻る。蒼太は、その事を確認してから
　　　　自分の作品をイーゼルに立てて描く準備をする。

蒼　太 　保志さん。
由　花 　何。
蒼　太 　わー、駄目。振り返らんとって。
由　花 　変な奴。
蒼　太 　ちゃうねん。絶対見んとってほしいねん。それだけ。
由　花 　どうして。
蒼　太 　あのな。えと、僕下手やろ。やからや。
由　花 　私だって自分がうまいなんて思った事ないで。
蒼　太 　いや、じょうずや。
由　花 　わかったわ。絶対見ないから、安心しといて。そっち向かなあかんようになったら、言うわ。
蒼　太 　ありがとう。

　　　　蒼太は安心して作品にとりかかる。最初こそ、由花を気にしてたが、そのうち
　　　　本当に安心してしまう。ところが。

由　花 　これ誰。
蒼　太 　ぎゃー（体で隠す）
由　花 　うまいやん。
蒼　太 　見た。見た。
由　花 　ちゃんと見せてくれたってええやん。
蒼　太 　あかんねん。頼むから。
由　花 　おもろないの。

　　　　蒼太は懲りたのか、作品を包んで来た布でからだごと隠して製作する。しかし、
　　　　由花のことが気になって、頻繁に布から顔を出しては伺う。手には写真。由花は
　　　　蒼太の死角を突いて接近。恐ろしい事に布をめくってしまう。蒼太は必死で描いて
　　　　いたので、一瞬何が起こったのかわからない。だが、由花がいることに気付いた。
　　　　絶句する蒼太。

続く…

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