創作脚本の部屋へ 
このページの先頭へ作 五ノ井幹也
【キャスト】 熊谷忠介 熊谷忠士 熊谷信二 八代幸司 八代美津子 八代夏津子 滝本光輝 金山友恵 評論家 高橋先生 Ａ Ｄ 今日子 美 樹 静 香 屋台の主人 熊谷知加子 八代家の母
「ニュースピックアップ」
開始を告げるアナウンスの後、幕前にテレビ局のＡＤが現れる。客はすべて 公開放送でスタジオに見学しに来ているものと決めつける。これは間もなく 放送開始を告げるセレモニーである。 Ａ Ｄ それでは間もなく放送を開始します。もう一度だけ最終確認をさせていただきます。僕がそこで手を 回したら拍手の合図ですからみなさん、元気良く手を叩いて下さい。あー、そこの方、手に荷物持って たら拍手できません。お荷物はお膝に載せて下さい。一回練習しておきましょうか。しても良いです か？ 僕、新米なもんでやってみないと不安なんです。お願いします。させてください。よろしければ この僕にも拍手を…。（やってもいいよという雰囲気を作ること） ありがとうございます。わーっと 拍手していただいて、最後はお約束ですからチャン、チャチャチャ！と締めていただくという事で。 この番組は一応ニュース番組なんですけどプロデューサーの趣味でそういうタッチでやってますので。 では参ります。（練習。やってもらえるかなぁ）ありがとうございました。 ディレクター （カメラ室からマイクで）おいＡＤ、いつまでやってんだ。本番行くぞ。 Ａ Ｄ は、はい！ それでは間もなくオンエアーです。堅くならなくて結構ですから（自分が堅い）僕が手を 回したら拍手ですよ。お願いしますね。 オープニングテーマ。人気の時事解説番組「ニュースピックアップ」の生放送中。 センターテーブルと観葉植物。照明機材も見える。この番組は現代社会に起こる 様々な出来事を毎回ピックアップし、有名人を解説者に招き、ああだこうだと位置 づける人気番組である。拍手の中、司会の滝本と金山が現れる。 滝 本 みなさんこんばんわ「ニュースピックアップ」の時間です。毎回気になる話題をピックアップし、 時代の先端を行く解説者をお招きして鋭い切り口で分析。次の時代の世論、国論を最もいち早く読み とるために、いつものようにスタジオと全国一億二千万人の視聴者のみなさんをオンラインで結んで お届けします。この番組はみなさんの意見をピックアップします。 金 山 今日のテーマは「変わり行く夫婦像」 民法改正の行方です。法制審議会民法部会が九月十二日まと めた「中間報告」がいよいよ一月からの次期通常国会に提出されることになりました。社会は夫婦 別姓、離婚制度の改正などの問題をいかに受けとめているのでしょうか。変わり行く常識の中で、 いまいちど私達の歩むべき道のりをピックアップします。 滝 本 みなさんのお相手は私、滝本光輝。そして、 金 山 アシスタントの金山友恵でお送りします。 ＡＤ、拍手を求める。テーマ曲フェードアウト。 滝 本 スタジオにはこの問題への関心の高さを物語っているのでしょうか、数多くの方々がお集まりです。 それにしてもずいぶん若いお客さんが多いですね。 金 山 なんといっても結婚は人生の中で大きなテーマですから。番組の調査では高校生の九割以上が結婚に 何らかの夢を持っていて、結婚の形態として恋愛結婚、お見合なんて邪道だ、と言う考え方をする ようです。 滝 本 ほぉ、九割ですか。自分たちの親を良く見ていないのでしょうか。 金 山 見ていることは見ているでしょうが、あれはお父さんとお母さんであって、まさか自分に同じような 現実がやってくるとは考えられないのではないでしょうか。憧れの彼とバージンロードで腕を組み、 やがてやってくる甘い新婚生活。そのうち可愛い赤ちゃんができて日曜日には家族そろってピクニック。 たまにはお友達を呼んでホームパーティーなんて素敵じゃない。と言ったところでしょうか。 滝 本 そんな可愛い高校生の夢をぶちこわしたくはないのですが厳しい現実をふまえ、社会はまた違った 方向へと動き出しています。「個人の尊厳と両性の平等」という憲法理念のもとに、民法は戦後、 全面改正されました。ただ「積み残し」も多く、これまでも数々の改正が行われ、その流れで婚姻・ 離婚制度についての審議が進められております。 今回のものは中間報告とはいうものの、別姓の ほか離婚制度の見直しも含めて、その大枠は要綱案として維持されそうです。法務相への答申を経て 次期通常国会にも提出される見通しです。 金 山 それでは本日のゲスト解説者をお呼びしましょう。法律問題に大変お詳しく、専攻の文化人類学から 航空機事故原因究明まで幅広くご活躍の日本チャチャチャ大学教授（言いにくいな本当）、綾乃小路 康之丞教授です。綾乃小路教授、どうぞ。 ＡＤ、拍手の合図。ところが教授はあらわれない。なんと、中央のテーブルから むくっと顔を出す。驚く二人。 綾乃小路 只今ご紹介に預かりました、綾乃小路です。 滝 本 きょ、教授。なぜそんなところへ。 綾乃小路 いや、飼い殺しってのを一回やってみたくってね。美術さんに無理言って作ってもらったんだ。 いやー、楽しいね。飼い殺し。子供の頃に隠れんぼしたときのことを思い出したよ。母さん、 見てるか。面白かったろ。 金 山 先生、さっそくですが本題の方へ移らせていただいてよろしいでしょうか。 綾乃小路 ああ、もちろんです。と言っても私は既に、今回の民法改正につながるあるキーワードを提示させて もらった。お気づきですか。 滝 本 と、申しますと…。 綾乃小路 この飼い殺しなら結構なのですが、結婚もしくは家庭という場所で、生きながらにして何らかの犠牲を 強いられる飼い殺しにあっている人が、この現代においてもなおいるということを言いたかったわけ です。 滝 本 なるほど。そのためにわざわざ…。（何者だこいつは） 金 山 お疲れさまでした…。（そうとしか言いようがない） 綾乃小路 （心地よい疲労感） 滝 本 さ、気を取り直してまいりましょう。こちらに中間報告の大枠を示したパネルがあります。まず夫婦 の姓については結婚時に同姓別姓を選べるわけですね。 綾乃小路 そうそう。 金 山 子供の姓については結婚時にどちらか一方の姓を選択しておくことによって兄妹で名字が変わらない ような配慮がなされます。 綾乃小路 その通り。これによってだ、家中みんな吉山さんなのにお母さんだけ小原さんだとか、逆にお父さん だけ戸澤さんなんて事になるんだな。 滝 本 これでいじめられると辛いでしょうね。私なんかいつも帰りが遅いから、帰ったら「お父さんお帰り」 じゃなくて「あ、滝本さんが帰ってきた」なんて言われるのかと思うとぞっとします。 金 山 そう言われないために家庭内のサービスを十分にする必要がありそうですね。 綾乃小路 まさにその通り。家庭内でお父さんと呼ばれたかったら、みんながお父さんと認めてくれることを しなければならない時代になったのです。今まで法律などが外から家族という枠を作ってくれていた から、何もしないでもお父さんだった人には辛い時代です。これはお母さんにだって、子供にだって 言えることです。家族と呼ばれたかったら家族らしいことをしてみろこの野郎、ってことですね。 滝 本 甘えやなれ合いを容認してきた日本社会にとって、これはまさに画期的法案かも知れません。 金 山 具体的にはどのくらいの割合で別姓を選択するカップルがいるでしょう。 綾乃小路 私の予測では初めの内は物珍しがって十五％、やがて五％程度に落ちつくと考えています。 滝 本 会場のみなさんにもお聞きしてみましょう。Ａ 私は結婚しても今の姓を変えないか、Ｂ どちらか の姓を選択して同姓とするか、Ｃ 今はどちらとも言えないかの三択でお聞きします。いずれかに手を 上げてみて下さい。まず、今の姓を変えないと言う方。（以下、客席に聞いてみる） 客席がどういう反応を示すか分からないので十分に心して失礼のない演技をすること。 ＡＤも手伝う。だいたいの比率が分かればそれでいい。おそらく夫婦別姓が多数派 にはならないはずなので以下に続く。 滝 本 ご協力ありがとうございました。 金 山 当番組のオンラインピックアップでも同様のことをお聞きしましたところ、夫婦別姓を認めるが自分は 同姓を選ぶという解答が最も多数を占めています。 滝 本 このように多数派とは言えない別姓に向け、今回政府が民法改正に動いた背景としてどのようなこと が考えられますか。 綾乃小路 「氏名は個人として尊重される基礎であると」根強い運動を続けてこられた方の努力である、という 言い方もできますが、自分で必要なことを選択するという大人の社会に向かってこの国が動き出した と言ってもいいでしょう。私達は自分の選択の権利を主張するだけでなく、他人が選択する自由をも 認めていかなければいけません。「名字が違うから内縁かしら」などという話が井戸端会議で上り、 差別や偏見を生む時代は終わったのです。成熟した大人の社会に向け、同姓、別姓を選べるように なったことは…。 取り出した最後のテロップの文字が間違っていた。そこには「別性」、「同性」 と大きく書いてある。金山吹き出す。滝本気づいて。 滝 本 先生、申し訳ありません。 綾乃小路 なんだね？ 滝 本 テロップの文字に誤りがありました。（ＡＤを呼び）おい君。 Ａ Ｄ すいません、気が付きませんでした。 滝 本 困るよ、これじゃ先生、あれみたいじゃない。 金 山 （泣きながらふるえている） 綾乃小路 失礼な、あれとは何ですか、あれとは。私にはちゃんとした妻がいます。 金 山 だって先生。先生はさっき「自分で選択するという大人の社会に向かってこの国が動き出した」って 仰ったばかりです。 滝 本 金山君。それじゃますます先生はあれって事に。 綾乃小路 何を言ってるんだ。選択するにも限度がある。人を変態扱いしないでいただきたい。 滝 本 あー！ 先生。その発言はまずいです。生放送ですから。 綾乃小路 何がまずいんだ。不愉快だ。帰らせていただく。 滝 本 待って下さい。（金山に）君が悪いんだぞ。笑うことはないじゃないか。 金 山 だって、キャスターがあれなんて言うんですもん。 綾乃小路 言うに事欠いて気味が悪いとは何だ。 滝 本 いえ、ですから…。 混乱に追い打ちをかける抗議電話のベル。 滝 本 来た！ 抗議電話。 Ａ Ｄ 読みます。「変態って何、信じらんない。私達の愛は本物よ。ベティー＆スーザン。」 滝 本 お仕舞いだー。せっかく掴んだレギュラーだったのに。 Ａ Ｄ エンドタイトル入ります。 金 山 思わぬ波乱を呼んだ今週の「ニュースピックアップ」 果たして来週無事にお会いできるでしょうか。 お楽しみに。 綾乃小路 おいベティーとスーザンとやら。見てるか！ 来るなら来い。私はそこまでは認めんぞ。（退場） 滝本・金山 さようなら。 番組終了。スタッフがスタジオのばらしにかかる。 Ａ Ｄ お疲れさまでした。 金 山 盛り上がったわね。お疲れさまでした。 滝 本 なんで夫婦別姓からおかまの結婚問題に発展するのかなぁ。そんなＦＡＸ持ってくるなよ。 Ａ Ｄ すいません。 金 山 でも、いいんじゃないですか？ 堅苦しい時事問題をそのまま放送するだけじゃ、視聴率だって知れて ますよ。 Ａ Ｄ 僕もそう思います。 滝 本 偉そうな話はちゃんと字、書けるようになってから言え。 Ａ Ｄ すいません。 金 山 滝本さん、来週も予定変更してこれで行きましょうよ。 滝 本 何で行くの？ 金 山 だから、あの教授もう一回呼んで、ベティー＆スーザンと対決させるの。タイトルは「個人の尊厳と モラトリアム」どう？ アメリカじゃそういうケースだってあるって言うし。 Ａ Ｄ 面白そうですね。おかまは市民権を獲得できるか！ 滝 本 獲得しなくてもいい！ 俺が許しても社会が許さん。 金 山 あら、そうかしら。不倫だって昔は許されなかったけど、今じゃ公然の秘密よ。愛さえあればそれで いい。 滝 本 …体がいくつあっても足りないよ。（退場） 金 山 じゃ、お疲れさま。 Ａ Ｄ お疲れさまでした。（さっきの紙を見て）私達の愛は本物…、か。
「ある家庭事情」 おどろおどろしい雰囲気。一人の男子舞台中央に立っている。 忠 士 嘘だと言ってくれ！ 夢だと言ってくれ！ 信 二 嘘だ。夢だ。 忠 士 …？ ここは熊谷家の一室。兄弟がそろって夕飯の支度。ちゃぶ台を運び炊飯器やお茶碗、 箸などを並べながら以下の会話はつづく。 信 二 兄ちゃん、何うなされてたの？ 忠 士 俺、何か言ってた？ 信 二 うおーってうなされてたよ。だからおしえてあげた。夢でも見てたの？ 忠 士 う、うん。 信 二 こんな所で居眠りしたら風邪ひくよ。で、どんな夢？ 忠 士 …言いたくない。 信 二 …そう言われると聞きたくなるな。 忠 士 止めた方がいいぞ。さ、忘れよう忘れよう。 信 二 待ってよ。 忠 士 待たん。 信 二 よし、こうなったら自白剤だ。注射ぶちゅー。（お箸かな） 忠 士 うおーやめてくれー 信 二 自白するぞー自白するぞー自白するぞー。 忠 士 と、父さんが、再婚する夢を見ていた。 信 二 へー、すごい希望的観測やん。あの不器用な人が再婚。 忠 士 そうやろ、普通やったら良くやったって誉めてやるとこやん。でも普通や無かった。 信 二 どこが？ 忠 士 やっぱり言いたくない。 信 二 ふむ、自白剤が切れたか。ヘッドギアーがしゃーん。（お茶碗かな）電流ちょろちょろ。 忠 士 うおー！ 記憶プッツッ 先生忘れました。 信 二 兄ちゃんずるいぞ。教えてぇやぁ。 忠 士 止めとけって。気分悪なるぞ。 信 二 よし、電流ばりばり！ 忠 士 うおーぉぉぉ ばた。 信 二 兄ちゃんしっかりしろ。 忠 士 結婚式でウエディングドレス着て父さんの横におったのが、男やってん。どや、気持ち悪いやろ。 男の同士で指輪の交換、誓いの口づけ。（せまっていく） 信 二 兄ちゃん止めろ。僕が悪かった。ひえー登るな人の体。いやぁん、お止めになって。 父、帰ってきた。 熊 谷 ただい…。（買ってきた荷物を落とす）おまえ達。何やってるんや。 信 二 あ、父ちゃん。お帰り。 忠 士 荷物、落としてるで。 信 二 今日のおかずはなぁにかな。じゃん！ やったーハンバーグ弁当おかずだけー。 忠 士 信二、見てみろ。 信 二 ？ 忠 士 とうちゃん、また泣いてる。 信 二 また？ ほんまや。 熊谷、背中の演技。少し離れたところに正座して涙を拭いている。年をとると 人は涙もろくなると言う。 熊 谷 父さんはな、一分一秒でも早くおまえ達のために家へ帰ってやろうと努めてるんだ。そのためにお前、 ほか弁で順番ぬかしまでしてなぁ。 忠 士 親父、止めろよそんな真似。 熊 谷 俺もそう思う。でも家で待ってるおまえ達の顔、目の前に浮かぶんや。それを考えると、お姉ちゃん が輪ゴムとめるのもじれったい。 信 二 会社で何かあったん？ 熊 谷 あるよ、無い日なんて父さんにあると思うか？ 二 人 思わん。 熊 谷 やっとの事で家にたどり着いてみたら、可愛い息子達は、愛に飢えて、いけない道へ進んでいく。 忠 士 進んでないって！ 熊 谷 いや、おまえ達のことを責めている訳じゃない。おまえ達をそうしてしまった自分を責めているんや。 （涙を拭う） 信 二 もう、いちいち大袈裟やなぁ。あれはな、お兄ちゃんが変な夢見た所から始まったんや。 忠 士 おい。 信 二 父ちゃんが再… 忠 士 （口封じ）あほちゃうか。あんなん遊びや。兄弟のコミュニケーション深めとっただけや。 熊 谷 コミュニケーション？ 忠 士 ほら、スキンシップって言うやろ。家族の触れ合いやんか。親父が外で頑張ってる分、俺も弟の面倒 見てやらなと思ってな。 信 二 そうそう、お兄ちゃんにも活躍の場与えなと思って、こっちは面倒見られてるの。 熊 谷 …お前ら。わしは幸せもんやぁ（今度は感動して泣く） 二 人 面倒見きれん。 熊谷はこんな人間である。何事にも真面目すぎるぐらい真面目。それ故つまづき、 それ故愛され、それ故見放されるのである。 忠 士 ああ、もう、腹減った。飯食お。信二、飯。 信 二 ＯＫ！ 兄ちゃん、味噌汁。 忠 士 ＯＫ！ 親父、鼻かめ。 熊 谷 ＯＫ！ 忠 士 さ、食うで。 すばやく準備。父鼻をかむ。いつもの夕げである。 全 員 いただきます。 言うが早いか炎のような速さで飯を食う三人。この家庭に食事中の会話はない。 いや、あっても意味不明である。男の食事とはこういうものである。ところが 今日は違った。ふと箸を置く熊谷。 熊 谷 忠士、信二、新しいお母ちゃん欲しいか。 二人真剣に吹き出す。さっきの男同士の映像が頭の中をよぎった。 熊 谷 いや、聞いてみただけや。 信 二 そんな人、いるん？ 熊 谷 おると思うか？ 二 人 絶対おらん。 熊 谷 当たりや。よう分かったな。 信 二 当たり前やん。父ちゃん、母ちゃん以外の女の人とまともにしゃべってるの見たことない。国勢調査 のおばちゃん来たときも赤面してたやろ。 熊 谷 赤面なかしてない。そっち向かんようにしゃべっとったからな。 忠 士 よけひどいやないか。ようそれで結婚なんかできたな。 熊 谷 それが不思議やねぇ。母さんとだけは普通に話せた。男っぽいさっぱりした性格やからかな。 忠 士 あの人はさっぱりし過ぎ。 熊 谷 いやな、今度は前の母さんみたいな人じゃなくて、もっと優しい、暖かい感じの人やったら、きっと この家も明るくなるし、ほか弁おかずばっかり食べんでも済むやろなあ、って思って。 信 二 そりゃ、その方がいいけど。 熊 谷 それにお前らに寂しい思いさせんで済むやろ。 信 二 …。どう思う、兄ちゃん。 忠 士 俺は反対や。 熊 谷 なんでや。 忠 士 俺らのために再婚するんやったら止めた方がええんちゃうかな。俺らの飯作って、俺らに寂しい思い させんようにして、そのためにこの家来てもらうって言うのはおかしい。 熊 谷 父さんはそんなつもりで言ったんじゃないけどな。 忠 士 そうやって。心のどこかにないか。自分の再婚やろ。ええ人がおったらしたらええやん。それまで 俺ら自分でちゃんとするし。 信 二 …そう、や、な。俺ら大丈夫やもんな。寂しないし。味噌汁も作れるし。 熊 谷 …。 信 二 自分の幸せ、しっかりつかめよ。（臭い）親父。
熊谷、こらえきれずに泣く。よく泣く奴だ。そっと差し出すエリエール。 熊 谷 ちょっと出かけて来るぞ。 信 二 また赤提灯？ 熊 谷 違う。散歩や。 忠 士 これ、食いかけやで。どうするんや。 熊 谷 台所においとってくれ。今は、喉を通らん。 熊谷、ティッシュの箱を小脇に抱え出ていく。見送る兄弟。 忠 士 ええかっこしすぎたな。お前も調子乗り過ぎじゃ。 信 二 へへ、でも父ちゃん喜んどったで。 忠 士 ほんま、世話のやける男や。 信 二 新しいお母ちゃんか。そりゃ欲しいけど、ま、 二 人 無理やな。 二人、ぺちゃくちゃ喋りながらさばさばと後片付け。こんな調子で力合わせて 頑張ってるんよ、この家族。
「女の悪口」 踏切を電車が通過していく。警報機の赤いランプの光が漏れる。そんな中、屋台を 引いた主人が一人登場する。ここが運命の出会いの場所。主人はキューピットかも 知れない。ただし、天使のいるところには必ずデビルが潜む。お楽しみに。主人 屋台を止めると椅子を並べ店を開ける。赤提灯。そこへ熊谷忠介ティッシュを持って 登場。 熊 谷 こんばんわ。 主 人 …今日はええ事がありましたか、それとも悪いことですか。 熊 谷 顔に書いてあるか？ 主 人 いや、ちり紙。 熊 谷 …ええ事や。息子がしっかりして来るというのは嬉しいもんやね。 主 人 何しましょ。 熊 谷 熱燗と、はんぺん大根。 主 人 ええ息子さん持って幸せでんな。 熊 谷 それに引き替え、俺はまだまだ。 主 人 反面教師言うこともある。 熊 谷 なるほどね。そういう点では完璧や。嫁さんに逃げられてるし、会社がつぶれたこともあるし、財布 落としたことだってあるもんな。そうそう、自転車でドブにはまった事だってあったなぁ。あん時は 辛かった。 主 人 踏んだり蹴ったりやな。はいお待ち。 熊 谷 ありがとう。おやっさんも、やっぱりいろいろあったやろな。 主 人 そりゃね。 熊 谷 やっぱりな。人間生きてたら目立たんようにしててもなんかおこるもんな。悪いことも、ええ事も。 主 人 …すじ、おまけや。 熊 谷 …（また泣く） 主 人 すじ一本で大の男が泣きないな。返してもらうで。 熊 谷 すじ一本くれる気持ちが嬉しいやないか。 主 人 熊谷さん、おもろい人や。あんた見てるとついつい構いたくなる。息子さんがしっかりするのも分か る気がするな。 熊 谷 誉められてるのかけなされてるのかよう分からん。 一人の男が現れた。近所に住んでいる八代さんだ。熊谷氏とは顔見知りの 飲み友達である。 八 代 こんばんわ、と。 主 人 いらっしゃい。熱燗やね。 八 代 そ、熊谷さん、どう調子。 熊 谷 ぼちぼちでんな。八代さんは。 八 代 なんもかんもわやでんがな。 熊 谷 どないしました。 八 代 たしか熊谷さんもあれでしたな。ばついち。 熊 谷 ええ、じゃ、八代さんも。 八 代 そうなんですわ。ま、お恥ずかしい話で。（熱燗差し出す主人）お、ありがとうこっちもらうわ。 ま、ばついち同士と言うことで一杯。 熊 谷 あ、どうも。おっとっと。それじゃ、ご返杯。 八 代 すんませんな。はいはい、では、独身乾杯。 熊 谷 乾杯。 八 代 しかし女というものはいけませんな。 熊 谷 いけませんか。 八 代 いけません。第一女々しい。 熊 谷 はぁ、女女と書いて女々しいですからね。 八 代 ちゃいまんがな。一度言ったことをころっとひっくり返したりする。よう言いまっしゃろ、男に二言 はないって。 熊 谷 それも女に対しては全然説得力のないセリフですね。 八 代 そうなんですわ。どうもこの戦い分が悪い。熊谷さん、お子さんは？ 熊 谷 息子が二人。兄貴がそこの高校へ行ってまして、弟の方はまだ中学です。 八 代 家は娘が二人。上はお宅と同じ高校へ行ってますねんけど、下がまだ小学生でね。小さい子にはまだ 母親の温もりちゅうのが必要なんですかね？ 熊 谷 私も時々考えます。あいつらに苦労させんためにも、再婚せなあかんかなぁって。 八 代 その気持ち分かります。いやね、別れるときに家庭裁判所へ行って子供どないするかいう話したんで すわ。結局娘二人、私が引き取りましてね、男手一つで育てることになった。 熊 谷 はあ。 八 代 ところが今になって娘に会いたいとか、一人引き取らせてくれとか、自分が出ていっといてなんぬか しとんじゃ。 熊 谷 まあ八代さん、落ちついて。 八 代 あ、こら失礼。卵と菊菜と熱燗おかわり。 主 人 はいよ。 熊 谷 ひどい話ですな。なんで今頃そんなことを。 八 代 なんでも男手一つで仕事もしながらでは娘の面倒もよう見れんやろうから娘がかわいそうやとぬかっ しょる。大きなお世話じゃ。こうなったら意地でもあいつら立派に育ててみせる。 熊 谷 えらい、よう言った。頑張りなさい。男の意地や。 八 代 分かってくれますか。この思い。 熊 谷 分かります。痛いほど…。（泣く） 八 代 あんた、ええ人やな。（共に泣く） 熊 谷 はい、ティッシュ。 八 代 すんません。 声を上げて泣く二人。主人、卵と菊菜を持ってくる。 主 人 泣き虫がうつっとる。八代さんもええ後添え、もらったらええねん。そしたらそんな事言われんで 済む。 熊 谷 そうや。それしかない。 八 代 そう思って行ったよ、結婚紹介所。そしたら。 熊 谷 どうしました。 八 代 入会金と年会費がいるって。しかもこんなこぶ付きやもめの所へ来てくれる人がいると思う？ 熊 谷 中には…。そうや、同じような境遇の人がおるかも知れん。 主 人 そうそう。 熊 谷 同じように結婚に失敗して、こぶ付きで、再婚も考えてみるけど今一つ最初の一歩が踏み出せない。 八 代 毎日の生活に追われてふと疲れたときに交わす何気ない一言が、勇気と希望を与えてくれたりする。 熊 谷 若い頃の燃え上がるような恋とは違って、お互いを思いやる暖かさが有ればいい。ね、そうでしょ。 八 代 そうそう。（注ぎながら）こうして差し向かいで一杯やりながら、「夜が冷えるようになりましたね。」 熊 谷 「そう言えば虫の音も聞こえなくなった。」 八 代 「木枯らしが吹いてきても、この家なら平気ですね。」 熊 谷 「どうして？」 八 代 「だって、みんなが居るんですもの。あら、あたしったら。」 二 人 …良い、良い、良いなぁ、その恥じらい。どこかにいないかなそんな人。 電車が通る。その時二人ともはたと気付く。気が合うな。この人も 俺と同じ境遇だ。もしかして一緒にやっていければうまくいくかも 知れない。何考えてんだ。相手は男だぞ。俺はそこまで落ちぶれては いない。頭を振ってその考えを振り払う。目があってお互い苦笑い。 八 代 今、何か考えてました？ 熊 谷 いやいや、ちょっと恐ろしいことを。 八 代 ひょっとして私と同じ事を考えてたんじゃないですか。 熊 谷 え、そんな事考えてたんですか？ 八 代 その反応は、同じ事考えてたかも知れませんね。 熊 谷 あ、そうですか。 八 代 でもねぇ。 熊 谷 そりゃ、ねぇ。 八 代 変ですよね。 熊 谷 変だと思いますよ。 八 代 でもね、考えようによっちゃ、いいかも知れませんよ。 熊 谷 何が？ 八 代 だってね、人間助け合って生きるもんですよ。 熊 谷 もちろんです。 八 代 それに、いまさら惚れた腫れたって言う年じゃないでしょ。 熊 谷 確かにそうです。女はじゃまくさい。 八 代 でしょ、でしょ、そうでしょ。発想の転換ですよ。 熊 谷 なるほど。 電車が通過していく。その間二人は何やら話をしている。何かまとまった様子。 主 人 おや、なんだか話がまとまったみたいですね。 熊 谷 おやっさん。わしら、 八代・熊谷 結婚することにした。 後ずさりして去っていく主人。そりゃ驚くわな。ええ年した親父同士 が結婚する言うねんから。電車が一台また通過した。
「前兆その二」 明かりの下に机にうつ伏せて眠る少女が一人。八代家長女美津子である。 そこへ一杯気分の八代氏ご帰宅。 八 代 ただいま。 起きる様子のない美津子。八代氏、語りかける。 八 代 美津子、わしが出歩いてる間寂しいか？ いつも付きっきりでないとかわいそうか？ これからは そんな思い、させへんからな。…おやすみ。 窓の外を車が通った。時計の音がかすかに聞こえる。だんだん大きくなる。 美津子、むっくりと起きあがる。時計の音はぴたりと止まる。 美津子 うるさいな。もう、お父ちゃんか？ タンゴが聞こえる。美津子、自分の目を疑う。なんと、ナイトキャップを かぶり、パジャマを着た父がピンスポットの中、熊谷とタンゴを踊って いるのだ。妙に情熱的な踊りである。美津子の悲鳴と共に男達の踊りは 消える。 美津子 ちょっと夏津ちゃん、出たで、起きてえや。（いつも隣で寝ているはずの妹の姿はない）あかん、 また聞こえてきた。 再びタンゴのリズムに合わせ八代と熊谷踊りながら登場。 美津子 お父ちゃん、何やってるの。 八 代 おお、娘の美津子ではないか。 美津子 何説明してるのよ。その人誰？ 八 代 紹介しよう。今度わしが再婚しようと思っている人や。 美津子 再婚って、男同士で。 八 代 私たちの愛は男と男の壁をも乗り越えて。ね、 熊 谷 うん。 美津子 何寝ぼけた事言うてんの、しっかりして。 八 代 しっかりしてるわい。結婚式は玉姫殿の仏滅割引パック。平日価格の六割引じゃ。 熊 谷 ハネムーンも付いて四十名様披露宴、百四十万ぽっきり。 美津子 そういう意味じゃない、根本的に何か間違ってる。 八 代 じゃ、今から行ってくるから留守番を頼むぞ。 美津子 父親が間違った道に進もうとしているとき、娘は何をするべきか。（机で頭を抱える） 八 代 心配するな、関空ぐらい迷わず行ける。 熊 谷 ラピートで一直線よ。 熊谷、八代高笑いしながら退場。美津子止めようと思うが声が出ない。 曲のフェードアウトと共に声が聞こえてくる。美津子の同級生今日子、 美樹、静香らである。 美津子 （机でうなされている）うーん。 美 樹 美津ちゃん。 今日子 熟睡や。悩みのない人はええな。 静 香 おやすみなさい。 美津子 行かんとって。 三人 （顔を見合わせる） 美津子 お父ちゃん！（がばっと起きてくる） 美 樹 なんて？ 今日子 あんた、寝ぼけてる場合ちゃうで。 静 香 美津ちゃん、よだれ。 美津子 あ？（状況を把握する）ああ、おはよう。 今日子 おはようやないで。いつから寝てたん？ 美津子 掃除終わってから。昨日な、お父ちゃんが遅帰ってきてばたばたしてたから寝るのおそなってん。 美 樹 いっつも待ってるの？ 美津子 待ってへんよ。でも昨日は帰ってくるなり変なこと言うから。 今日子 なんて？ 美津子 「わしが出歩いてる間寂しいか？ いつも付きっきりでないとかわいそうか？」って。 静 香 優しいお父様じゃない。 美津子 どこがよ、気持ち悪いわ。急にそんな事言われたら。絶対外で悪いことして帰って来たんよ。そんな 事言うんやったらもっと早く帰ってこいちゅうねん。 今日子 あんた、男運悪いからな。 美津子 その話はせんといて。 静 香 あら、お父さんも男運の内？ 今日子 当たり前や。お父さんが女やなんて聞いたことない。 美 樹 そうそう、好きな子には見向きもされず、近寄ってくるのは変な奴ばっかり。 美津子 その先は言わなんとって。 今日子 あの彼とはどうなってるの？ 突然喋ったこともないのに近づいて来て 美 樹 「体育祭の時、君のブルマ姿が可愛かったからこっそり写真に撮っちゃったんだ。」 今日子・美樹 「これ、受け取ってくれる。」 全 員 いやーぁぁぁぁ。 コンクールでも無断でカメラを構える奴がいるので女優陣は十分注意すること。 静 香 本当にそんな方いるの。 今日子 おるおる。 美津子 おったんよ。それもいかにもって感じの子。やっぱり私、男運、無いんかな。 美 樹 美津ちゃんいい子やのにな。料理もできるし気が利くし。うちが男やったら美津ちゃんみたいな子、 お嫁さんにするわ。 美津子 よう言われるんよ。恋人タイプじゃないって。う、悲しい。 静 香 心配いらないわ。捨てる神あれば拾う神有りって言うじゃない。 美津子 ひと事やと思って。ああ、こんなに男運無くて無事にお嫁に行けるんやろか。 今日子 お嫁に行くなんて古い表現やな。今時そんなこと言わへんで。 美 樹 そう言えばそうやね。ねえねえ、この中で一番結婚早いのだれと思う？ 美津子 うちやない。美樹ちゃう？ 美 樹 （うれしそう）え、今日子かもよ。 静 香 私は？ 美津子 うちといい勝負。ひょっとしたら勝てるかも。 静 香 そうかな、わたしはちゃんと大学時代に彼と知り合うことになってるねんけど。 美 樹 なってるって。そんなん何で分かるん？ 静 香 ほら、家庭科に時間でしたやん。人生設計。 今日子 はいはい。やった。 静 香 あれによると、大学のサークルで趣味を同じくする人と知り合って、卒業後二年で結婚ということに なっている。 美 樹 卒業後二年っていい数字やね。 今日子 売れ残ったって訳でなく、自由に使えるお金もできてちょっと遊ぶのにちょうどいい。 美津子 そんな思い通りに人生行くと思ったら大間違いやで。 美 樹 なんでぇよ。私も短大行って卒業後、二年で結婚って書いてんから。 今日子 美樹はなんで二年なん。 美 樹 彼が四年制大学やから、卒業まで待つの。 静 香 ひゅう。ひゅう。憎いね、この。 美津子 いっぺん言うたらなあかんと思ってたけど、あんたら甘すぎる。うち、あの授業の時悲しなった もん。 今日子 なんで悲しくなったん。 美津子 うちのお父ちゃんの人生設計はどうなっとったんかなって思って。 今日子 あんたは現実見すぎてる。 美津子 あんたらが現実見てないんよ。 静 香 そんな事言ってもねえ。その場にならなわからんし。将来には夢があった方がいいやん。 美津子 うち、考えとってん。今、ふわふわしたこと書いてそれが実現せんかったら、きっと将来のうちは 今のうちのことばかにするやろなって。そしたら。 美 樹 そしたら？ 美津子 すごい暗いの出来てしもた。 今日子 どんなん？ 美津子 まず大学受験に失敗して行きたくない学校に進学。そこで何回となく合コンをするがいつも引き立て 役にまわり卒業。就職は一応するけど中小企業でおじんばっかり。そのうち上司の紹介でお見合し 結婚する。三五歳。 美 樹 まだあるねん。 美津子 離婚して子供に苦労かけたくないので姑のいびりに耐えつつ苦労して育てた男の子が、中学に入って 不良グループとつきあい始めたため夫に助けを求めるが、夫は寝たふりをして取り合わずこれも一人 でしょい込む。四九歳。 静 香 いっぺん誰かに相談してみたら。 美津子 そうやろ、家庭科の先生にもそう言われた。 今日子 そこまでひどいことにはならんやろ。 美津子 そう思えるあんたが羨ましい。 美 樹 分かった。ま、これは覚悟が出来てるって事や。何がおこっても美津子やったら切り抜けていくって。 美津子 ひと事やと思って。 そこへ熊谷忠士、登場。 忠 士 八代、ちょっと。 美津子 何？ 美 樹 あら？ お母さんは何も聞いてないけど。知ってた？ 今日子 いいえ。 美津子 違うって。そんなんと。 静 香 あ、赤くなった。 美津子 なってへんわ。もー、怒るで。 美 樹 さ、邪魔せん様に帰ろ帰ろ。 美樹、今日子、静香引き上げる。実は美津子は忠士のことをちょっとだけ意識している。 美津子 何、熊谷君。 忠 士 いや、今日朝な、家の親父が今晩一緒に出かける言うから何処へって聞いたらおまえの家やって。 美津子 あたしの所？ 忠 士 そう、何かな。聞いても後でとか言うて教えてくれへん。おまえの所の親父なんか言うてなかった。 美津子 なんも。 忠 士 ふーん。ま、ええか。そう言うことらしいから。 美津子 あ、そう。 忠 士 じゃ。 美津子 うん。 忠士、去る。変なのと思った美津子。 美津子 あかん、熊谷君に部屋散らかってんの見られる。 走り去る美津子。この時点で何が起こるか二人は知らない。ああ、こわ。
「木枯らしの中」 静かな曲。明かりの下に少女が一人。夏津子である。人形を膝に乗せ 大事そうに髪をといている。ここは八代家。まだ美津子は帰ってきて いない様子。結構意味有りげなシーンかも知れない。夏津子、人形に 話しかけている。 夏津子 さあ、出来ましたよ。女の子はいつも綺麗にしとかなだめなんよ。分かった？ 人形 ……。 夏津子 そうよ。目はぱっちり開けてお口は閉めるの。その方が賢そうに見えるからね。逆にしたらあかんよ。 人形 ……。 夏津子 そうよ、お姉ちゃんを見なさい。時々アホになってるから。目は半開きでお口開けるとほら （やってあげる）アホに見えるでしょ。分かった？ 人形 ……。 夏津子 真似しなくていいの。困った子。 そこへダッシュの美津子が帰ってくる。 美津子 （玄関で）ただいまぁ。 夏津子 ……。 明かりが戻ると夏津子の周りに本や服が散らばっている。美津子、 飛び込んできてそれを見つけるとショックのあまりアホ顔になって しまう。 美津子 あんたまた散らかして。今日、お客さん来るねんて。もう、片付けるから手伝い。 夏津子 この子が散らかしてん。 美津子 人形が散らかすかいな。アホなこと言うとかんと、夏津ちゃん。 夏津子 私とちゃうもん。 美津子 こら、優しい言うてる間に片付けんと姉ちゃん怒るで。 夏津子 全然優しない。 美津子 優しいわ。これ以上優しい言い方がどこにある。 夏津子 ……。 美津子 （思いきり優しく）夏津ちゃん。お片付けしましょうね。 夏津子 いや。 美津子 あんた、性格いがんでるで。 夏津子 姉ちゃんがいがめた。 美津子 うちがいついがめたんよ。 夏津子 …もういい。 美津子 ほんなら片づけて。うち、台所するから。分かった？ 夏津子 また言った。 美津子 何て？（台所へ） 夏津子 分かったって。分かってるよ。ね。 夏津子、散らかっている物を片付ける。木枯らしが吹く音が聞こえた。 舞台反対側より信二登場。寒そうに誰かを待っている様子。サングラスを かけ、マフラーで顔を隠した女がやってくる。 女 （ハードボイルドに）合い言葉は？ 信 二 （同じくハードボイルドに）隣の客は？ 女 良くきゃききゅうきゃきゅら…。言われへん！ 信 二 こいつ、偽者だな。バキューン。 女 やりやがったな。マシンガン、シャキン。ダダダダ、ダダダダ。（言えるかな？） 信 二 （回転しながらかわす）危ない！ 手榴弾、ピン、プチッ。ぽい。 女 ひゅうぅぅぅ。バット、シュタッ。カッキーン。 信 二 伏せろ！ 通行人寒そうに通り過ぎる。これは日替わりでも屋台の主人でも神ちゃん でも可。その間今までのやり取りが無かったかのように振る舞う二人。 通行人が通り過ぎたのを確認すると二人、にやっと笑う。 女 腕を上げたな。 信 二 そっちが鈍ったんじゃないのか。 女 生意気言うな。信公。 信 二 …母ちゃん。 この女こそ噂の熊谷家元母、知加子である。二人は会えない日数が作り出す 狭間を、こうやっていつも埋めているのだ。 知加子 どう、元気。 信 二 元気だよ。 知加子 みんなは。 信 二 うん、元気。 知加子 うんこは。 信 二 毎日出てる。（表情が変） 知加子 ？ 昨日何食った。 信 二 ハンバーグ。 知加子 野菜は？ 信 二 …サラダ。 知加子 誰が作った。 信 二 僕と、兄ちゃん。 知加子 嘘ついてる。 信 二 嘘ちゃうもん。 知加子 ちゃんと目、見て。 信 二 ええよ、かっこ悪い。 知加子 やっぱり。しょうがないな。（財布取り出し）これで買い。 信 二 野菜ジュース？ 知加子 今度の水曜日。スーパーエースで一箱千六百六十円。そのチャンスを逃すな。 信 二 二箱も？ あれ、嫌いやのに。 知加子 つべこべ言わない。うんこ詰まって死ぬよ。言っとくけど他のもん買ったらもうお小遣いあげへん からね。 信 二 はーい。 木枯らしが吹いてくる。 信 二 （脂肪がないので寒そう） 知加子 （黙ってマフラー） 信 二 母ちゃん、やっぱり帰ってこうへんの。 知加子 うん。今さら、なあ。 信 二 何でなん？ 知加子 いろいろあんのよ。 信 二 僕が聞いても分からん？ 知加子 信二が大きなったら教えたる。ええやん、時々会えるし。 信 二 う、うん。 知加子 …ごめん、ええ訳ないよな。 信 二 お父ちゃんに黙って来るのはちょっと辛い。何か嘘付いてるみたいで。でもな、お父ちゃんすぐ 泣くし。 知加子 母ちゃんは悪いことしてるなんて思わへんよ。だって信二も忠士もお母ちゃんの生んだ大事な子や もん。これだけは誰がなんと言っても絶対ゆずらへん。 信 二 そうやな。 知加子 そうや。 信 二 お父ちゃんもそう思ってるで。なんやかんや言うても、お父ちゃん頑張ってるもん。 知加子 当たり前や。親子やからな。 信 二 お母ちゃんもお父ちゃんと親子やったら良かったのにな。 知加子 何で？ 信 二 だって、親子は一生親子やけど、夫婦は離婚して夫婦やなくなる。 知加子 何言うてんの。面白い子やね。母ちゃんと信二は血がつながってる。信二と父ちゃんも血がつながっ てる。でもな、母ちゃんと父ちゃんは血がつながってない。赤の他人や。他人同士一つ屋根の下で暮 らしてたらいろんな事があるんよ。夫婦は他人の始まり。 信 二 僕、お嫁さんもらうのやめとこかな。 知加子 そんな事言ってない。他人やと気遣い合ってお互いのこと大事にしてたら、忠士や信二に寂しい思い させてなかった。 信 二 ふ〜ん。 知加子 ほら、分からへんやろ。大きなったら話したる。好きな人ができたら母ちゃんに言い。そしたら話す。 信 二 おるで。好きな子。 知加子 ほんま。それはお見逸れしました。 信 二 父ちゃんの血、引いて無くてほんまに良かったわ。もしそうやったらまともに女の子としゃべれん とこやった。あ、そうや、昨日父ちゃん変なこと言うた。 知加子 なんて？ 信 二 「新しいお母ちゃん欲しいか」やって。笑うで、好きな人もおらんのに。 知加子 そう。 信 二 あれ、ショック？ 知加子 違う。 信 二 でも、もしそうなったら僕、母ちゃん所、行こかな。 知加子 何気つこてるの。母ちゃんそんなん気にせえへん。それに、そうなった方がいいかもね。ただし、 良い人やったら。 信 二 ま、普通じゃ考えられないけど。父ちゃんが彼女作るなんて。おれの爪の垢煎じて飲ましたらな。 知加子 こいつ、偉そうに。 二人、木枯らしの中楽しそうに去って行く。
「婚約発表」 有名な箏曲「春の海」が流れる。雰囲気としてはお見合。八代が熊谷忠介、 忠士親子を案内して入場する。美津子は改まってお茶を持ってくる。まるで からくり人形。いよいよ婚約発表の場面である。ただし、普通の婚約と ちょっと違っているはずなのに、どう違えるかビジョンがない。そこで 基本に忠実にスタートするわけだ。四人座布団に座る。 八 代 本日はお寒い中、ようこそお越しくださいました。 熊 谷 お招きいただき、ありがとうございます。 八 代 あ〜。長女の美津子です。 美津子 ようこそいらっしゃいました。 熊 谷 初めまして。申し遅れました。長男の忠士です。 忠 士 お邪魔します。 八 代 なかなか、立派な息子さんで。 熊 谷 いや、お恥ずかしい。娘さんもなかなか、利発そうな方ですね。 八 代 あ〜。ありがとうございます。 忠 士 親父、何しに来たんや？ ほとんど意味無いことしゃべってるで。 熊 谷 やかまし。ちょっと黙りなさい。大事な話があるねんから。 忠 士 そしたら早よその話したらええやん。 熊 谷 分かってる。分かってますよ。ねえ。 八 代 まあ、忠士君の言うとおりだ。さっそく用件に移らせてもらおう。ねえ、熊さん。 忠 士 親父、いつから熊さんになってん。 熊 谷 いちいち突っ込まなくていい。 忠 士 そしたら黙っとくけど、俺も学校で一部の人間から熊さんって呼ばれてるからな。 美津子 そんな感じでしょ。 八 代 あ〜そう、だ、ね。それじゃ、ややこしいから今は忠士君ということで。 間。 美津子 ねえ、お父さんはなんて呼ばれてんの？ 八 代 八さん。 美津子 へ？ 八 代 はっつぁん。昨日決めたんや。落語みたいでええやろ。熊さん八さん。 美津子 そおね。 忠 士 で、本題は？ 八 代 そうそう。熊さん、どっちから話そう。 熊 谷 じゃ、八さんから。 八 代 いや、熊さんが。 忠士・美津子 （咳払い） 熊 谷 じゃ、順番にちょっとずつ。 八 代 そうしましょう。 熊 谷 では、…。緊張するな。 忠 士 いらいらせえへん？ 美津子 する。 熊 谷 分かった。昨日、わしがおでん屋におったら八さんがひょっこり現れてな。タッチ。 八 代 なんや、もう交代かいな。しょうがない、ばしっと言うたろ。おでんつつきながらしゃべっとった。 苦労話に花咲かしてるうちにすっかり意気投合してしもてな、そのうちにええ考えが浮かんだ。 実はな、…タッチ。 熊 谷 うわ〜、そこで来ましたか。 美津子 もう、二人で何遊んでんのよ。 忠 士 おれ、帰ろかな。 熊 谷 待て、これはお前にも、美津子さんにも関係する重大な話なんや。もうちょっと聞いてくれ。 八 代 そうそう、わしらだけで決める訳にはいかん、おまえらの意見も聞こうってことになったんやから。 熊 谷 ただ、あまりに大きな事だけに、一言で説明するのはなかなか難しい。 忠 士 難しいのは分かったから二言で説明してくれ。 熊 谷 そんなこと…。 忠 士 帰るで。 熊 谷 やってみよう。 八 代 がんばれ。 熊 谷 早よ言えば、結婚話や。 美津子 え！（誤解の始まり） 忠 士 何やて。 熊 谷 八さん、一番短く言うとこういう事やな。 八 代 まあ、間違いではない。 全員息をのみ「ごく」っという音が辺りに響いた。 美津子 そんな、二人だけで勝手に決められたら…。（赤面） 八 代 だから、おまえらに意見聞こう思って。やっぱりいやか。 美津子 （動揺は隠せない）いやって訳じゃないけど。熊谷君の意見も聞いてみんと。 忠 士 （硬直している） 熊 谷 忠士、大丈夫か？ 八 代 ショック大きかったんやろな。 美津子 そりゃ、いきなりやもん。無理無いわ。 忠 士 おれ、昨日このシーン夢で見た。 熊 谷 本当か。 忠 士 うん。 美津子 （嬉しそうに顔が輝く）そんな、夢に見たって…。 忠 士 結婚式の場面まで付いてた。 美津子 熊谷君…。 八 代 予知夢ってやつか。 忠 士 式場に親父がおって、次ぎに俺の目を釘付けにしたあの映像。ウェディングドレスの、（言葉が 詰まる） 美津子 ばか。 忠 士 あんただったのか！ 親父の再婚相手は。 八 代 その通りだ。 美津子 えええええええええええええええええ！（倒れた） 八 代 み、美津子。
続く…