『アダムとイブの物語２』
キャスト
孝 子
真 理
亜 樹
和 美
次郎丸
綾之小路
僧
西 橋
「オープニング」
女の声による読経が聞こえる。中央に白いシーツをかけられた遺体が一つ、
数人の女達のシルエット。僧侶はやはり女性である。読経が終わると僧は
語り始める。
僧 本日はお忙しい中、故、北山幸太郎氏のためにお集りいただき真にありがとう
ございました。故人もさぞお喜びのことと存じます。さて、ご存じの通り北山氏は
この地球上に残された最後の男性であり、その存在を一日でも長くこの世に留めて
おきたいと、あらゆる延命処置がとられましたが、去る二千百六十三年十一月八日、
午後九時二十八分、入院先の近畿中央病院にて心、腎、肝、チー、ポン不全の合併
症にてお亡くなりになりました。享年百八十七歳の大往生でございます。それでは
故人をお送りいたしましょう。去るものの辛さも然ることなれど、残されし者の
苦しみもまた、言葉では表わし尽くせぬものがございます。今日のこの日より、
人類は皆、女にございます。
僧が遺体に手を触れると、遺体は一陣の風となって天に登って行った。
僧は手を合わせ、天を仰いだ。女達の静かな行進。そして暗転。
「百物語」
真っ暗な舞台に風の音がかすかに響く。懐中電灯の明りを先頭に人影が一、
二、三、四人列になってあらわれそろりそろりと行進してくる。突然おばけ
が現われた。一堂悲鳴をあげうずくまる。
おばけ （意味不明の呪文を唱えて）私の眠りを覚ますのは誰じゃ。
一堂 （一塊になって声にならない絶叫）
おばけ オンキャバクラサカネリセベ。バララネブリ、ゲロレンチョ！
真理 でたな、こんちくしょう。
孝子 喋り掛けるな、取りつく。
真理 大きなお世話。
次郎丸 あんなの、見るの始めて。
和美 緑色。
真理 何が。
和美 おばけって、緑色やねんね。
真理 カー！聞いた私があほでした。
次郎丸 こっち向いた。
おばけ （手招きしてにたりと笑う）
和美 （手を振り返す）
孝子 相手にするな、取りつくったら。
和美 えー、ほんまに？
真理 いっぺん取りついてもらったら。
和美 いややぁ。
次郎丸 見てみたいな。
おばけ では、一度お目にかけよう。
一堂 （緊張）
おばけ わらわはこの辺りに住まい致す者にござる。斯様な所に生きたる者の来る試し、
いと久きにより我の眠りたたれける。この憤り、受けてくれるのは誰じゃ。おま
えか？おまえかぁ？
和美 えーん、ごめんなさーい。
次郎丸 私たちが起こしたって怒ってるみたいね。
真理 寝起きが悪い。
孝子 あんたみたい。
おばけ おまけにおまえらは大切な友を一人だけ取り残してトイレに行っただろう。
次郎丸 そうだ、亜樹ちゃんは？
真理 いない。食べられたか。
和美 ごめんなさいー。
孝子 寂しかったのね。
おばけ そうじゃ、怖かったんだぞー 反省しなさい。
おばけ、走りよってくる。みんな悲鳴をあげて逃げるかと思えば逃げ出し
たのは和美だけ。そう、おばけは亜樹だった。和美、息の続く限り「ひー」
と叫びながら奥のほうまで走っていった。他のみんなはあまりのおかしさに
ふきだした。
孝子 やられた。
亜樹 いひひひ。
真理 おのれ、亜樹！
次郎丸 もう、すっかり乗せられたわ。
亜樹 私も待ってる間怖かってんからね。涙出そうやったわ。
次郎丸 それで本当に泣いている子があそこに一人。
孝子 和ちゃん、大丈夫。おばけじゃなかったよ。
亜樹 和美ちゃーん、私。
孝子、亜樹は和美を助けにいく。
次郎丸 あの程度で泣いてちゃこれから起こる恐怖には耐えられないわよ。次はい
よいよ私の番。
真理 御手柔らかに。
和美 （奥から）なあ、もう止めてえや、怖いやん。
次郎丸 途中で止めるとたたりがあるらしいんだ。これ。
孝子 ちょっと、いいかげんにしいよ。
次郎丸 また、孝子さんたらいい子ちゃんぶって。あと二つでおしまいでしょ。
亜樹 なあなあ、ほんまに百までいったら何か起こるんやろか。
和美 私、百物語なんかやめる。帰る。
真理 （見送って）帰り道には気をつけてね。
和美 （立ち止まって息を飲む）
亜樹 ごくっってゆうてるわ。
和美 か、帰らんとくわ。
次郎丸 あんただけ抜けるなんて許されると思ったの。
真理 女の付き合いはそんなに甘くない。
亜樹 トイレは一緒、食べるのも一緒、怒られるのももちろん一緒。
孝子 他人の幸せ自分の不幸。だからふと舞い込んだ幸せの、かくし場所には気を
付けましょう。
次郎丸 いつも仲良し五人組み。
真理 われら通称！
全員 アリ地獄の会！
あり地獄の隊形
孝子 なんでここまでせなあかんのやろ。
真理 私もそう思うときあるわ。
和美 なあ、帰る言わへんからなるべく怖く無い話しにしといて。
次郎丸 信州の山奥に大昔からある古いトンネルがあるそうな。
亜樹 あんた、言葉使い変わってるで。
次郎丸 このほうが怖いやろ。
和美 私のお願いちっとも聞いて無い。
次郎丸 噂ではそこのトンネルには何かが取りついていて真夜中になると決まっておかし
なことが起こるらしいのじゃ。
真理 お決まりやね。
次郎丸 そんな噂を聞きつけた気の強い女がおって面白半分にある晩そこへ行ってみよう
と思いついた。
亜樹 一人で？
次郎丸 さすがに一人では心細い。友達と四人で行った。
孝子 そこもあり地獄。
和美 みんな、お願いやからそういうことは思いつかんといてね。
真理 次郎丸、それ何処にある。
和美 もう！
真理 冗談やって。
次郎丸 人の話しは聞くものじゃ。
一堂 はーい。
次郎丸 みんなは車でそのトンネルに向かった。途中、車が訳もなくぷつりと止まった
まま動かなくなったので、おかしい、おかしいとみんなでエンジンをのぞいて見て
たら、また自然と直ったという変なことがあった。
亜樹 前兆やね。
次郎丸 車はいよいよトンネルにさしかかった。山奥なので対向車もさっきから一台も
ない。トンネルは真っ暗でヘッドライトの明りが当る路面だけが見えていた。突然、
やみの中にあるはずのバックミラーがぼうっと明るくなった。みんながはっとして
そこを見ると血だらけの手がバックミラーをつかんで車をはい上がってくるのが
見えた。ごつごつした男の手だけがぐぐ、ぐぐッとミラーをつかんでボンネットの
上まで登ってきた。運転していた人は急ブレーキをかけ車を止めると、「みんな、
逃げ！」と叫んだ。みんなは車を残してトンネルの出口へ向かって走って行った。
やっと出口について周りに目をやると三人しかいない。みんなが怖々車に戻って
みると残された子は恐怖のあまり気が狂っていて今でも入院しているそうな。
今から思うと他の３人はドアをロックして無かったのに、逃げ遅れた子だけドアを
ロックしてたんだって。
亜樹 怖イー。
孝子 男の手って言う所が特にねえ。
亜樹 ほんまや、居るはず無いもん。
和美 みんな、私を置いて逃げんとってな。
真理 今のケースやったら逃げ遅れるのは絶対あんた。
次郎丸 さて、これで九十九終わったね。
孝子 残るは一つ。誰の番？
和美 私。でもやめときたい。
亜樹 ほんまに出るかもしれへんもん。
和美 やっぱり、せなあかん。
次郎丸 乗りかけた船。
真理 後戻り、女の恥。
和美 分かった。みんな、私が単なる怖がりやと思ってるやろ。違うねん。私にはほん
まに見えるねん。
孝子 なにが？
和美 霊。
真理 またまた。
和美 信じられへんと思うけど、私には見えるねん。だから怖いねん。ぼうっと白い物
のときもあるし、はっきりと顔も、名前まで分かるときもある。
亜樹 和ちゃんが怖がりなんも訳があったと。
次郎丸 ねえ、今は。いるみたい？
和美 （黙ってうなずく）
孝子 うそ。ほんまに？
真理 ちょっと、いい加減な事言わんとってよ。
和美 全部でここに、六人いる。
真理 どこにおるちゅうねん。
和美 真理ちゃん。びっくりせんとってな。真理ちゃんの体についてる。
真理 どこにじゃあ。
孝子 落ち着いて。
次郎丸 ええ感じ。私じゃなかった。
和美 真理ちゃん、今までにひざ、怪我したことない？
真理 大きな怪我したことないけど、こっちのひざに水溜まったことはある。
和美 やっぱりな。あのな、心落ち着けて聞いてな。真理ちゃんの六代前の先祖が、
戦争中に子供を虐待したんやと思うわ。水に落としたか、水がとにかく関係する
ことで。その子は不幸にも死んでしまった。その時の霊がまだ成仏できずに真理
ちゃんに取りついているみたい。
真理 （泣きそう）嘘やろ。
孝子 和ちゃん、ほんまなん。
和美 だって見えるねんもん。ちょうど真理ちゃんの右の膝ぐらいのとこに。かわいい
男の子でね、名前まで分かる。
次郎丸 なんていう子。
和美 その子の名前はね…
真理 止めてくれー。言うなぁー。
和美 その子の名前は、
真理 くそー
和美 ひざこぞう。
真理 やめ…
亜樹 がっはっは。
孝子 プッ
次郎丸 落としたな。
和美 ああ、面白かった。
真理 お・の・れ和美ィ、許さん。
和美 ごめんなさい。（走って逃げる）
次郎丸 これで百？
亜樹 怖い話しとちゃうかったで。
孝子 和美ちゃんらしい。
亜樹 まあ、これやったら何かおっても出て来る気なくなるやろな。
孝子 ほんまや。
次郎丸 何か聞こえへん。
孝子 何？
次郎丸 何か、地鳴りみたいな音。
孝子 和美ちゃん、真理、静かにして。
地鳴り、近づく。
亜樹 わあ、地震や、地震やで！
大地震が来た。悲鳴、物が壊れる音、倒れる音。建物が傾き崩れ落ちる。
おばけが現われずに地震をよんじゃった。
「大発見」
地震が納まった。崩れた建物がシルエットになって今までと違った風景を
作り出している。調和が崩れ、これから起こることを暗示しているような
風景である。
孝子 みんな、大丈夫。
真理 大丈夫じゃない、和美！
和美 あだしのぜいー？
亜樹 強烈。
孝子 次郎丸は？
亜樹 おらへん？
和美 エー、何処行ったん？
真理 次郎丸ぅぅ。何処やぁぁ
孝子 一大事。手分けしよ。
和美 どうするの。
真理 探すんや。
亜樹 何処を。
孝子 そこらじゅう全部。
亜樹 とにかくあっちから。（走り出す）
真理 …あんただけ一人でいなくなるなんて、ゆるさへんからね。
みんなは次郎丸を探しに駆け出す。静寂が残った。ふと、赤いランプの点滅。
規則正しくまるで心臓の鼓動のように赤いランプがついたり消えたりしてい
るのが見える。ゆっくりとそのランプが舞台に引き出されてきた。大きな古
びた装置。パイプが数本、白く曇ったガラスの窓、小さなパイロットランプも
みえる。その装置を押して出て来たのは次郎丸であった。
次郎丸 あたたた、なによ、このボロ。（けっとばす）孝子。真理。亜樹ちゃん。
和ちゃん。私一人置いていくかなァ、普通。
装置の周りを一回り。古ぼけた名札がかかっているのに気付く。
次郎丸 西橋忠士。ただし？ 変な名前。昭和五十一年八月十日生まれ… 昭和って、
十七才！性別『男！』♀〒‡♂♀ …大発見だ。
「独白集」
緊張した面持ちで一人毅然と明りの中に立つ和美が見える。
和美 城ヶ崎和美 二千百四十六年三月二十七日生まれ、十七歳です。現在県立尼崎
総合高等学校保健衛生科に在学中です。将来は生命工学の分野で働く人達のお手
伝いを何か出来るようになったらいいなと思っています。長所はのんびりしている
こと、あんたを見てたらほっとするわ、と良く言われます。短所はちょっとどんく
さいことです。失敗せんように頑張ります。
次に浮かび上がったのは亜樹。
亜樹 あだ名はチビと言われています。みんなの中で一番チビだからです。その変わり
一番やかましいと言われています。みんなというのはいつも一緒におる友達で、
はい、とっても仲はいいですよ。喧嘩も良くするけど。みんな同じセンターの生ま
れです。ひょっとしたら同じ個体の遺伝子を受け継いでるかも知れないのに、見た
目も性格も、行動パターンも全然違います。母体が違うといったらそれまでですけ
ど。
真理登場。
真理 母体？ なに寝ぼけたこと言うてんの。私なんか。試験にパスするはずないな
いわ。もう諦めてんの。あのね、お母ちゃんの時代とはわけが違うねんで。去年
選ばれた人が何人いると思う、たった五人やで。私ら下々の者は機嫌良う生きて、
機嫌良う大きなって、機嫌良う死んで行ったらそれでええの。あーもー、何か腹
立ってきた。ほな、さいなら。行ってきます。
孝子、ライトの中へ。
孝子 夢ですか？夢はやっぱり選ばれて母体になり、人類のために貢献することです。
でもそれはかなり難しいでしょうから…。反対に質問してもいいですか。本当に
人は滅びてしまわないのですか？ 本当に近い将来、人工受精で男が再びこの世に
現われるのですか？ 時々不安になるときがあります。この間、生命工学の授業で、
残留放射能レベルが下がり、やっと古いタイプの人間でも、シェルター外で何とか
生存可能なほどになったと習いました。でも肝心のｙ染色体を持った精子がセンター
にはもうほとんど残ってないと言う噂もあります。教えてください。本当に人はこ
の先も生き続けられるのですか？
扉の閉まる音。
孝子 私の知ったことでもないわよ。あほ。
暗転。
「西橋君登場」
冷凍装置を前に次郎丸の演説会。亜樹、和美、真理が興味津々で見つめる。
次郎丸 まあ、転んでもただで起きないってのはこういうことだわ。
和美 すごい。これが冷凍装置？
亜樹 いいからはよ見せて。
真理 次郎丸、あんたもう先に見たんか。
次郎丸 まだ。
亜樹 どんなんやろどんなんやろどんなんやろなあぁどんなんやろ。
真理 うるさい、句読点無しにしゃべるな。
亜樹 だってー。まさか、こないだいかはった百八十何歳かの北山幸太郎さん言うおじ
いちゃんみたいなんとちゃうやろか。
和美 テレビでやってやったな。
次郎丸 失礼な、まだ十七歳やで。
真理 でも生まれたのは大昔。いつやって。
次郎丸 昭和五十一年。調べたよ、千九百七十六年のこと。
亜樹 ほんまは何歳なん？
次郎丸 和美、はい、計算。二千百六十三引く一千九百七十六は。
和美 え、え、なんて、もう一回。
亜樹 何とか、何とか、七。
次郎丸 あほばっかり。百八十七や。
真理 へー。やっぱり幸太郎さんとほとんど同い年。期待するだけムダかもよ。
次郎丸 じゃ、真理は抜けるのね。分かったわ。
真理 ちょっと。
次郎丸 あっちは百八十数年この地上で生きて来て、最後にはほとんど死んでるのに無理
やりパイプつけて倍以上も生きさせられたかわいそうなおじいさんよ。私のは違う
わ。大昔の人には違いないけど十七歳の一番きれいなときの姿のままで百七十年間、
冷凍装置の中で眠り続けた人なのよ。女ばかりになって黙って滅びて行くのを待つ
だけの現代に、さっそうと現われた謎の王子様よ。一緒にしてもらったら困るわ。
真理 私のってあんた。
次郎丸 私が見つけたから私の物や。きっとものすごい美形やねん。それが気に入らん
かったら見んとってくれる。
亜樹 まあええやんか。たしかに次郎丸が見つけたんやし。
和美 （恐々）喧嘩したらあかんと思うねん。
次郎丸 あんたらも同じやで。これは私が見つけたんやからね。
何か次郎丸は性格悪いみたいになってきた。孝子登場している。
孝子 美形かどうかは分からへんよ。
次郎丸 やなこと言うね。
孝子 だってそうでしょ、なにも理由が無いのにわざわざ人間を冷凍保存しておくかな。
和美 どういうこと。
孝子 花の十七歳の青春真っただ中の人間だったら、なにもかちんこちんにしてまで置
いておく必要はないってこと。
真理 例えば…。
次郎丸 どうしょうもない難病にかかっていて、治療法も見つからないからその技術が
開発されるまで眠らせておこうとか…。
亜樹 えー、病人なの？
孝子 まだそうと決まった訳じゃない。他には。
和美 ものすごい犯罪者。世間を恐怖のどん底へおとしいれる連続、連続、何とか魔。
封印されてるの。
真理 そんなたいそうな事ばっかり考えてるけど、死んでるかも知れへんねんで。なん
せ百七十年も前から冷凍されてるからな。賞味期限はとっくに過ぎてる。
和美 賞味期限て、人をクリームコロッケみたいに。
亜樹 夢がないな。せっかく見つけたのに、死人とか病人とか犯罪者とか。こんなんは
どう。来るべき未来に今みたいに女ばっかりの世の中になることを予言した長老が
おって、その時のために自分の愛する息子を冷凍して送った。
真理 何で長老の愛する息子が十七歳や。
亜樹 孫でもひ孫でも何でもええから。
次郎丸 それのった。そんな理由がいい。
孝子 どうする。私らだけでかぶれる問題でもないように思うけど。
和美 みんなに言ってまうの？
次郎丸 あかん。そんなことしたらこの人はモルモットや、地球にたった一人で取り残さ
れたＥ．Ｔや。またあのおじいちゃんの二の舞になってしまう。
亜樹 「あなたは人類のなかでたった一人の男なのですからね。自分を大切に生きても
らわなければ。」とか言われて。
真理 センターに釘付けで自由はなし。毎日監視付きで色々嫌なこともさせられて、お
まけに最後は死にたくても死なせてもらえへん。
全員 かわいそー。
次郎丸 あー、悲劇だわ。私のかわいそうな王子様。あなたは独りぼっちになってしまっ
たのです。
孝子 なあ、このままこの人眠らせてあげへん？そのほうが幸せかもよ。
次郎丸 いやよ。またいい子ちゃんぶる。ここまで来て見ずに収められる？
亜樹 見たい…。
和美 うちも…。
次郎丸 真理、孝子、正直に言ってみ。
真理・孝子 …見たい。
次郎丸 決まった。やるで。
にわかに活気付く。
次郎丸 約束がある。このことは誰にももらさないこと。
全員 はい！
真理 決して後戻りしないこと、後悔しないこと。
全員 分かった！
孝子 仲間を裏切らないこと。
全員 もちろん！
次郎丸 オッケイ。じゃあやるよ。
みんな冷凍装置の周りにスタンバイ。いくつかのレバーを操作し始める。
和美 ねえ、どうやって解凍するの。
真理 何にも知らんやっちゃなぁ。
亜樹 私も知らん。どうするの。
真理 チンするんや。
亜樹 ああ、男やからチンするんかぁ。
和美 えー、私わからへん。
孝子 次郎丸、心臓鼓動再開！
亜樹 生きてた！
次郎丸 室内温度五度まで上昇。
孝子 心拍数二十。血圧四十五。
真理 脳波観測！
和美 すごい。
次郎丸 室内温度二十度。
孝子 心拍数五十、血圧も上昇中。
真理 脳波も正常。
次郎丸 間もなく！出て来い私の王子様！
いよいよ登場する西橋君。（長い飼殺しやね。）チーンという音と共に
解凍作業が終了。扉が開き始める。もうもうとした煙のなかに男の陰が
見える。たっぷりと、荘厳に、これでもかー！という登場の仕方でお願
いします。扉が完全に開き、男が記念すべき第一歩を踏み出した。
西橋 寒うー。
亜樹 しゃべった。
西橋 （みんなに気付く）
和美 こっち向いてるで。
西橋 （弱々しい足取りで近づいてくる）
真理 来よった。
西橋 （手を延ばして、何か言おうとする）
次郎丸 始めまして。私があなたを最初に見つけた次郎丸です。よろ…
西橋 （よろっとする）
次郎丸 よろし…
西橋君がっくりと倒れる。みんな悲鳴を上げて助けに近づく。
孝子 （抱え起こして）だいじょぶですか。しっかり。
次郎丸 解凍作業の失敗だわ。
真理 いや、賞味期限や。
和美 何か言ってる。
西橋 （弱々しく口を動かす）は、は、腹、減った。
全員 腹減った？！
孝子 …和美ちゃん、亜樹ちゃん、何か食べるもの。
亜樹 分かった。
和美 すぐ持ってくる。
二人、駆け出した。西橋君、がっくりと気を失う。暗転。
「絶滅のわけ」
一見カロリーメイトのような食料をほおばる西橋。その表情は苦し
そうでもある。
次郎丸 おいしい？
西橋 （まずそうに）美味しい。
亜樹 なあなあ、男って何食べるんやろ。
孝子 なんで。
亜樹 だって、まずそうやん。あれ、カロリーメイトゴールドやで。
和美 一番高級なの持ってきたのに。
真理 あいつの何処が氷の王子様なんだろ。
亜樹 何で、結構ましやん。
和美 あれが男か。生まれて始めて見る。
真理 和ちゃん、感想は？
和美 もっと違う感じかと思ったのに、案外普通で驚きました。
孝子 …何か他の物、持ってきたげよか。
次郎丸 いいわよ。
孝子 …だって、まずそうやん。
西橋 グボッ。
和美 …むせてるし。
西橋 （せきこむ）
四人 ほらぁ
次郎丸 うるさいな。はい、その線から入っちゃ行けません。私が見つけたんだから。
亜樹 何よ。誰も取って食おうなんて思ってへんよ。
和美 けち。
孝子 けち。
真理 どけち。
次郎丸 （明らかに無視）いっぱい食べてね。だってずいぶん久しぶりの食事でしょ。
西橋 …僕、どのくらい眠ってた。
次郎丸 …長いこと。
西橋 どのくらい眠ってたん。
真理 あんた、聞かないほうがいいんじゃない。
西橋 十年？まさかなぁ。
和美 もっと。
西橋 じゃ、二十年？ そんなに経っとったら、同じクラスの仲西に、もう子供がおる
かもしれん。
亜樹 まだまだ。
西橋 じゃ、五十年。お父さん、お母さん、まだ生きてますか。
孝子 ねえ、本当のことは言わないほうがいいんじゃない。
真理 いや、現実は見つめなあかん。
和美 なんか、かわいそう。
西橋 教えてくれ、僕は何年眠っていた。
次郎丸 百七十年間。
亜樹 あんた、すぱっと本当の事言うな。
西橋 百七十年間！ そら、寝過ごしてしもた。
次郎丸 そうやね。
西橋 寝過ごした。遅刻や。学校行ってこな。（西橋、駆け出す）
孝子 行ったらあかんよ。
西橋 なんでや。
孝子 今出て行ったら。あんたは不幸になってしまう。
西橋 おまえら、俺が知らんと思って嘘付いてるな。百七十年も誰が寝過ごすねん。
真理 起こして怒られたら世話ないな。寝起き悪い私みたいや。
西橋 ほんまに百七十年経ってると言う証拠はあるんか、証拠は。
なぜか天井から新聞が一部落ちてくる。西橋、急いでそれを拾って読む。
西橋 西暦二千百六十三年十一月十二日。二千って…。聞いてないよ。
次郎丸 まあそういうことや。聞いてるか聞いてないかなんて関係ない。これがあんたに
とっての新しい現実や。
西橋 百七十年も経ったら、親ばかりか、友達も、その子供も、そのまた子供もじじい
になって死んでしもてるねんで。
亜樹 そればかりか、おじいさんは一人残らずみんな死んでるねん。
和美 亜樹ちゃん、ショック強すぎへん。
西橋 まだあるんか。
孝子 また今度にしよ。
西橋 いや、聞かせてくれ。百七十年の間に何があったんや。
亜樹 今から七十年ほど前、二千九十八年に世界を巻き込んだ大事件があった。
西橋 誰やその世界大戦の口火を切ったんは、フセインか、エリツィンか、あいつら何
考えとるかわからへんからな。いや、他にも怪しいところはなんぼでもある。ボス
ニアかどっかも民族紛争を起こしとったからな。
真理 ほんまよう喋るな。誰も戦争があったなんて言うてない。
孝子 男っておしゃべりなのね。
西橋 僕が生まれつき喋りなの。それでどうなった。どんな事件や。
亜樹 整備不良の核ミサイルが暴発したんや。二十世紀に造られたおんぼろのミサイル
やったんやけど、飛んだ方向が悪かった。ミサイルはワシントン市に向かって飛んだ。
西橋 何やそれは。
次郎丸 問題はその後。飛び出したたった一発の核ミサイルのために、自動的に応戦する
コンピューターが作動してしまった。最初はアメリカ、それに反応したロシアやウ
クライナ、あっという間に地球の運命は決まってしまった。
西橋 寝とってよかった。そんな時に起きてたら地獄や。でも、人間は滅びなかったん？
孝子 ほとんど滅びたも同じ、生き残ったのはわずか二万人。それも地球上全部あわせ
て。生存率で言えば、0.00057％、ほとんど全滅ね。
真理 しかも地球上にいて、生き残ったのは全部女だった。
和美 それは私も知ってるで、放射能分解酵素合成遺伝子の判性遺伝やね。
西橋 何や、まさかここにおるみんなは放射能を分解出来る力があるなんて言わへんや
ろうな。
孝子 その通り。私たちにはその力がある。女はみんなＸ染色体を二つ持ってるんだけ
ど、その両方に、ある情報をホモで持つ人間は、放射能を体分解出来るの。男はＸ
染色体を一つしか持っていないから、男の人で生き残れたのは宇宙にいた数人だけ。
その人達も地球に帰ると残留放射能で倒れて行った。
西橋 じゃあ、僕も危ない。
亜樹 もう大丈夫。あの事件から七十年近く経ってるもん。
次郎丸 人間の出来が違うのよ。あなたは古いタイプ、私たちはニュータイプ。
西橋 何かこいつの言う事はいちいち腹が立つ。
孝子 その子はそういう性格なんよ。
次郎丸 分かった様な事言わんといてくれる。
西橋 なにつんけんしてるの、そういうのをね、欲求不満のヒステリー気質女と言うの。
次郎丸 ヒステリーって誰のこと？このうすらばか！
西橋 うすら！（カチーン）ひょっとこなんきん！
次郎丸 あほ、ばか、まぬけ！
西橋 性格ブス！
真理 レベル低い闘い。
孝子 そうみたいね。
次郎丸 誰のおかげでここにいられると思ってるの、私のおかげよ。私がそこの穴ぼこの
中から拾ってあげたのよ。感謝して言う事聞いてたらいいのよ。
西橋 へえへえ、それは大きにありがとさん。感謝感激、涙が出ますわ。百七十年も
経ってるし、知ってる奴は一人もおらん、おまけに男は俺一人。誰がこんな世の中
に戻れてありがたい、何でそのままにしといてくれへん。
和美 ちょっと。
次郎丸 ぺらぺらとよう喋る男やな。
西橋 おまえみたいな奴とはな、たとえ地球上に二人きりで残されたとしても絶対に、
絶対に一緒にならへんぞ。
次郎丸 あたしのほうこそごめんやわ。何よ、自分が絶滅した恐竜みたいな立場だって
分かってるの。
西橋 …それにおれは、半年もしたら死ぬんや。
全員 死ぬ？
西橋 （意を決して）俺は、末期ガンの患者や。医者がさじ投げて、俺を冷凍しやがっ
た…。
次郎丸 ガン…。
亜樹 ガンやて。
真理 ガン。
孝子 そんな…。
和美 ちょっと、誰か来る。
次郎丸 孝子、真理、和美、亜樹。そいつの事頼む。
西橋 うるさい、どうせ俺は死ぬんや。モルモットでも、Ｅ．Ｔでも何にでもなったる。
和美 安心し、死ねへんて。
亜樹 ガンなんか今じゃ、塗り薬で直るんやで。
真理 ほんま、大げさな奴。
西橋 塗り薬て、そんなあほな…。
真理 何処や、なにガンや。これ塗ったる。（取り出したのはクレアラシル、ガン治療用）
西橋 胃ガンが肺に転移して、リンパをだいぶまわってるみたいやから…
真理 よし、ややこしい、全部お脱ぎ。
西橋 えー。
和美 こっち来よるって。
次郎丸 はやく！
戸惑う西橋を引きずるように連れていく四人。次郎丸下手のほうからやって
来る訪問者を待ち受ける。
「綾之小路登場」
紙袋のようなものを持った一人の女、花を何本かもって現われる。
舞台に登場すると手にもった花をパネルの足元に少しづつ置いて回る。
全てに置き終わると膝間付いて祈る。それを注意深く少し離れたとこ
ろから見ている次郎丸。
綾之 （祈りが終わると、その場を離れようとする）
次郎丸 何してるの。
綾之 ！
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