『吹く風と、たんぽぽと』

作　五ノ井幹也

　【キャスト】

　　青　　年（青山　仁）
　　看護婦（宇川裕美子）

　　医　　師（高橋先生）
　　婦　　長（沖ノ島婦長）
　　肝硬変男（渋谷寅男）
　　病名不明（宇津井さん）
　　じいさん（竜巻竜二）

　　裕　　子
　　たんぽぽ（矢田克之）

　　　　　「手術」

　　　　　　救急車のサイレン。緊迫した音楽。幕が開く。担架に乗せられた男が
　　　　　　手術室への長い廊下を病院スタッフによって運ばれていく。そばで
　　　　　　呼びかけ続ける女（裕子）。いよいよ手術室前につくと医者は彼女に
　　　　　　ここで待つように指示。オペの用意をする。手術用の照明に切り替わり
　　　　　　オペが始まった。執刀医にメスが渡される。開腹。たちまち彼の手は
　　　　　　真っ赤な血に染まった。鉗子、輸血、吸引。かなりの難しい手術のよ
　　　　　　うだ。汗を拭く者。心拍数を読み上げる者。気がつくと赤い血に染まっ
　　　　　　た者が多い。舞台上手には廊下で祈る女。やがて縫合がおこなわれ
　　　　　　手術は終わった。照明が消された。辺りはやっと静寂に包まれる。
　　　　　　廊下の女の所へ執刀医が現れる。急ぎ立ち上がる女。

裕　子 　　先生。
執刀医 　　出来るだけのことはしました。一命は取り留めたでしょう。
裕　子 　　じゃ、助かるんですね？
執刀医 　　しかし。
裕　子 　　え…。
執刀医 　　頭部にもかなりの損傷が見られます。命は取り留めたとしても、意識が戻るかどうかは保証できません。
裕　子 　　植物、人間。
執刀医 　　断定は出来ませんが。可能性は大いに。
裕　子 　　…どんな姿でもいいです。生きてさえいてくれれば。
執刀医 　　全力を尽くします。（彼女を残し退場）

　　　　　　手術台が片づけられる。見るとその場所にうずくまっている男が一人。
　　　　　　まるで目覚めるかのように顔を上げる。


たんぽぽ 　たった今、小さい頃の夢を見た。周りにいる大人達は僕の何倍も大きく、父なんか髭だらけの顎しか見えな
　　　　　　かった。見上げた髭の向こうには、夏の空と陽の光。いつか僕もあれぐらい強くなるぞって思ってました。あれか
　　　　　　らいくつの昼と夜を過ごしたのか。今ではもう思い出せません。さらさらとした時の流れがいつのまにか僕を今へ
　　　　　　と運んでいきました。思い出の中の父はいつまでも色あせないのに、目の前の父はあの頃に比べて小さく、色
　　　　　　あせて見え、そしていつしか目の前からも消えました。後に残ったのは冷たい風に舞う木の葉。いつか僕もそう
　　　　　　なることは分かっていたのに、まだ何もできていない。急がなければ。行かなければ。思いばかりが責めたてる。
　　　　　　いつか僕も、そうなることは分かっていたのに…。教えてください。僕は何をすればこの世に生きてた証を残せる
　　　　　　んですか！　教えてください。僕の生きてきた意味は何だったのか！

　　　　　　曲。夕日のような明かりが彼を映し出す。上手の女は一人ゼリフの
　　　　　　途中に退場。たんぽぽを包む明かりも次第にゆっくりと消えていこうとする。

　　　　　「ラジオ体操」

　　　　　　ラジオ体操オープニングの音楽が聞こえてくる。ここは病院の一角。
　　　　　　患者と職員数名が朝のラジオ体操をしに集まってくる。入院している
　　　　　　くせに妙に元気そうな者（宇津井さん）。よろよろのじいさん（竜巻さん）。
　　　　　　いかにも酒好きという感じのおっちゃん（寅男さん）。婦長さん。先生。

高橋先生 　はいみなさん、集まって下さい。今日も元気にがんばりましょう。
患者達　　　はーい。
たんぽぽ 　何だ！お前ら、人がせっかく作った雰囲気こわしやがって！
高橋先生 　それでは婦長さん、音楽、お願いします。
沖ノ島　　　分かりました。
竜巻さん　　婦長さん、はんこ下さい。
寅男さん 　　また何をアホなこと言うとるんや。
沖ノ島　　　はあい、竜巻さん。はんこは体操が終わってからですよ。
たんぽぽ　　ちょっと待て、お前ら何者だ！急にざわざわ出て来やがって。
竜巻さん 　みなさん、ここの看護婦は嘘付きです。私がラジオ体操に来ているのにはんこをくれません。
宇津井　　　あげたらどうです？
高橋先生 　だから、体操が終わったらあげますって。
竜巻さん 　　…。ここの病院は先生まで嘘付きです。
たんぽぽ 　　あんたもわからない人だな。
竜巻さん 　　わしは今朝、もう体操をした！
沖ノ島 　　　おじいちゃん、いい加減にしないと怒りますよ。みんなこれからするところです。
高橋先生 　そうですよ。
たんぽぽ 　そうだってよ。
竜巻さん 　　…。うそつきです！
寅男さん 　　らちあかん。始めましょ。
宇津井 　　　その方がいいようです。
高橋先生 　それじゃ、体操の隊形に開け。
みんな 　　　やー！
竜巻さん 　　わしは騙されんぞ。
高橋先生 　前へ習え。直れ。番号！
沖ノ島 　　１！
寅男さん 　２！
宇津井 　３！

　　　　　　つぎの竜巻さんがふてくされているもので、気を使ったたんぽぽが
　　　　　　代わりに参加する羽目になる。

たんぽぽ 　４！

　　　　　　一瞬、その場の空気が停止する。不思議そうなたんぽぽをみんなが
　　　　　　取り囲む。

たんぽぽ 　何だよ。なんかしました？私。
寅男さん 　新顔やな。
宇津井 　　ちょっとまずいです。
たんぽぽ 　何が。
高橋先生 　ここがどういう場所か考えてみればわかると思いますが…。
竜巻さん 　（笑顔で）婦長さん、わしまだはんこ、もらっとらんから。
他の皆 　　（口々に）さ、もう一回挑戦だ。
たんぽぽ 　ちょっと…
高橋先生 　気を取り直して参りましょう。前へ習え。直れ。番号！
沖ノ島 　　１！
寅男さん 　２！
宇津井 　　３！

　　　　　　次の竜巻さんがまだふてくされているもので、たんぽぽ抜けられない。

たんぽぽ 　４…。ほら、人が質問してるのに教えてくれないから…。集まってくるなよ。
寅男さん 　説明したって。
高橋先生 　ここがどういうところか分かるでしょ。
たんぽぽ 　何となく。
沖ノ島 　　そういうところにはあってはならない禁断の数字って分かります？
たんぽぽ 　あ、
高橋先生 　うちじゃ、そういう所に十分気を使ってるんですよ。
寅男さん 　エレベーターに乗ったら
宇津井 　　上へ参ります。（チーン）２階です。（チーン）３階です。（チーン）５階です。
たんぽぽ 　止まらないんだ。
先生・婦長 　いいえ、存在しないんです！
寅男さん 　　廊下を歩けば。
宇津井 　　５０１、５０２、５０３、５０５…
たんぽぽ 　飛んでる。
沖ノ島 　　当然でしょう。
高橋先生 　あと、８と１０の間にある数字もいけません。苦しむですから。さらに、他に言ってはいけない数字もあるん
　　　　　　です。１８と２０の間。
宇津井 　　ちーん。（空を見上げて手を振る）
高橋先生 　それからこれ、分かります？

　　　　　　寅男さん、竜巻さんをドスで刺すアクション。竜巻さん協力してのたうち回って
　　　　　　事切れる。

たんぽぽ 　これが、数字ですか。
沖ノ島　 　６３と６５の間なんです。
たんぽぽ 　え、無視？　分かった虫の息！
高橋先生 　違います。みなさんごいっしょに。
皆 　　　　　死の惨状。こわー。
たんぽぽ 　考え過ぎだろ。
高橋先生 　いいえ。病は気からって言葉、ご存じですよね。ここでは患者さんに徹底した健康管理と精神衛生確保の
　　　　　　指導を行い回復を早めるという方針で運営されている。これを我々は開発者、綾乃小路先生の名前をいた
　　　　　　だき、綾乃小路健康回復システムと呼んでおります。事実成果の方もあがっているのです。
たんぽぽ 　納得いかねえな。
竜巻さん 　そうだ、納得いかない。はんこを押せ！
沖ノ島 　　だから、体操が終わってから。

　　　　　　竜巻さん、記憶が再びよみがえり、婦長に向かって突撃をかけた。混乱。
　　　　　　その中突然たんぽぽの発作が始まった。

たんぽぽ 　（頭を抱えうずくまる）ああ…。
宇津井 　　ちょっと待って！　あの人。
高橋先生 　皆さん静かに。
寅男さん 　聞こえる。風や。またあの風が吹いてくる。
竜巻さん 　たしかにあの風の気配じゃ。
沖ノ島 　　たんぽぽさん、大丈夫ですか？
たんぽぽ 　たんぽぽ？　俺が？
沖ノ島 　　そうですよ。
高橋先生 　沖ノ島君、そう言うこと言っちゃ。
沖ノ島 　　あ、すいません。
たんぽぽ 　誰なんだ。俺は。
寅男さん 　まずいんとちゃうか？　そいつ。
宇津井 　　今が一番大切なときですから。
高橋先生 　急いで病室に運びましょう。皆さん、協力して下さい。
竜巻さん 　　はんこ、くれたら。
沖ノ島 　　しょうがないわね。はい！（ついにはんこを押す）
竜巻さん 　よし！　みんな、行くぞ！
寅男さん 　現金なじいさんや。
たんぽぽ 　待て！　どこへつれて行くんだ！　待ってくれ！

　　　　　　たんぽぽ、みんなにかつぎ上げられるようにベット（舞台装置の一つ）に運ばれる。
　　　　　　暗転。

　　　　　　「出会い」

　　　　　　明かりの下鶴を折る女。そばには生命維持装置を付けた植物人間の彼がいる。
　　　　　　現実の世界。できあがった鶴をまた一つ糸に通した。看護婦（宇川）が現れる。

宇　　川 　裕子さん、彼、かわりありませんか。
裕　　子 　ええ。ずっと眠ったまま。
宇　　川 　そうですか。ああ〜これだいぶ出来ましたね。
裕　　子 　最初の頃勢い込んで作ってたんだけど、今はなんだかできあがってしまうのが怖いようで。
宇　　川 　考え過ぎですよ。そろそろ消灯時間ですから、後は私達に任せて休んで下さい。裕子さんも疲れてるでしょ。
　　　　　　ずっとつきっきりで。
裕　　子 　でも、かっちゃんには身寄りが私しかいないから。
宇　　川 　何て事言うんですか。私という強い見方がいるじゃないですか。大丈夫、新米ですけど克之さんのことだけは
　　　　　　ちゃんと見ておきますから。
裕　　子 　ありがとう。かっちゃんも隅に置けないわね。可愛い看護婦さんにあんな事いってもらって。
宇　　川 　いや、可愛いってそんな…。
裕　　子 　なんで泣くのよ。変な子。（看護婦が出ていくのを見て）今日はこれでおしまい。もう少しで完成だよ。ひとりで
　　　　　　がんばってるんだからね千羽鶴。かっちゃんもがんばってね。

　　　　　　話しかけても答えてくれない。生命維持装置の音が静かに響く。

裕　　子 　ここ、静かすぎるね。

　　　　　　カセットをかける。（リチャードマークスのＮＯＷ　ＡＮＤ　ＦＯＲＥＶＥＲ）

裕　　子 　（出来たら一緒に聞いていたいんだけど…）この曲好きでしょ。聞こえてるでしょ？　寂しくないようにかけたまま
　　　　　　で帰るからね。また明日。必ず来るから。…じゃ。

　　　　　　枕元に鶴を置くとカーテンを閉め、病室を出ていく裕子。一方、別の病室のベットで先ほど病室に運ばれたたん
　　　　　　ぽぽが目を覚ましてみると…。

たんぽぽ 　ああ、…ここはどこなんだ。
青　　山 　病院の５０５号室。それもベットの中です。
たんぽぽ 　そうか、あの時ひどいめまいがして。
青　　山 　それで、もう治まったんですか？
たんぽぽ 　ああ。なんとか。
青　　山 　それじゃ、出ていってくれませんか？　ここ僕のベットです。
たんぽぽ 　そりゃどうもって、何だ！

　　　　　　跳ね起きるたんぽぽ。見ると同じベットにもう一人若い男がいる。
　　　　　　ゆっくりと起きあがる彼。

たんぽぽ 　だれだあんた。
青　　山 　僕の方が聞きたいですよ。あんた誰なんですか。
たんぽぽ 　だれって、ここの患者だよ。
青　　山 　僕だってここの患者ですよ。
たんぽぽ 　また、人をからかう。変なことしなかっただろうな。
青　　山 　してません。それにからかっているのはあなたでしょ？
たんぽぽ 　いや、だって、そうだおれはここの病院の先生と婦長に運んでもらったんだ。直々だぞ。変なのもいたけど。
　　　　　　婦長が空いてる病室を間違うはずはない。そう思うだろ？
青　　山 　普通はね。
たんぽぽ 　そうだろう、そう思うだろ。つまりここはおれの病室で、間違っていたのは君と言うわけだ。
青　　山 　なんだかなぁ〜。そこまで言われるとこっちも引き下がりたくないですね。
たんぽぽ 　お、来るか来るか？　やるんだったら受けて立ちますよ。
青　　山 　僕はね、今日晴れて入院したんだ！
たんぽぽ 　そりゃおめでとう。
青　　山 　めでたくないですよ。風邪が長引くなと思って病院に来たら、「２〜３週間泊まって行ってよ」だって。若いん
　　　　　　だからすぐ直るよって。２〜３週間のどこが「すぐ」なんですか。あと１時間休んだら単位やらないって大学の
　　　　　　授業があったのに。
たんぽぽ 　なんだそれくらい。俺なんかもっとすごいもんね。いつ入院したか知らないんだもんね。
青　　山 　なんで知らないんですか？
たんぽぽ 　記憶ないんだもんね。どうだ、記憶喪失なんてお前なったことないだろ。すごいだろ。火曜サスペンスでしか
　　　　　　見たことないだろ。
青　　山 　ちくしょう、なんでそんなに自慢げなんだ。
たんぽぽ 　どうだ、素直に負けを認めてここから出ていきたまえ。
青　　山 　こっちだって負けませんよ。僕はね、ガン、かも知れないんだ。
たんぽぽ 　なんだよ、そのかも知れないってのは。
青　　山 　ちゃんと聞いた訳じゃありませんから。
たんぽぽ 　なんだ、それじゃ話にならねえじゃないか。
青　　山 　でもね、でも気になり出したら気になることがいっぱいあるんですよ。僕が冗談で「先生、ガンだったら教えて
　　　　　　下さいね」って言ったら、先生、目、そらすんだよ。
たんぽぽ 　おい、それやばくないか？
青　　山 　まだあるんですよ不気味な兆候。親にね、入院生活は暇だから、任天堂６４のスーパーマリオがしたいなって
　　　　　　一言言ってみたら。
たんぽぽ 　どうしたんだ。
青　　山 　親が汗拭きながら買ってきたんですよ。日本橋まで行って。
たんぽぽ 　それ、やばいよ。
青　　山 　でしょう？　きっと僕、死ぬんだ。来年の今頃まで生きてられるかって今、布団の中で考えてたら不安で不安
　　　　　　で。（泣く）
たんぽぽ 　君の話は聞いた。きっとつらいだろう。よく分かった。不安で不安でたまらなくなっておれのベットにもぐり込ん
　　　　　　だってわけだ。
青　　山 　違います！　腹がたつな。僕がちょっとうとうとした隙に、あんたの方が潜り込んだんだ。よし、決定的な証拠
　　　　　　見せましょう。あそこの包み開けてみて下さいよ。任天堂６４が入ってますから。
たんぽぽ 　甘いね。そんなもの証拠にならないね。
青　　山 　どうしてですか。
たんぽぽ 　持って来たかも知れないもんね。
青　　山 　むかつくな！本当。あなたいやな性格だって言われたことありませんか？
たんぽぽ 　関係ないね。
青　　山 　ひどい、あと一年生きられるかどうか分からない人間に対して、その仕打ちはひどすぎる。
たんぽぽ 　だいたいね、自分がガンだガンだって言ってるけど本当にそうなのか？　そんなに心配ならなんでちゃんと
　　　　　　聞いてこないんだ。
青　　山 　聞けませんよそんなこと。医者だって告知派と告知しない派がいるって言うし。
たんぽぽ 　じゃあまだ分からないんじゃないか。本当のことは。
青　　山 　…人っていつか死ぬんですよね。たとえ僕がガンじゃなかったとしても、僕は必ずいつかは死ぬんだ。
たんぽぽ 　いつかってそりゃ当たり前だよ。昔からそう決まっているんだ。
青　　山 　そうですよね。僕は昨日まで自分が死ぬなんて事頭の隅にもなかったんですよ。その辺にいる人みんなそうです
　　　　　　よ。明日も、あさっても生きることが当たり前だと思って暮らしているんだ。
たんぽぽ 　元気なときはそういうもの。人間なんて都合良くできてるんだ。
青　　山 　痛いのはイヤだな。苦しいのも。
たんぽぽ 　おれなんか絶対いやだからね。ちょっとでも痛かったらすぐ「殺して下さい」って頼んじゃやうもん。尊厳死って
　　　　　　いうの？　この間なんか歯医者で頼みそうになったもんね。
青　　山 　あんた絶対切実に考えてませんよ。僕なんかさっきから本気で悩んでるんですから。
たんぽぽ 　…悪かったよ。
青　　山 　死ぬのは怖いです。でも生きて苦しみ続けるのも怖いです。どっちにしろ苦しむんだったら早く楽になってしまった
　　　　　　方が。もしあなたが後少しの命だって分かったらどうします？　まじめに答えて下さい。
たんぽぽ 　俺が？　そうだな。もしそうなったとしたら。（間）難しいこと聞くよな。でも、やっぱりもう駄目だって思ったときに
　　　　　　死なせてくれって言うな。
青　　山 　どうして？
たんぽぽ 　納得して死にたいからな。
青　　山 　納得ですか。
たんぽぽ 　そうだな。痛いとか苦しいのから逃げ出したいっていうのもあるけど、自分がいつ死んだかも分からないように
　　　　　　なってから死にたくない。俺は自分の手で、死を選ぶんだって。かっこいいじゃないか生き方として。
青　　山 　そうですね。
たんぽぽ 　死ぬ間際になっても、かっこつけられるかどうか自信ないんだけどね。案外泣き出してるかも知れないな。
　　　　　　助けてくれ〜って。
青　　山 　まだ聞いてませんでしたね。あなたお名前は？あ、覚えてないんでしたっけ。
たんぽぽ 　そっ。だけど、他の奴等は俺のことをたんぽぽって呼んでた。
青　　山 　たんぽぽさんですか。変わった名前ですね。僕は青山って言います。
たんぽぽ 　よし、青山君！　君のために何かできることをやってやろう。
青　　山 　それより非を認めて出て行ってくれた方が。
たんぽぽ 　何を言っている。君に今必要なのは孤独じゃない。人の温もりだ！ハートだ。音楽だ。これ、青山君の？
青　　山 　はい。
たんぽぽ 　俺、なんだか弾けそうな気がするんだ。やってみてもいいかな。
青　　山 　へえ、すごいじゃないですか。何か思い出すかも知れませんよ。
たんぽぽ 　（ギターを取り出す）いいの持ってんじゃない。（弾いてみる）じゃ、一番好きな奴。

　　　　　　たんぽぽおもむろに弾き始める。あの曲だ。勘のいいお客さんはもうこれで
　　　　　　分かっちゃうかも知れない。曲の途中で再びたんぽぽに発作が起こる。
　　　　　　曲が止まった。

青　　山 　どうしたんです。たんぽぽさん。
たんぽぽ 　まただ、何なんだこの感覚は。
青　　山 　なにか思い出したんですか？
たんぽぽ 　分からない。だけど呼んでる。何かが俺を。行って来る。
青　　山 　たんぽぽさん！　どこ行くんですか！　それ僕のですよ！

　　　　　　たんぽぽの姿はもうない。一人残った青山青年の所にさっきの看護婦さんがやってくる。

宇　　川 　消灯時間すぎてますよ。青山君、寝て下さい。
青　　山 　看護婦さん、今ギター抱えて走っていった人、ここの病室の患者さんだって言ってましたけど、ここ、僕の病室
　　　　　　ですよね。
宇　　川 　そうですよ。昼間からずっとこの５０５号室でしょう。今の所この病室の患者さんはあなた一人です。
青　　山 　やっぱり。僕の勝ちだ。
宇　　川 　さっきの人って？
青　　山 　たんぽぽさんです。記憶喪失にかかっている。会いませんでした？
宇　　川 　いいえ、私は。違う階の患者さんが間違えたんじゃないですか。安心して眠って下さい。じゃ。
青　　山 　そう、ですか…。あの、看護婦さん。ついでにもう一ついいですか？
宇　　川 　はい。
青　　山 　僕、良くなりますよね。今までみたいに。
宇　　川 　当たり前です。青山君の病気は安静にして、点滴で栄養を補給すれば良くなります。
青　　山 　先生と同じことしか言わない。
宇　　川 　だって、そうなんだもん。
青　　山 　みんな、優しいんですね。何とかして僕に希望を持つように気を使って。大丈夫です、覚悟は出来てます。
宇　　川 　あのね、どう言えばわかるのかな。
青　　山 　ずばっと。
宇　　川 　入院したその夜が一番不安なんだって。昨日までいた世界と、こことじゃ何もかも違って見えるでしょ。このまま
　　　　　　ここから出られなくなったらどうしよう。もしかして治らない病気だったら。そうだ、ガンかも知れない。そう思って
　　　　　　るんでしょ。
青　　山 　ガン、じゃないんですか。
宇　　川 　私を信じる？　だったら本当のことを教えてあげる。
青　　山 　…（うなづく）
宇　　川 　あなたはガンではありません。分かった？
青　　山 　（やっと笑った）だとしたら、バカみたいだね。
宇　　川 　ちょっとね。（つられて笑う）そうだ、青山君って丸山中学出身でしょ。
青　　山 　え、なんで知ってるの？
宇　　川 　住所見て。わたし隣の小池中。
青　　山 　そうなんだ。じゃ、深田池とか知ってる？
宇　　川 　マイナーだけど子供の頃良く行った。
青　　山 　そうなんだ。え、看護婦さんいくつ？
宇　　川 　青山君と同じだよ。
青　　山 　うそ、そんなかっこしてるから、もっと上かと思ってた。しっかりしてるね。
宇　　川 　してないしてない。まだ新米だから。実は看護婦さんって呼ばれるのも慣れてないんだ。宇川でいいよ。
青　　山 　分かった。宇川か。でも、新米にしちゃさっきの話っぷりは説得力があったよ。
宇　　川 　そんなことないって。注射、下手よ（笑う）。今度やってあげるね。
青　　山 　ええ、いやだな。
宇　　川 　練習台にちょうどいい人探してたんだ。おっと、もう行かなきゃ。じゃあね。
青　　山 　うん、ありがとう。おやすみ。

　　　　　　青山君、出しっぱなしのギターケースを眺め首をすくめる。暗転。

　　　　　　「虚構再び」

　　　　　　ここはみんなのいる病室。よってたかって阪神戦の観戦中。９回裏、
　　　　　　ワンナウトランナー１塁３塁。一打逆転でバッター和田という場面。
　　　　　　一見病室のようであり、ベットに寝ている人は一人もいない。なぜか
　　　　　　高橋先生と婦長も一緒に観戦中である。

寅男さん 　和田ー！　絶対打て！
宇津井さん 　山場ですね。
竜巻さん 　神風は吹く！　オリャー！
沖ノ島 　　絶対です。みなさん、祈りましょう。
みんな 　　なんまいだーなんまいだー。
寅男さん 　ピッチャー和田に対して第３球投げた。（かーん！）　詰まった辺りがふらふらーっと、これは面白いところに
　　　　　　上がりました。ショートバック（婦長）。レフトセンター（高橋、宇津井）猛然と前進。サードランナー（竜巻）タッチ
　　　　　　アップの準備。

　　　　　　みんなはこの実況中継に合わせ場面を再現する。舞台は一瞬
　　　　　　甲子園球場と化す。

寅男さん 　ショート取った！　深い位置です。３塁ランナータッチアップ。振り返ってダイレクトにバックホーム！　送球
　　　　　　わずかにそれた！　キャッチャー古田（寅男）これを取ってタッチ！　アウトかセーフか？

　　　　　　不意に現れたたんぽぽ。テレビのスイッチを切る。一瞬の間。

たんぽぽ 　みんなに聞きたいことがある。
寅男さん 　何てことするんだてめー。
竜巻さん 　神風が！
高橋先生 　早くスイッチを！

　　　　　　急ぎスイッチを入れる宇津井さん。無情にも実況は告げた。

寅男さん 　試合終了！　３対２。阪神、連敗街道まっしぐら！　いやあ、掛布さんきわどいプレーでしたね…。
宇津井 　いやぁ、今のプレーは…。（テレビぷつっ）
みんな 　お前のせいだ！
たんぽぽ 　ちょっと待ってくれ。何で阪神負けたの俺のせいだよ。
高橋先生 　分かってませんね。入院患者にとって野球放送がどれほどの楽しみなのかを。特に熱狂的阪神ファンにとって
　　　　　　はダイナミックナイターはストレス発散の最重点項目です。
みんな 　そうだ！（う〜ん）
たんぽぽ 　でも阪神でしょ。余計にストレスたまると思うけどな。
みんな 　余計なお世話だ！
寅男さん 　それはおのれが止めて阪神が負けたからじゃ！
たんぽぽ 　だから、俺が止めようとどうしようと勝つときは勝つし、負けるときは負けるじゃないですか。
竜巻さん 　こいつじゃ、神風を信じんこいつがいるから神風が吹かなかったのじゃ。
たんぽぽ 　甲子園で吹くものと言えば、浜風ぐらいですよ。
宇津井さん 　その浜風がショートからの返球をそらせたと言ったらどうします？
たんぽぽ 　まあ、仮にそうだとしても、ここと甲子園とは…。まさかあんた達が吹かせたなんて言わないよな。
宇津井 　吹かさなかったとも言いません。

　　　　　　間。不思議な音楽。

たんぽぽ 　あんた達、何者だ。
竜巻さん 　風の谷のナウシカ…
他全員 　だぁぁ！
寅男さん 　先生、そろそろこの新入りにもほんまの所、教えたらなあきまへんで。
高橋先生 　いや、しかし。ねえ沖ノ島君。
沖ノ島 　それは、彼個人の問題とも大きく関わりますから。
たんぽぽ 　何が関わるんだ。
竜巻さん 　急ぐことはない。
宇津井 　そう、何も急ぐ必要はないんですよ。たんぽぽさん。
たんぽぽ 　いや、俺には時間がない。何かが呼んでいる。急がなければならない。そんな気がするんだ。とてもじっとして
　　　　　　いられないほど。俺は一体何者なんだ。俺を呼んでいるものは何なんだ。
高橋先生 　…あなたを呼んでいるのはあなた自身。でもそれは最後の時を迎えるのを恐れる過去のあなたです。いいん
　　　　　　ですよ、耳を貸さなくても。
宇津井 　気持ちは分かるんだけどね。
寅男さん 　誰でも一度は通る道。
たんぽぽ 　最後の時？　何のことだ。過去の俺って何のことだ。
沖ノ島 　今のあなたは揺れています。でもそれも永遠に比べればほんの一瞬の出来事。やがて私たちと同じあなたに
　　　　　　なれます。
たんぽぽ 　来るな！　来ないでくれ。集まってくるな！
高橋先生 　みなさん、たんぽぽさんにもうすぐあの風がやってきます。彼につかまって懐かしい世界を見に行きましょう。
　　　　　　そして、彼が本当に我々の仲間になれるよう、見守りましょう。
婦長 　たんぽぽさん、気が付きました？　５０５号室の謎。
宇津井 　５０５号室は未知の世界への扉。
寅男さん 　存在しない我々の世界への入り口。
たんぽぽ 　お前達の仲間になんか。やめろって、じじい、いい加減にしろ。

　　　　　　みんなたんぽぽのどこかにつかまる。予告通りたんぽぽに発作が起こる。
　　　　　　抵抗することが出来ないたんぽぽ。みんなの顔はなぜかうれしそう。

寅男さん 　来よったで。あの風や。
高橋先生 　しっかりつかまって。振り落とされないように。いいですね。
みんな 　はい！　さあ行こう。懐かしい世界へ！

　　　　　　光、音。まるでトランスポート。虚構の世界から現実の世界へ旅行する方法は
　　　　　　死にかけている人間の魂の揺らぎの風に同行することだったのだ。みんなに
　　　　　　かつぎ上げられるようにたんぽぽは空中に浮遊した。

続く…

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