『地震・雷・火事・おやじ』
キャスト
父・北山幸之助
母・ 京 子
長男・ 幸太郎
長女・ 由 美
西橋さん
高橋先生
社 長
「オープニング」
電話を持った女の子、幕前に走り出る。何やら急いでいる様子。
由美 もしもし、もしもし、聞こえますか？応答願います。もしもし、もしもーし！
あ、つながってます、聞こえます。私ですか？北山です。名前？名前は由美です。
歳？歳なんかどうでもいいでしょ！分かりました、１７歳です。住所？もう、
住所は、塚口町五丁目、塚口町です。本町じゃないほうの、つ・か・ぐ・ち！
耳遠いんちゃうの？こっちは大変なんですからね。用件？決まってんじゃないの
出前じゃないんだから！落ちつけだと、分かったよ。
電話を置いて深呼吸３回。受話器をとると決心したように前を向く。
由美 すぐ来てください。家が、燃えています。
大音響と共に幕が開く。真っ赤な炎、もうもうとした煙、サイレン、
逃げ惑う人影が見える。やがて暗転。
「焼け出された朝」
やがて朝がやってきた。さわやかな朝日、雀のさえずりも聞こえる。
だが今日はいつもと違う朝、沈黙の朝、焼け出された朝。見るも無残な
焼け跡には焼け残った柱、屋根瓦、風呂釜、鉄パイプだけになった水道
の蛇口などが転がっている。立ち入り禁止のロープ。瓦礫の向こうから
呆然とした人影が一人、二人、合わせて三人よろよろと現われる。
由美 最低。
母 最悪。
幸太郎 僕はなんて不幸なんだ。
全員 （大きなため息）
見るとそれぞれの持ち道具。由美はコードレス電話。母は枕。幸太郎は
何とビデオデッキ。
由美 あたし、ちゃんと電話したんよ。
母 どうしよう。
由美 消防署に。
幸太郎 ソフトがみんな灰になってしまった。
母 家がここまで燃えるとは思わんかったわ。
由美 間にあわへんかったけど…。
間
由美 まさか本当に１１９番に電話するなんて思ってなかったんよ。小学校の
とき社会科で「働くおじさん」のテレビ見たときね、消防署のおじさんが
とってもかっこよくみえてどうしても一回呼んで見たくなってん。怒られる
から止めようと思ったんやけど、夜お布団にはいると目の前に電話が浮かぶ
ねん。いけないいけないと思いながらあたしのゆびが１・１・９とボタンを
押して「火事でーす」って言ったらおじさんが鉄の棒をシュルシュルシュル…
あれがかっこよかったんよ。
母 よう喋るなァこの子は。
幸太郎 モニターも燃えたー
母 …こっちの子はあんまり喋らんし。
幸太郎 僕のことはほっといて。失意のどん底におりたいの。
由美 お兄ちゃん、何もお兄ちゃんだけが大変なんとちゃうでしョ。こんな時ぐ
らいしゃんとしてよ。
幸太郎 はいはい。シャン
由美 そう来ると思ったわ。
幸太郎 そう来ると思ったわと言うと思ったわ。愚か物。
由美 なによ、もっとましなもの持って逃げるかと思ったらビデオやて。テレビも
燃えたのになに見んの。分かった鼻にコード突っ込むねんね。こっちが映像
入力こっちが音声。
幸太郎 うるさいなァ。自分こそ何なん、電話なんか持ってきて。
由美 私はちゃんと消防署に電話したんよ。
幸太郎 嘘つけ、おまえは夜中電話で喋らんかったら死んでしまうから電話持って
きたんや。おまえは命の次に喋りが大事なんや。
由美 じゃあお兄ちゃんは命の次にビデオが大事なんや、このＡＶおたく。
幸太郎 うるさい喋り。
由美 喋るからうるさいんです。
母 どうせ私は、命の次に枕が大事なんや。
由美 （ 間 ）見てみ、思わんところでお母ちゃん落ちこましてしまったやんか。
幸太郎 でもまんざら外れというわじゃないかも。お母ちゃんよう寝るし。
由美 もう、またいらん事。お母ちゃん気にしてるの。よくあることやん、火事に
なって慌ててその辺の物つかんで逃げてくるなんて。
幸太郎 そう。
由美 お兄ちゃんのほうが変なんよ。わざわざコード抜いてビデオだけ持ってくる
なんて。
幸太郎 僕はいつでも冷静なの。
母 でもな、ほんまに枕だけしか持ってこなかったんやで。
幸太郎 生きてただけで幸せ。
由美 たまにええ事言うやろ。
母 何年ぶりやろ。
幸太郎 おいおい。
母 ほんまや、生きてた事に感謝せな。なんかあんたらのおかげで元気出てきたわ。
由美 よかった。なんかほっとしたらお腹すいてきたね。
幸太郎 右に同じ。
母 そやね、朝御飯にせんと。幸太郎ちょっとそのビデオ貸してくれるか。
幸太郎 何すんの。
母 朝御飯やろ。
由美 …ちょっと待って。お母ちゃんお財布は。
母 燃えた。
幸太郎 通帳は。
母 燃えたな。
幸太郎・由美 キャッシュカードは。
母 溶けたんやろな。幸太郎、おまえは偉い。家で一番高い電化製品持って逃げて
くれた。これを質屋に持っていけば二、三万には…
幸太郎 止めてくれ、僕のＳＶＨＳ対応ＢＳ録画王を持って行くのは。
母 おまえええ事言ってくれたやないか。「生きてただけで幸せ」
幸太郎 それとこれとは話しが違う。
由美 もう覚悟決めたほうがいいよ、さよなら録画王。
母 心配せんでもまた取り戻したる。生きることが先や。
幸太郎 僕はなんて不幸なんだ。
由美 失意のどん底は二重底でした。
幸太郎 いやだ、小遣い貯めてやっと買ったばかりなのに。
母 その小遣いは誰にもらった。
由美 「効果！」
幸太郎 もらったものは僕のもの。
由美 それも一理ある。
母 分かってる、けど困ったときはお互い様や。
幸太郎 その枕がなんの役に立つ。そんなん言うんやったら僕はこの家を出る。
母 出て行く家がどこにある。
由美 「有効！」
幸太郎 家がない。僕は家出もできない不幸な男やったんか。
由美 お兄ちゃん、また取り戻せるしちょっとの間諦めたら。背に腹は替えられん。
幸太郎 フッフッフッ… 武士は食わねど高楊枝。分かったぞ確かに家はなくなった。
しかし家族はまだ残っているではないか。冷酷な母に喋りの妹、そして単身赴任
のおやじ、この人の集まりこそが家なのだ。僕にはまだ家出の可能性が残されて
いたのだ。
由美 また訳の分からんことを。
幸太郎 これ以上理不尽な要求を続けると、僕はこの家を出る。
由美 それって家族と縁を切るって事。
母 家族と縁を切るなんて、そんな子はいらん、さっさと出て行き。
幸太郎 出て行こうにももう家はありません。
由美 そこまで！ なあお母ちゃんお兄ちゃん、家ってほんまは何なんやろ。
母・幸太郎 ？！
全員 家って…
後ろの柱の一本、音を立てて崩れる。
「経済的自立」
近所の主婦が登場。
西橋 あ、いてはるわ。奥さん大変でっしったっわっねぇぇ。
母 いっやぁー西橋さんの奥さん。よう来てくれ張りました。
由美 お兄ちゃん、何かお母ちゃん言葉遣い変わってる。
幸太郎 別にええやん。天の助けやぞ録画王。
西橋 今朝、話し聞いて、もォォびっくッッッくりして飛んできたんよ。でどう
やった、みなさんお怪我のほうは。
母 おかげさんでみんな無事やったんよ。
幸太郎 おい、何か世話になったか。
由美 いいや。
西橋 そうそう忘れてたわ、何もかも焼けて大変やと思っておにぎり持って来たんよ。
幸太郎ちゃん、由美ちゃん、よかったら食べてね。
由美 はあ…
西橋 いいんよ遠慮せんで、ちょっとしか無いけど食べてちょうだい。
母 いつもいつもすいません。
幸太郎 家燃えたん今回始めてやん。
西橋 もぉぉ、そんな水臭いこと言わんといてくれはります。私らに出来ること
ゆうたらこれくらいなんよ。そうそう、お茶もあるからね。
由美 ふびばへん。
幸太郎 おばえ、おぎぐいげぐえ
母 もう、こんなことになってどうしたらいいか。
西橋 奥さん、気をしっかり持つんよ。私らに出来ることあったら何でも言って
ください。力になるよ。もう、泣いたらあかん、あたしまで涙が出るわ。はい、
ハンカチ。
母 西橋さんの奥さん、ありがとう。（何か盛り上がる）
幸太郎 僕、ついていけない。
由美 あの、お願いがあるんですけど。
西橋 なあに。
由美 私たち何もかも焼けちゃって、そのォ… 先立つものが。
母 何言ってるのこの子は。
由美 さっきもその事でお兄ちゃんとお母ちゃんが…
母 これ！
西橋 （身をくねらせて）いやァァァ！気ィ付かんかったわァァァ
母 いや、奥さん
西橋 （弾よりも速く財布からお金を取り出し）とっといて、とっといて。
母 そんな奥さん。
西橋 とっといて、とっといて。
これが始まるとご婦人方はしつこい。ひょっとしたら「とっといて」で
エチュードが出来るかも。西橋さんは紆余曲折の末とうとう相手の手の
中にお金を握らせたのだった。
西橋 それじゃ失礼しました。奥さん元気だすんよ
母 すいません。
由美 おばさん、ありがとう。
幸太郎 （黙って手を振っている）
なぜか逃げるように去っていく。嵐の後の静けさ。
由美 よかったね、これで二、三日は大丈夫。
幸太郎 （録画王に）これでおまえも二、三日は大丈夫。
母 なにがよかったんや。ああいうのんを出し逃げ言うて出されたほうが負けなん
やからほんまかっこわるい。
幸太郎 枕しか持って逃げへんから悪いの。
母 心配せんでも今日パートのお給料前借りしてくるわ。
由美 わが家が経済的に自立する日は来るんやろか、お財布はないし。
母 キャッシュカードも無いからお父ちゃんのお給料も引き出せへんし。銀行
行って新しいの作ってもらわな。
由美 あ！
母 どうしたん。
由美 忘れてるやん、お父ちゃん！
母 ほんまや。
幸太郎 冷たい家族。給料の話しでやっと思い出した。
母 由美すぐ電話して。「家燃えた、すぐ帰れ」
由美 分かった。
由美、コードレス電話を出してかけようとするが反応なし。
由美 これ、壊れてる。
幸太郎 あほや。本体無かったらかからへんのに。
由美 えー、嘘、これだけやったらかからへんの。
幸太郎 携帯電話とちゃうの。
母 そうなんか、しゃあない二人であそこの公衆電話まで行って電話かけてきて。
お母ちゃんは銀行行ったりパート先行ったりするから。
幸太郎 お金。
母 はいよ。お釣は返しよ。よし、行け！
三人それぞれの方向に散っていく。
「父帰る」
二人連れの男が現われる。先頭の男『峠のわが家』を口ずさみながら歩いて
来て焼け跡を見つけると首をすくめて通り過ぎる。がすぐに足早に戻って
くる。呆然と立ちすくむ男。
父 ない。私のうちの家が無い。
社長 北山・製品開発部・製品企画課・課長。ここが君の家かね。
父 はい、確か二ヶ月前までは… それが帰って見れば家はなし、信じられません。
社長 家に帰ったのは二ヶ月振りか。ご家族は。
父 分かりません、なにも連絡を受けてないもので。まさかこの火事で全員が…
社長 火の手が上がった。時刻は午前三時半。誰もがぐっすり眠りについていた。
父 寝てる場合じゃないぞ！
社長 何日も雨の降らない日が続いたため兵庫県南部地方にはその夜異常乾燥注意報
が発令されていたのだ。火の手はまたたく間に広がり、壁を焦がし天井を焼いた。
父 止めてくれ。
社長 悪いことは重なる。新建材からもうもうと立ち昇る有毒ガスが逃げ道をふさ
いだ。灼熱の炎と有毒ガスに囲まれたのだ。
父 タオルを口に当てて姿勢を低くしろ。出口はすぐそこだ！
社長 今日未明、尼崎の会社員、北山幸之介さんの自宅が延焼し、木造モルタル二階
立て、述べ八十平方メートルが全焼しました。この火事で幸之介さんの妻京子さん
四十三歳と幸太郎君十八歳、由美さん十七歳が焼死しました。
父 わぁー！
社長 なお、出火当時幸之助さんは単身赴任で家にはいなかったため無事でした。
無事でなにより良かった良かった。
父 何が良かったんですか！
社長 死ななかったから幸せじゃないか。
父 私は全てを失ったんですよ。家も、家族も。しかもそれすら全然知らずにいた
んだ。
社長 二ヶ月間も家をあけてるからそんなことになるんだ。いったい何をしていたん
だね。
父 あんたの会社で働いていたんだ。
社長 そうだったね。忙しかったもんね、ここ数ヵ月。
父 相次ぐ海外出張、日本に帰れば新製品の研究開発、市場調査の結果をにらみなが
らの企画会議が深夜まで続く。
社長 良く頑張ったもんね。
父 命をすり減らして送出した新製品が売れなければ営業部からの突き上げはどこに
来ると思います、私の所だ。「企画課は何をしている」何をしているってこっちは
家が燃えて家族が全滅したのも知らずに働いてんだ！
社長 二十四時間戦ってる場合じゃないよね。
父 おのれ営業部、火付けて回ったる。
社長 やっちゃえやっちゃえ。
父 止めてくれないんですか。
社長 家には来ないでね。
父 社長！
社長 ともかく、この焼け跡かきわけて見れば何か手掛かりが得られるかもしれない。
私も手伝おう。君はそっちから、私はこっちから探すんだ。
父 もう駄目ですよ。全員焼死したんでしょ。
社長 まだそうと決まった訳ではない。よく言うだろう、便りの無いのは…
父 無事の証拠。
社長 ね、さあ元気出して。
二人、瓦礫の山を掘り起こし始める。どれも真っ黒な中で焼け残っている
のは枕、コードレス電話にＢＳ録画王であった。
父 社長、何か出ましたか。こっちはがらくたばかりなんですけど。
社長 見たまえ、北山製品開発部・製品企画課・課長。焼け残っているものがあるぞ。
父 いちいちフルネームで呼ばなくても結構です。
社長 枕に電話だな。
父 社長、この枕は妻の京子の物です。それにこの電話は娘の由美のもの。どの当り
から出ましたか。
社長 うん、あっちのほうから。（と、嘘を教える）その辺りにまだ埋っているかも
しれん。急いで掘り起こしなさい。
父 はい。この辺ですか。
社長 もうちょっと奥のほうね。
父 この辺ですね。
社長 あ、うん、まあその辺。（と、録画王を持ち去ろうとする）
父 社長、何も出ません… 何やってるんですか。
社長 ありゃ、見つかった。
父 今隠したのは何です。
社長 あ、これね、これもその辺に落ちてたの。
父 それは、幸太郎の欲しがっていたＢＳ録画王。やっぱりあいつ小遣い貯めて買った
んだ。せっかく欲しがっていたものを手に入れたのに死んでしまっちゃしょうがない
じゃないか。
社長 北山君、君の言うとおりだ。人間生きていてこそ…
父 社長、私は今猛烈に反省しています。なぜもっと家族のことを考えてやれなかった
のか。
社長 そうだね、昔から良く言うんだ。「親孝行、したい時に親は無し。」せっかく
買ったビデオも使ってくれる息子さんがいなければしょうがないよね。待ってなさい、
私が現金に替えてきてあげよう。
父 余計なことは止めてください。息子の形見なんですから。いつまで持ってるん
ですか。
社長 親切で言ったんだが。
幸之助、形見の品を並べて座り込む。
父 母さん、済まなかった。私がいない間家のことは全て母さんに任せッきり、
おまけにパートで家計まで支えてもらって苦労をかけたね。
社長 （母さんの歌ハミング…など。思い出を再現する手もアリです。）
父 私が会社で思う存分働けたのも母さんのおかげだったよ。天国に行ったらこの
枕でぐっすりと休んでください。それから二人の子供達、覚えているかい小さい頃
父さんと一緒に動物園へ行っただろ。あの時はオラウータンにウンコぶつけられて、
それが幸太郎の顔に当ったね。おまえは昔からそんな不幸な男だった。おまえの
ビデオは父さんがしっかり守ってやる。
社長 いや私は親切でね。
父 由美、おまえは女の子やのにお転婆で父さんとプロレスするのが大好きやったな。
一緒にお風呂もよく入ったし。そうそうおならを桶に貯めるのが大好きやった。
もう一回お風呂に入ろう。言っても無駄か。良く喋る明るい子やったのに…
社長 なにかしんみりしてきたなぁ
父 みんな、もう一回帰ってきてくれ。帰ってきてくれたらみんなともう一回やり
直せそうな気がする。なあ、頼む、帰ってきてくれ！
幸太郎、由美、帰ってきていた。
由美 お父ちゃん、帰ってたん。
幸太郎 お帰りなさい。
父 （収まりが付かない無言）…。
由美 今お父ちゃんの会社に電話しに言ってたんよ。そしたら昨日の晩こっちへ向かっ
たって、良かったね、昨日付いてたら大変やったもん。
父 母さんも無事か。
由美 うん、銀行とパート先。
父 よかった。
社長 君がおならを桶に貯めるのが好きな由美ちゃんだね。
由美 えっ
父 ダー！
社長 それから君がオラウータンにウンコぶつけられた幸太郎君。
父 ドワー！
社長 想像通り元気そうなお子さんだね、北山君。
父 はい、あ、由美、幸太郎、父さんの会社の社長さん…
幸太郎 オラウータンの幸太郎です。
父 はははは…
由美 ははははじゃないわよ、父さん。自分の子供を紹介するのにもっとましな紹介の
仕方ってものがあるでしょ。それに私とお風呂に入ったのなんてもう十年も前の話し
じゃない。
幸太郎 僕のオラウータンは十三年も前。
社長 由美君、君のお父さんはもう一回一緒にお風呂に入りたいとさっき叫んでいたぞ。
父 社長、あれはですね…
由美 変態。
父 いやそれはだね。
由美 私はいつまでも小学生の私じゃないの。それやのにまだ子供扱いして。
幸太郎 由美、しょうがないで、お父ちゃんは僕らのこと知らんのや。
父 そんなことない、ちゃんと知ってる。小さいときよく病気して…
幸太郎 ほら見てみ、出てくるのは小さい時のことばかり。今のことはなにも知らない。
僕の評定平均、受験の苦労、由美がこの頃ダイエットしてチョコレート断ちしてる
のも知らない。昨日の火事のこともさっきまで知らなかった。
由美 お父さん、そうなの。
父 ………。
社長 北山君、そうなの。
父 そうです。そのとおりですよ。どうせ私は会社人間なんです。家族のことはなに
も知らない人で無しですよ。でもね、私だって家族のために働いていたんだ。
そうだろう幸太郎、父さんの給料で学校へ行って塾にも行って御飯も食べられる
んじゃないか。違うか、由美。
由美 そりゃそうだけど…。でも何か違うのよ。
また一本柱が倒れた。一堂振り返る。暗転
「アウトドアライフ宣言」
社長と幸太郎、由美、京子の姿が見える。が幸之助はどこかへ出かけた様子。
四人であんぱんと牛乳の昼食を食べている。
社長 すいませんね、私までご相伴にあずかりまして。
母 いいえ、こんなものしか用意できなくてすいません。何しろ家が燃えたばかりで
しょ、火を使うのが怖くって。
社長 分かります分かります。しかしこのあんぱんと牛乳の組み合わせというのも何か
懐かしいものを感じますな。
幸太郎 ちっともなつかしくない。
由美 まさかずっとあんぱんに牛乳で過ごすつもりじゃないでしょうね。
母 大丈夫、ガスが通ったらちゃんとした御飯作ったる。何やったら晩御飯どこかへ
食べに行こか。
幸太郎 それより僕ら今晩どこで寝るんやろ。
母 いちいちうるさいな。寝るとこぐらい何とでもなる。
由美 何とでもなる言ってどうするの。
幸太郎 野宿はいやじゃ。
由美 そうよ、友達にでも見られたらあたし学校にいけない。だって北山のとこは家
無くなって表で寝てるなんて噂になんのよ。死んだほうがまし。
幸太郎 レゲーのおじさんはいやじゃ。
母 やかましいわい。お母ちゃんにどうこうせい言ってもしょうがないやろ。もう
こんな時にお父ちゃんはどこへ行ったんやろ。
社長 母は強し、されど父は弱しか。奥さん、北山君は今傷ついているんですよ。
母 お父ちゃん怪我したんか。
幸太郎 そういう意味じゃない。
由美 私らが言いすぎたんよ。
母 なんて言ったん。
由美 お父ちゃんは何も知らないって。
母 ああ、そら電話するの忘れとったからなぁ。
幸太郎 なんでそう直接的にしか受け取れないのかなあ。
母 それですねて何処か行きはったんか。子供みたい… 大丈夫や、すぐ帰ってくる。
社長 北山君は焼け跡を見て猛烈に反省していたんだよ。自分が家族というものを犠牲に
して働いていたことに気が付いたのでしょう。私たちにも多いに責任があるのですが。
幸太郎 その反省していたところへ由美がガミガミ言ったからすねたと。
由美 何よ、お兄ちゃんでしょ、理屈こねてたのは。
母 所で社長さん、家の主人は会社でどんな仕事をしているのですか。去年の今ごろ、
何でも「製品開発部・製品企画課・課長」になったって喜んでいましたが。
由美 その頃からすごく忙しそうにしてたもんね。
社長 北山君には実際良くやってもらってますよ。あ、奥さんその「固いメロンパン」を
一ついただいてよろしいですかな。
母 ええ、どうぞどうぞ。
社長 あ、どうも。私はこれが好物なんですよ。この上品な甘み、しっかりした歯応え、
手ごろな価格、さらにパンという主食に果物盛り合わせの中で最もゴージャスな
メロンを組み合わせるという発想。実に素晴しい傑作です。ところでこのメロンパン、
ずいぶん昔からありますよね。ところが昔はこいつの名前は単なる「メロンパン」
にすぎなかった。なぜだか分かりますか。
幸太郎 相対的に固い、柔らかいと区別する必要がなかった。
社長 その通り。メロンパンは一種類しか存在しなかったのだ。ところがその後、柔ら
かいメロンパンが現われ今日の名前に至ったわけです。
由美 あれ嫌い、噛んだら口の中にネチャァーってくっつくもん。
母 そうそう、食べた後指でこそげおとさなあかんからなぁ。
幸太郎 汚い、言い方があまりに汚い。
社長 不幸にして「柔らかいメロンパン」にはこういう致命的な欠陥があった。しかし
あれを開発し、売り出した人々は柔らかくして少しでも食べやすくという発想で王
者メロンパンに挑んでいたのです。柔らかいメロンパンの開発に携わった者は、
人々のためと思ってやった仕事が受け入れられずさぞかし悔しい思いをしたことで
しょう。幸太郎君、由美ちゃん、お父さんの仕事もまた同じ様なものなんだよ。
母 お父ちゃんパン屋さんやったんか。
幸太郎 違うって、製品開発いうのはそんな仕事やいうこと。
由美 お父ちゃんは何を開発しているの。
社長 実はね、ラーメンなんだ。
全員 ラーメン！
社長 うちは総合食品メーカーだからね。その中でお父さんはインスタントラーメンの
企画、開発をしているんだよ。
由美 お父さんはどんなラーメンを作ったの。
母 社長さん、まさか「メロンラーメン」じゃ。
全員 (間）…まずそぉぉぉ。
由美 じゃあね、じゃあね、「なっとう麺」
全員 (間）…まずそぉぉぉ。
幸太郎 じゃあね、じゃあね、意表を突いて「青いラーメン」
社長 …良いなあ、その独創性。メモしとこう。
由美 ねえ、本当はどんなラーメンなの。
社長 ここ数ヵ月お父さんが心血をそそいで開発したラーメンの名は「グルメちび六」
と言うんだ。
三人 「グルメちび六」
社長 もう二十年も前になるんだが「ちび六」というラーメンが売り出されたことが
あった。小さいラーメンが６つセットになってこういう長い袋に入っているもの
だったんだ。キャッチコピーはこうだ。「パパはちび３、ママはちび２、僕はちび
１！」 グルメちび六はその発想を復活させ、なおかつグルメ化した現代人の味覚
に合うように本格生麺を使用、味付けも四川風、広東風、天下一品風等々、凝りに
凝った商品だったんだ。
由美 食べる量によって個数を選べばいいのね。合理的。
母 ママはちび３だわ。
幸太郎 でも同じ鍋で作ったら意味が無い。
社長 まあ結果としてこの「グルメちび六」は市場には受け入れられなかった。
由美 どうして。
社長 まず、家族の形態がまちまちで、ある家族には６つでは不足、あるところでは
多すぎるなどの不満があった。さらに大人と子供が同じ味付けでは双方に満足感を
与えられなかった。そして第一に現代社会はワンルームマンションやコンビニの
商品に代表されるように家族と言う単位を基本にするのではなく、一人という単位
を基本にした社会になっているということだ。
由美 家族じゃなく一人。
母 なんだか寂しい話しよね。
幸太郎 人間死ぬ時みな一人。
母 分かってる。そやから生きてる時ぐらいみんなとわいわいやりたいやろ。
由美 せっかく考えたラーメンが売れなかったなんて、お父ちゃんショックやろな。
社長 なあによくあること。まあね、しばらく根を詰めて働いてもらったから休暇でも
と思って帰って見ればこれだったんだけどね。
みな、少し幸之助が気の毒になる。と、そこへ大きな荷物を抱えた幸之助が
帰ってきた。
父 ただいま。
全員 お帰りなさい。（みんな妙に反応が良い）
母 いろいろ買ってきてくれたの。ありがとう。言ってくれたらみんなで手分けして
行ったのに、ご苦労様。
社長 すまんね北山君。君より先にお昼をいただいたところだ。まあ狭いところだが
座りなさい。
父 これは気が付きませんで。せっかくお呼びしたのにお構いも出来ずに申し訳あり
ません。
社長 何を水臭い。これでも結構楽しんでおる。
幸太郎 人の家が燃えたから楽しんでいられると。
社長 鋭いね幸太郎君。自分の家だったらこうは行かん。何か出来ることがあったらす
るが、用が無いようなら今晩の列車で社のほうへ戻るよ。会社のほうはなんとかする
からこっちが一段落するまで気にせんでよろしい。
父 ありがとうございます。
由美 何買ってきたの、見せて見せて。
幸太郎 社長、社長の力で家の一軒や二軒ドーンと建ちませんか。
母 幸太郎、そんな、ありがたい。
社長 わっはっは、建たん。
幸太郎 やっぱし。「建たぬなら、建つまで待とうマイホーム」
父 いや、幸太郎、父さんは決心したんだ。「建たぬなら、建ててみせようマイホーム」
母 かっこいい、父ちゃん！
社長 よっ、男前！
幸太郎 （黙って拍手）
父 いや、初めは小さな家なんだけどね、家族揃って肩寄せ合って暮らすのも悪くな
いじゃないか。大きな家はその内だ、その内。
幸太郎 その内ワイド画面のテレビを買おう。録画王をつなぐんだ。
由美 お父ちゃん、これなあに。
父 みんなに発表します。これが新しいわが家です。
幸之助が取り出したのは大きなテントであった。一同唖然。
父 焼け跡で私はみんながもう死んでしまったと勘違いした。すると今まで家族を
犠牲にして働いて来た自分の生き方が馬鹿らしくなってきたんだ。もう一度一から
やり直したい、そう真剣に思ったんだよ。もうおまえ達のことを知らないなんて
言われない、ちゃんとした家族の一員になろうと決心したんだ。京子、幸太郎、
由美。もう一度原点に帰って一緒にこの大空のもとで暮らそうじゃ無いか。アウト
ドアライフを始めよう。
幸太郎 雨が降ったらどうするの。
父 心配するな、本水禁止だ。幸太郎、手伝ってくれ。
幸之助テントの設営に取りかかる。
社長 男北山幸之助、第二の人生のスタートだな。
母 いつまで続くことやら。
由美 死んだほうがましや。
幸太郎 僕はやっぱり不幸な男や。
「家庭訪問」
きっちりとした身なりの高橋先生が現われる。手には一冊の本。
創作脚本の部屋へ 
この脚本を注文する 
このページの先頭へ