創作脚本の部屋へ 作 ちゃっぷ 潤色 ごのい
【キャスト】（女8）
恵
山 田
紗 南
文 香
有 紗
彼 方
お姉さん
別なお姉さん
「雨のバス停」
薄暗い青い朝。雨のバス停。新興住宅地の始発バス停らしく、途中のバス停に比べ多めのベンチが二ヶ所ほど。ちょっとした
雨を防げる屋根もある…、ってな感じのバス停。そこへ会社へ向かう一人のＯＬが傘をさして登場。バス停に到着すると、傘の
しずくを払ってたたみ、濡れた肩口をカバンから取りだしたハンカチで拭いている。ふと感じた違和感にハンカチに目を落とす。
雨のしずくでメガネが濡れているせいか、お姉さんの目には有るはずのないものが映っていた。
お姉さん クツシタ…。まさかお前は、クツシタでは？ しかも父の。父、何故あなたは娘のカバンにクツシタを入れる？ 何故アタシはこんな雨のバス停で、父の
クツシタを握りしめている？ 雨のバス停で父のクツシタ握りしめたＯＬは、世間様にはお茶目を通りこしてモロ腹イタい。イタ過ぎる…。はて、相方はどうした？
お姉さんはカバンを確認。そこにあったのはもう片方のクツシタ。取り出す。
お姉さん 母の…。おいクツシタ、相方というのはそう言う意味ではないな。二人そろって娘をおちょくるのは辞めて欲しい。このうっとうしい雨の月曜朝に、会社という
荒波渦巻く大海へ、鮫島と磯村という鬼上司の待つ大海原へ、意を決して漕ぎ出そうとする娘を思いやる余り、思いやりの方向性を見失わないでいて欲しい。
突如、カバンの中のスマホが鳴り響く。驚いてクツシタをカバンにしまい、スマホを取り出す。声と表情を整えあくまでお上品に。
お姉さん はい、天野です…
お父さん あ、メグちゃ〜ん、パパのクツシタ、知らない？
お姉さん 知るかぁ！
お父さん 昨日の晩にさぁ、出しとい（ぷつ…）
スマホを切り、怒りの余り肩で息をするお姉さん。
お姉さん 父、自立せよ。足元のおぼつかない娘を気軽に頼らないで欲しい。何がメグちゃんだ、何がパパだ。父、あなたはもうすぐ還暦ではありませんか。
再びスマホは鳴り響く。一々驚いて電話に出るお姉さん。
お姉さん そんなに欲しけりゃバス停まで取りに来なさいよ！ あ、鮫島係長。おはようございます。…いえ、来て頂かなくても。はい、結構です。で？ …今？
出勤途上です。…あ、その件なら先週末に発注完了しておりますが、ええ。おはぎ６０人前、越前製菓の、ハイ。…（笑顔がパニック顔に急変する）え？
６００になってる？ ０いっこ多かったんですかね６００人前って。（冷や汗が出てきて、無意識に父のクツシタで額の汗を拭いている）…ええ、おはぎは
好きですが…。
電話の向こうで鮫島係長が怒鳴っている。耳を遠ざけやり過ごすお姉さん。急いでクツシタをカバンに戻す。
お姉さん 申し訳ありません。至急連絡を取って、いえ、この足で行ってきます。…はい。…その時は、もう、…ハイ。ご迷惑をおかけしました。失礼します。
電話を切った。
お姉さん やってしまったのだろうか。またまたやらかしてしまったのだろうか。ああああ、憂鬱。
雨が一段と強くなる。
お姉さん 磯村部長のことを「パパ」と呼び、社内に変な空気を充満させて以来、家でも「父」を「父」と呼ぶように心がけてる天野です。このまま何処か、遠い海の
底へ消えてしまいたい根性無しの天野です。
気付けばそこは深い海の底。
お姉さん ああ、あ〜〜〜あ、シーラカンスになりたい。私の将来の夢、シーラカンス。ラティメリア・カルムナエ。進路希望調査、シーラカンス。かっこいい。息を潜めて
億万年。遠くて深い海の底に潜んでるの。どんな嵐が来ても怖くない。平気。鮫島平気。磯村部長？ 関係無いもん。ここ深海だから。進化？ そんなのどっち
でもいい。シーラカンス。神様、仏様、観音様、どうか私をシーラカンスにしてください。帰りの終電時刻気にしながら、おはぎの発注掛けてたあのトキに戻れたら、
もっと小マシな未来が有るはず。そんな思いはもうタクサン！
そのとき、ゆっくりとバス停に近づく別なお姉さん。傘をたたみ、お姉さんとは少し離れた屋根の下に収まる。
肩越しの横顔は、懐かしいあの子？ 別のお姉さんがカバンから一冊の手帳を取りだしたのを見て、お姉さんは
確信した。あの子だ。
お姉さん あ、山田…。
その女は、かすかにお姉さんの声に反応したようにも見えたし、しなかったようにも見えた。明かりが落ち、ブルーの闇が舞台を包む。
お姉さんの立ち位置に高校時代の恵が、別のお姉さんの立ち位置に高校時代の山田が現れ入れ替わる。
「あの朝のバス停」
あの日のバス停。ここも雨。ふたりの少女が、バスを待っている。恵は楽譜のファイルを、山田は手帳を、それぞれ開いている。
お姉さんは少し離れた場所から二人を見つめている。
恵 あ、山田…。
山田はかすかにその声に反応したようにも見えたし、しなかったようにも見えた。恵は少し咳き込んだ。咳払いして小さなため息。
風邪気味みたい。
恵 憂鬱…。
お姉さん あの日も雨の月曜日やった、
恵 憂鬱な朝。間の悪い朝。
お姉さん どんより青い朝。
恵 歌のテストがある日に限って風邪をひく朝。
お姉さん 私は昔もそんな奴。あんまり会いたくない気分の山田より、一本早いバスに乗ろ思たのに、出だしから大誤算の朝。
恵 雨の日はいつまで待ってもバス、来えへん。
お姉さん 私の現実逃避の妄想は、時として時空を超える。ここで、この場所で、何千回の憂鬱を味わったのだろう。雨の朝、忘れ物をした予感がする朝、授業で
マラソンがある朝、友達とケンカした朝。もう二度と味わいたくないクセに、もう一度やり直したい朝。私はあの日の私の前に、のこのこと戻って来た。
意を決したかのように恵に近づき話しかけるお姉さん。
お姉さん バス、来ませんね。
恵 あ、はい。
お姉さん どれぐらい待ってるの？
恵 もう１５分ぐらい、です。
お姉さん どうせならこのまま来んといて欲しいよね。バス。
恵 え？
お姉さん そしたら会社、休めるもん。
恵 いいんですか？
お姉さん 良くない。殺される。
恵 あはは。
お姉さん でもさ、たまにはね、そんなコト思ったりするわけ。
恵 辛いんですね、仕事。
お姉さん （思い出す）…あ、あぁ〜。おはぎ。
恵 何て言ったらいいか。
お姉さん 同情されてる、昔の自分にまで同情されてる。
恵 大丈夫ですよ。きっと。
お姉さん おまけに励まされてる。
恵 元気出してください。
お姉さん ありがとう。
恵 そうですよね。何とかなる。
お姉さん 何とかね。
恵は視線を山田へ向ける。長〜い沈黙。そこへ、一人の少女が歩いてくる。紗南である。
紗南 あ〜、メグちゃんおはよ〜！
お姉さん 紗南。良かった。この気まずい状況をとりあえずこいつは何とかしてくれる。
恵 （気を取り直して）おはよ〜。ゲホ。
お姉さん そんなこと、思ってた気がする。
お姉さんはバス停の下、少し離れたところへ移動し、高校生たちの様子を眺める。
紗南 どしたん？
恵 ごめん、ちょっと、風邪気味？
紗南 あかんやん。
恵 なんでやろ。風邪ひいたらあかんあかんと思って、加湿器つけてマスクして、モンスターエナジー三本飲んで栄養付けて早よ寝たのに、寝られへんかった。
紗南 めっちゃモンスターやん。あれ、カフェインとか入ってんで。
恵 まじか。マジなのか？
紗南 マジっす。メグちゃん電柱にぶつかったらあかんって思ったとたんに、電柱に吸い寄せられるタイプやから。
恵 最悪、どうしよ歌のテスト…
紗南 なんとかな…！（山田に気づく）や・ま・だぁ〜〜〜〜〜〜〜〜！！
山田の首に抱きつく紗南。
恵 聞いてへんし。
山田 うぉっ！？
紗南 久しぶり〜！ 元気してたん？
山田 はは、まあまあかな。
紗南 学校で全然会われへんからさ、さみしかった。
山田 まあ、１組と８組やしな。うちも探しててんで？
紗南 ほんま？
山田 ほんまほんま。
紗南 嘘でも嬉しいわ。
山田 嘘ちゃうし。
紗南 だって、手ふっても気づいてくれへんし〜。
山田 それはごめん。
紗南 ムカツクから頭振って、腰振って、ケツ振ったら走って逃げたやろ。
山田 あれ、紗南か。
紗南 誰やと思ててん。
山田 すごく、痛い人？
紗南 それがウチや。
山田 直視できんかったもんで。
紗南 ま、紗南ら学校じゃ影、薄いからな。山田も気配、消してるやろ？
山田 そんなこと、ないけど。
紗南 そっか？ 教科書借りに教室行ってもおらんし。
山田 それもごめん。…でも、もしおっても、紗南には借さへんかな〜。
紗南 え〜っ、なんでなんで、なんでえさ？
山田 だってさ、１学期に歴史の教科書貸したら、夏目漱石の写真のところに、「けっこうこ・の・み？」って落書きされて返ってきたから。
紗南 る〜る〜る〜♪
山田 ごまかさない！
紗南 ごめんて。だってよくない？ 夏目漱石。渋くて。千円札、絶対野口英世より夏目漱石のままのほうが良かったわ〜。
山田 う〜ん。
紗南 山田もそう思う！？
山田 …そやな。英世よりは…漱石？
紗南 やろ？
山田 でもやっぱ一番は諭吉。
紗南 あ〜。あかんわ、心薄汚れてるわ。
山田 何よ。教科書に載ってる歴史上人物でさえも色付きメガネで見てしまう悲しい女子高生にいわれたくありません。
紗南 山田のこと、これから「薄汚れた現代社会の悲しき産物」って呼ぼっと。
山田 １万円好きって言っただけで！？ 長すぎやし！
紗南 よっ、「悲しき産物」。きゃはははは！
山田 やめて。さっそく略してるし。ほら、うるさくしないの。
紗南 真面目かよ〜。なあ、メグちゃん。あ、それテストの楽譜？
恵 そやで。
紗南 メグちゃん風邪ひいてるねんて。テストやのに。アホやろ？
山田 …大丈夫？
恵 大丈夫。まだ声、出るし。
山田 テストって合唱の？
紗南 そ〜。１時間目やねん！ 最悪〜。
山田 あかんやん。
恵 平気平気。
紗南 そんでな、今日紗南、楽譜忘れちゃった。
恵 まじか。
山田 こっちもあかんやん。
紗南 平気平気。メーグちゃん、後でみして〜
恵 しゃーなしな？
紗南 ありがと！
山田 紗南の忘れ物癖は相変わらずやな。
紗南 う〜ん。紗南ら合唱部員の数少ない見せ場やん。
恵 見せ場ちゃうし、修羅場やし。
紗南 顧問の手前下手でけへんよなぁって予習してんで。どう？ 偉いやろ？
山田 偉い偉い。
紗南 えへ。そしたらな、忘れてもうてん、楽譜。どう？ アホやろ？
山田 アホやな。
紗南 ちゃうやん、そこはそんなコトないよって言うとこやん。
山田 知らんやん。そのままカバンにいれたらよろしいやん。
紗南 うーん、そのあとお風呂とか入ったら、もうあかん。
山田 あかんのか。
紗南 うん。
山田 今度から、ちゃんと時間割合わすときに確認すること。
紗南 え、山田夜に時間割合わすん？
山田 え、せえへんの？
紗南 ほんっま真面目。
山田 ほんっま不真面目。
紗南 まあ山田はそーいう奴かあ。
山田 まあ紗南はそーいう奴かあ。
紗南 なーんで真似すんのよーう。
山田 わーぶちゃいくな顔。
紗南 ほっとけ！
山田 眉間のしわに名刺はさめそう。
紗南 （変顔）
山田 あははははは！ 彼氏できひんぞー。
紗南 フン、山田にいわれたくないし。
間。
山田 …うふ。
紗南 …え？ ちょっと待って、何その顔。もしかして…できたん？ 彼氏？
山田 さぁ〜
紗南 ちょっと、お父さん。うちの子いつの間にかそんなコト、なってんで。
恵 知らんし。
山田 …見る？写真。
紗南 （うなずく）
山田手帳を取り出し、紗南に見せる。恵にも緊張感。
紗南 うわっ！イケメン！
恵 うそ。
紗南 ってこれ、ジャニーズやん！ しかも若手！
山田 ジャニーズＥＡＳＴの、光君。この前一緒に、公園デートしてん。
紗南 …さむ〜。
山田 寒いって何よ。
紗南 色々と。え〜、光くんのどこがいいわけ？
山田 聞いてくれる？
紗南 あ、あかんスイッチ入れてもた。
山田 特徴、シャイ。いつも明るくていたずら好き。ウザ絡みが激しくて笑い方と声が高い。ちなみに笑い方は「(ﾟ∀｡)ｱﾋｬﾋｬ」なトコ。チャームポイントはえくぼ！
もう最高！
紗南 こういう話するとき、人格変わるよなぁ。
山田 ぐふ、ぐふふふ。
紗南 帰ってこ〜い。
山田 まあ光君忙しいからな。なかなか会われへんねんけど。だからここ（手帳の中）
紗南 あーあせったー。山田がリアルに充実してんのかとおもったー。
山田 残念ながら。
紗南 無いなぁ
山田 無いな。
紗南 それでこそ山田！ 手帳に写真入れてるとことか！ …ってあれ、手帳変えた？
山田 あー、うん。ちょっと、どっかいっちゃって。
紗南 ぬけてるなあ。メモ魔のくせに。
山田 テストの日に楽譜忘れる紗南に言われたくない。
紗南 一回山田に上から言ってみたかってん。
山田 二度目は無いから。光君入ってるし。ぐふ。
紗南 ちょっと待って、公園デートって手帳持って公園行くだけなん？
山田 ちゃうし。光君の温もりを感じながら公園歩くねん。
紗南 何がちゃうねん。
山田 全然ちゃうやんか。普通の公園がこう、光り輝いて「(ﾟ∀｡)ｱﾋｬﾋｬ」って感じに見えてくるっていうか。
紗南 どんな公園やねん。あっ、そうや！
山田 どしたん？
紗南 公園で思い出してんけど日曜日にさー、新しくできたエキスポシティ！ 行ってみーひん？
山田 あー、あそこか。
紗南 万博記念公園とか、太陽の塔とかあったとこ。まえ合唱部のみんなで行ったやん。
恵 太陽の塔…。
山田 あったな、そんなコト。
恵 そやった。
紗南 行こ行こ、そや、メグちゃんも！
山田 …３人で？
紗南 うん！ あ、光君入れて４人でもええから。
３人の間に流れる、ちょっとギクシャクした空気。
恵 あたしは…、やめとこうかな。用事あるし。
紗南 えぇ〜そうなん？
恵 うん。ごめんね。
紗南 そっか〜。
山田 …うん。人多そうやしさ、別のところにしよ。
紗南 行ってみたかってんけどな〜。まあいいか。
山田 うん。金曜までにＬＩＮＥする。
紗南 わかった。約束な。
山田 うん。
山田、手帳に予定を書き込む。まだちょっとびみょ〜な空気。恵が気付かれないように咳払い。山田はそれをチラ見した。
紗南 あ〜あ、バス来おへんよなぁ。いっつも、雨の日。
山田 来るよ、そのうち。
お姉さん いっそのこと、このまま何万年もバス、来んかったらええのに。
恵 言えば良かったんかな。私も行くって。
紗南 窓曇って外見えへんし。雨はきらいや。
お姉さん そしたら私ら海の底。誰にも邪魔されず静かに暮らせるのに。
恵 どこ走ってるか分からんくなるとき、あるよね。
お姉さん シーラカンスみたいに、深い深〜い海の底。
紗南 知らない街まで連れて行かれる気分なる。
恵 いっそ連れて行ってもらいたい。
周りは深い海になる。恵の周りに届かないはずの日の光。Capsize Ctrl。山田にももう一つの日の光。
恵 まるで放課後の音楽室。昼間の教室で息を潜めていた深海魚たちが集まってくる。一匹、また一匹の個体群。そこに居場所があるから。このままずっと安らかな
時間が続くと思ってた。
山田 あのさ。
恵 なに？
山田 合唱、辞めよ思てるねん。
恵 え？ 嘘。
山田 嘘じゃない。
恵 なんで？ なあ、なんで？
山田 う〜ん。一言ではよう言わんねんけどな。
恵 歌、好きなんやろ？ 一緒に合唱やろうって言ったやん。
山田 アタシは上手く歌えない。
恵 歌、嫌いになったん？
山田 そうじゃない。
恵 あたしらがイヤになったん？
山田 違う、かな。
恵 じゃ、なんで？
山田 ここじゃないところに、この光の先に、何があるんかなって。
恵 私が頼りないから？ 忘れもんばっかするから？
山田 違う。
恵 なあ、辞めんとって。
山田 どうかな。
恵 私を置いて行かんといて。
山田 考えとく。
恵 山田、山田…。
山田を包んでいた明かりが消えていく。
山田 …あ！！
紗南 どった？
山田 ちょっと忘れ物したみたい。
紗南 え？ 何忘れたん？
山田 きょう提出の、数学のワーク！
紗南 山田が？
山田 うん。
紗南 ホンマに山田が？
山田 何よ。
紗南 抜けてるなぁ〜、やった二回目。
山田 っっぺ！（ツバ吐き攻撃）
紗南 うわっ
山田 へっ、間に合うかな？
紗南 ん〜、どやろ。あきらめたら？
山田 いや、出来ん。
紗南 よっ、ばかまじめ。よっしゃ、ダッシュや！
山田 うん！ 先バス乗っといてな！
紗南 了解！ 走れ山田！
山田 おう！
山田雨の中、走ってはける。はっとして目で後を追う恵。お姉さんにとっても、これは苦い思い出。山田との距離が日に日に
広がっていく。何とかしたくて身もだえしても、どうしようもなかった苦い過去。
紗南 めずらしいな、山田が忘れ物するなんて。
お姉さん あん時、紗南の声は私に届いてなかった。山田はきっと、私と一緒にいるんが嫌で嘘ついて忘れ物取りに帰ったんや。そう思ってた。
恵 山田が忘れ物するとか、それぐらい有り得へん珍事やった。
紗南 そういえばメグちゃん、忘れ物減ったよね〜。
恵 え、そう？
紗南 うん。だってメグちゃん、紗南と同じくらい忘れ物多かったもん。んで、いっつも部活んとき、山田に楽譜見してもらってた。
お姉さん …そうかな。そうでもないんちゃう？
紗南 そっか、見せてくれる山田がおらんようになったからしっかりしたんか。
恵 関係無いよ。
紗南 ふーん？ まあいっか〜。
お姉さん 紗南は時々、アホのくせにビックリするような鋭いことを言う。
恵 全然関係無い。
紗南 あっそ。
間。
恵 憂鬱…。
お姉さん 雨は降り続くし、バスは来ない。私はぐるぐる山田が合唱部を辞めた理由を考えていた。もう何日も考え続けてる答えのでない大問題。
「紗南は文豪好き」
恵 それにしてもさ、雨やばいな。前見えへん。
紗南 あれちゃう？ ゴリラ豪雨。
恵 え？ そんなんやったっけ。
紗南 いや、ちゃうな。屋根あって、雨土砂降りで。あれ、「羅生門」。
恵 うわ、でた国語娘。
紗南 下人雨やみ待ちなう〜☆
恵 軽っ。
紗南 ふっ。「狭い屋根の下には、この女（自分）のほかに誰もいない。」
恵 いや、おるよ（自分を指さす）。
紗南 「ただ、所々ペンキの剥はげた、大きな柱に、メグちゃんが一匹とまっている。」
恵 それ、何扱い？
紗南 キリギリス。
恵 キリギリス？！
紗南 「バス停が、ハコベ台にある以上は、この女のほかにも、雨やみをするＪＫやリーマンが、もう二、三人はありそうなものである。それが、この女のほかには誰も
いない。」
恵 居てはるやん、お姉さん。
お姉さん どうも。
紗南 ああ、老婆とかな。
恵 ちょっと、失礼すぎ。
お姉さん ホンマそれ。
紗南 羅生門の話やん。
恵 羅生門？
二人はバス停の透明な屋根を見上げる。雨粒が次から次へと屋根に当たっては消えていく。
恵 なんかさぁ。
紗南 なんね？
恵 ここって羅生門の下より、海の底って感じせん？
紗南 海の底？
恵 うん。上の方からプランクトンの死骸が雪みたいに降ってくる深海。
紗南 紗南らがいるのは海の底じゃない。スクールカーストの底。
恵 （負けずに）太陽の光もちゃんと届かんような忘れられた世界。
紗南 学校におるのかおらんのか、忘れられた世界。
恵 天敵のいない海で、
紗南 友達のいない教室で、
恵 シーラカンスみたいに何万年も、進化とかせずに静かに暮らすねん。
紗南 野比のび太みたいに三年も、青春とかせすに静かに暮らすねん。
恵 いやや、いやや、深海がいいねん。マリンスノーとか降ってきて欲しいねん。
紗南 何その『生き物地球紀行』感。
恵 羅生門とか古くさいやん。
紗南 黙れ、キリギリス。
恵 ちゃうし。
紗南 大きな柱にとまっていたキリギリスも、もうどこかへ行ってしまった。
恵 あたし、ここ居るから。
紗南 「雨は、バス停を包んで、遠くから、ざあっという音をあつめてくる。夕闇はしだいに空を低くして…」
恵 無視すんなや。…くらえ、サイン・コサイン・タンジェントーー！
紗南 うわあああ！
恵 π、π、３．１４１５９２６５ニャンニャン ８９チョンチョン３２３８以下略！
紗南 ぐおおお〜
恵 ふははははは。正弦定理の前にひれ伏すがよいわ。
紗南 うう…「下人の行方は、誰も知らない。」がくっ。
ちょっと盛り上がりすぎたかしら。恵は少し離れたところにいるお姉さんのコトを思い出し、すいませんの会釈。お姉さんは
どういたしましてのリアクション。
恵 ちょっと、盛り上がりすぎ。
紗南 メグちゃんこそ。何で正弦定理出てくんの？
恵 国語は苦手なんです。
紗南 えー。数学のが無理。爆発して欲しい。
恵 作者の意図なんて読めた事一回もないんです。
紗南 それでか、恵、空気読まれへんの。
恵 ちょ、言っていい事と悪い事あんで。意図読んで欲しかったらちゃんと書け。
紗南 それを書いてないところがええの。
などとわいわい言っていると、文香がモモ上げ走りで入ってくる。
恵 あ、文香ちゃん。おはよう。
紗南 おはよ〜。
文香 おはよっ。合唱ブス。
恵 ひど！
紗南 その言い方な。
文香 合唱部の複数形やん。
紗南 ブス言い切ってるし。
恵 あははは。
紗南 今のは言っていい事なん？ 悪い事ちゃうん？
文香 ブス・ストップ。
紗南 あ〜。
恵 あかん奴？
お姉さん 文香は陸上部。口は悪いけど私ら合唱部員の良き理解者。時々私らのこと、いじりに来てくれるちゃんと進化したお魚さん。
文香 でへへ。なあ、バスもう来た！？
恵 まだ。雨やから遅れてるみたい。
文香 え〜！？ そうなん！？
恵 うん。
文香 なんなん、めっちゃ急いできたのに。
紗南 おつかれ。
恵 陸上のトレーニングになってちょうどいいんちゃう？
文香 普通にモモ上げで走るのと、雨ん中傘さして、しぶき浴びながらモモ上げで走るのは全然違う。
恵 モモ上げは決まってるねんや。
文香 うわ、べっしょべしょ。
紗南 陸上バカ。
文香 なんて？
恵 いや、練習熱心やもんね。
ぶちぶち言いながら、文香ベンチに腰掛け、スポーツタオルで体を拭く。
文香 なあなあ。なんの話してたん？
紗南 羅生門。
恵 国語大好き娘の朗読を聞いてた。
紗南 えっへん。
文香 あ〜。(察し)。
恵 な？
文香 うん。
紗南 なに？ 二人とも。
文香 いや、だって、ねえ？
恵 うん。ねえ？
紗南 なに〜？
文香 いやほら、あんた国語とか、文学の話しだしたら止まらんやん。
恵 そうそう。
文香 いっつも聞くの大変やねん。
紗南 いや、ちがうねん！ 紗南は国語が好きなわけじゃないねん！
恵 へえ、そうなん？
文香 初耳。
紗南 紗南はな。…文豪が好きやねん！
恵 …文豪？
紗南 イエス、文豪。
文香 芥川龍之介とか、太宰治とか？
紗南 そう！！ あんな、「羅生門」は国語でやったから知ってると思うけどな、あそこまで人の心の弱さとか描けるのはさすがやと思うねん！！ 理想と現実とか？
社会と自分の心とか？ 太宰治は、「人間失格」とか、もう意味わからんねんけど、主人公めっちゃ暗いし、救いようない話やねんけど、読み終わった後に
なんかグッとくるものがあるねんな。ほかにも、中島敦、中原中也、志賀直哉、井伏鱒二…
恵 わ、わかったわかった。紗南の文豪への愛は、よーーくわかった。
文香 う、うん。も、もういいよ。
紗南 ほんま？ まだまだあんで？
恵 いやいやいや、もう大丈夫。お腹いっぱい。
紗南 読んでくれる？
文香 読むよ、読む読む。
紗南 絶対な？
「音楽テストの憂鬱」
恵 なあ。これ、バス来ーへんくない？
文香 めっちゃ遅れてるな。
紗南 ぎりぎりかもやな。
恵 やばい。次遅刻したら。
紗南 なんで？
恵 ヨネヤマ先生に、「あんた次遅刻したらもう、そりゃもう（激しいゼスチャーが４秒以上続き、ぴたりと止まる）すごいよ。」って言われた…。
紗南 うわ〜。何がどうすごいのか言わないところが怖いな…。
恵 やろ。（激しいゼスチャーが３秒以上続き、ぴたりと止まる）やで。
紗南・文香 うわ〜。
恵 １時間目、合唱テストやのに。やばくない？
文香 うん、やばい。って、え！？
恵 どした？
文香 今日、テストやったっけ！？
恵 先週の言ってたやん。授業で。
文香 忘れてた…。
恵 あっはっは、アホやー。
紗南 大丈夫。紗南なんか、楽譜忘れたし。
文香 まじかよ…。
恵 つんだな。
紗南 つんだね。
文香 おわたん…。
紗南 あれ、結構成績に影響するよね。
文香 やばいやばい。「文香ちゃん評定上げちゃうよ作戦」実行中やのに。
恵 知らんやん。
文香 下がる、評定下がる。
紗南 ぐいぐい。
文香 曲。
恵 え？
文香 なんてゆったっけ？
恵 「シーラカンスをとりに行こう」。
文香 それ。
紗南 難しいよね。
恵 ねぇ〜。歌い始めから誰かに語りかけるようなわくわく感を醸し出しつつ、
紗南 明るく歌い上げる小節と、緊張感を持って刻みつける小節のメリハリをドラマチックにマリアージュ。
文香 め・ぐ・みちゅわ〜ん。
恵 な、なによ。気持ち悪いな。
文香 お手本、歌って〜
恵 嫌やし。
文香 合唱部やろ。
恵 嫌なもんは嫌！
紗南 ブスやし。
文香 ごめんなさい。もう言いません。
恵 遅い。
文香 ちぇっ。けち。
恵 それに、今風邪ひいてねん。喉。
文香 えっ、そうなん？
紗南 テストの日に風邪ひくなんて、犯罪者やな。
恵 うう…。
文香 あなたの風邪は、どこから？
恵 私は喉から。
文香 そんなあなたには銀のベンザ。
恵 ♪あなた〜の風邪に、狙いを…って違う！
文香 まさかのってくるとは。
紗南 歌ってるやん。
恵 と、とにかく。極力、喉使いたくないねん。
文香 そっかあ。お大事に。
恵 うん、ありがと。
紗南 ご自愛ください。
恵 ありがとうございます。
文香 何が効くんやろ。
紗南 モンスターエナジー。
恵 絶対違う。
紗南 はちみつとか？。しょうがも。
恵 あー、しょうが苦手。
文香 まじか。
紗南 もうベンザブロックしかないんちゃう？
恵 かもな。
文香 歌ってほしかったな〜。
恵 あたしなんか、お手本にならんよ。
文香 えーそう？ だって合唱部やん。学校生活で唯一、活躍できる場面やん。
恵 合唱テスト嫌やんなあ。な、紗南。
紗南 うん、好きではない。
文香 あれ好きな人はおらんやろうけどな。
恵 …文香。合唱部やからって、無条件に歌が上手いと思ってるやろ。
文香 え、うん。
恵 困るねんなあ。そういうの。
文香 だってそんなん、思うやん？
恵 合唱部には超えてはいけない壁があるねん。
紗南 あるな。
文香 どんな？
恵 あんな、歌っていってもカラオケとは違うわけよ。マイク無しで声、響かせなあかんわけ。分かる？
文香 はい。
紗南 いい息をして・ノドを開けて・良く響かす。
恵 その通り。
文香 うんうん。
恵 そのためには、腹筋だけじゃなくて顔の筋肉が重要なわけ。口の奥から鼻の奥まで声を響かせようと広げると、どんな顔になると思う？
紗南 こんな顔になる！
紗南と恵、目一杯の合唱顔で「むぁあああ〜」っと発声。なぜか白目。
文香 嘘やぁ〜
恵・紗南 嘘じゃない！
文香 いやいやいや、言いたくないねんけどな、言いたく、無いんやけどぉ。
紗南 言うてみ。
文香 合唱ブス。
恵・紗南 その通り。
文香 キツい。さすがに今のはキツい。
恵 やろ？ 普段教室でおるのかおらんのか分からん大人しいっていうか地味っていうか、存在感がクリスタルな私らが、合唱のテストの時だけ張り切って今の顔して
歌ったら世間様はどう思う？
紗南 何あいつら、きっしょ。
恵 なるやん。声に出して言わんでも、フォルテッシモで伝わって来るやん。
紗南 せめてメゾフォルテで。
恵 だから私らは封印する。自分たちの積み上げてきた技とハートを封印し、泣く泣く一般人としてテストに臨むんや。それはそれで屈辱感どＭＡＸ！
紗南 「あれ〜、紗南ちゃん、合唱部やんな。結構…、普通？」
恵 ありがとうございます。普通上等、普通最高。
文香 なんか、泣けてきた。
恵 憂鬱や。ひたすら憂鬱。
文香 まぁ陸上も勝って当たり前みたいなイベントあって、結構苦手やねんけどな。あはは。
恵 体育祭のクラブ対抗リレーとか。
文香 …言うな。
紗南 負けてたな、女バスに。
文香 言わんといて。
恵 ゴールしてから、楽しそうにハイタッチする女バスの横を、うつむきながら二着の旗に向かって歩いていく文香ちゃんの事、私、ちゃんと見てた。
文香 アイツらぶかぶかのパンツはいてちんたら走りやがって。こっちはぴちぴちのパンツで本気出して走ってんねんぞ。
恵 辛かったんやね。悔しかってんね。
文香 分かる、恵らの気持ち、めちゃ分かるよ。
紗南 文香ぁ〜
三人泣きながら抱き合って互いの傷を癒し合う。ふと見ると、少し離れたところでお姉さんも泣いている。人目を気にせず、
父の靴下で涙をぬぐっている。過去の辛い思い出が走馬燈のように押し寄せ、もはや傍観者ではいられなくなってしまったのであった。
「音楽と私たち」」
もはや声を上げて泣いているお姉さんに流石に気付くみんな。
恵 お姉さん？
お姉さん 分かる、分かるわぁその気持ち。
恵 大丈夫？ ですか？
お姉さん 辛いよねぇ、悔しいよねぇ。うんうん。
文香 靴下？
お姉さん は、何でもない。（急いで靴下をカバンに仕舞い込む）大丈夫。
紗南 やばい系？
恵 さぁ。
お姉さん みんな合唱部なんやね。
恵 え？
お姉さん あ、いや話聞こえちゃって…。
文香 あ、あたしは違い…。
お姉さん 陸上部よね。
文香 はい。
恵 うるさくてすいません。
お姉さん ううん。いや、なんか懐かしくなっちゃって。あたしも高校の時合唱部やったから。
紗南 へー！ そうなんっすか。
お姉さん ほら、この顔。
紗南 おお、
恵 おおお、
紗南と恵とお姉さん、目一杯の合唱顔で「むぁあああ〜」っと発声。やはり全員白目。
恵 なんか親近感〜。
お姉さん ねぇ。
紗南 そうっすよね。
文香 ホンマか？ ホンマにそうなるんか？
恵 なるんよ。
お姉さん あのさ、合唱部だったら「おおブレーネリごっこ」とか、やらない？
恵 やります。
紗南 お姉さんもやってたんですか？
お姉さん やってたやってた。
恵 そんなのやってるの、私たちだけかと思ってた。
お姉さん あはは、結構メジャーな遊びなんじゃない？
紗南 そっか。みんなやるんや。
文香 何それ。
恵 お姉さんのやってたのはどうか知らないんだけど、ウチの合唱部ではな、誰かが最初に「おおブレーネリ、あな〜たのお家は何処ぉ〜♪」って歌い始めたらな、
紗南 続きを絶対歌わなあかんってルールやねん。
お姉さん そうそう。一緒一緒。懐かしい。
文香 それって、面白いの？
紗南 面白いかどうかは別にして、それが掟やねん。
文香 オキテ。
お姉さん 「おおブレーネリ、あな〜たのお家は何処ぉ〜♪」
紗南 「わた〜しの おう〜ちは スイッツァランドよ〜♪」
恵 「きれいな湖す〜いの ほとりなのよ〜♪」
三人 （踊りながら）「ヤッホ〜 ホトゥラララ （５回繰り返し？）ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ！」
合唱部関係者、相当盛り上がる。文香は海のように退いていく。
文香 わ〜、楽しそ〜。
お姉さん 楽しいわよ。ね。
恵・紗南 はい。
お姉さん 「森の熊さん」とかでもできるから。
紗南 やりますか？
恵 文香ちゃんもやる？
文香 いやいやいや、怖い怖い。
三人 え？
間
文香 ほら、恵。喉セーブしとかなきゃ。
恵 あ〜、テストあるもんね。
文香 ね〜（良かったぁ）
お姉さん でもさ、一回だけ本屋でさ、紗南がいたからびっくりさせてやろうと思って後ろからさ、「おおブレーネリ、あな〜たのお家は何処ぉ〜♪」って歌いながら
近づいたら、全然知らない人でさ、何だこいつ！みたいな目で見られて超恥ずかしかったんだ。あ〜恥ずかしい。ヤバイヤバイ。
恵 紗南？
紗南 本屋？
お姉さん （やばい）って間違いを将来的に犯す可能性があるから、外でするときは気を付けてねって話し。
恵 は〜？？？
変な空気が漂う。急いで取り繕うお姉さん。
お姉さん それにしても嫌やったなあ、合唱のテスト。
紗南 ですよね。
文香 やっぱそうなんですね。
お姉さん うん。合唱部だからってみんなの前で歌わされてさ。
紗南 うわ〜、一緒や。
恵 いつの時代も変わらんもんやなあ。
お姉さん 今となって思えば、誰もあたしの歌なんて聴いてないんだけどね。
文香 いや、多感な高校生としてはあの顔は見逃せんやろ。
恵 うん。
お姉さん あはは、つらいよな。
紗南 ヨネヤマ先生もさ〜。テストのやり方変えてくれたらいいのに。
文香 ほんまな。
紗南 あーあ。
お姉さん ヨネヤマ先生って、音楽の？
文香 はい、そうなんです。
恵 あのテストのやり方さえなかったら、ヨネヤマ先生にも、音楽にもなんも文句言わんのにな。
文香 うん。変わった先生やんな。
恵 ていうか、音楽の先生で変じゃない先生を見たことがない。
紗南 紗南も。
お姉さん 音楽とか、美術の先生って大抵変わってるよね。
紗南 うん。なんていうか、キャラが濃い？
お姉さん アーティストだからね。
文香 でもさでもさ、音楽やってる男の人って、２割増しでかっこよく見えへん？
恵 えー？ そうか？
紗南 ヨネヤマ先生？
文香 うん。ヨネヤマ先生の、指揮してるとこかっこいいやん。
恵 そうかな。ただの偏屈おじさんやん。
紗南 ひじ神。
文香 何それ？
紗南 指揮するとき、肘曲がらんやつ。
恵 それな。
お姉さん あはは！
文香 ダイナミックでかっこいいやん！
恵 ちょっと迷惑。
お姉さん まあ紗南ちゃんとメグちゃんは部活の時もお世話になってるんじゃないの？
文香 あ！そっか、合唱部の顧問か！ いいな〜！
恵 えー！？ 文香ちゃん趣味大丈夫？
紗南 紗南もあんまり好きじゃな〜い。
文香 ちゃうねんって！ 聞いて？ ヨネヤマ先生はな、あたしの「お父さんにしたい先生５本の指」に入るから。
恵 なんやそれ。
紗南 じゃあ残りの４本は？
文香 うっ…それは…まだ準備中ていうか…。
恵 要するに、今考えたわけね。
紗南 紗南のお父さんにしたい文豪ベスト５はな、１位 夏目漱石。２位 太宰治。３位 宮沢賢治。４位 芥川龍之介。５位 三島由紀夫。
お姉さん 漱石以外みんな危険な香りがするのは何故だろう。
文香 ほらな。紗南のに比べたらヨネヤマ先生の方が圧倒的にいい感じやって。
紗南 え〜、あの先生がお父さんやったら、やたら成績とかうるさそう。
恵 いや、分からんで。音楽しか眼中にないから、家庭をかえりみないタイプかも。
紗南 あっ、亭主関白にみえて、夜中に娘の下着をあさってこう…頭に…。
恵 「ふむふむ、新しい文香の下着は水色かあ。あいつの胸も小学生の頃から変わらないなあ」とかいって？
紗南、恵爆笑。お姉さんもクスクス笑う。
文香 やめてやめて！ 先生のイメージを壊さんとって！ あとそれ、あたしのこともディスってるから！
紗南 娘になりたいんやろ？
文香 言ったけれども！
恵 よっ、ぺちゃぱい☆
文香 はあああ！？ これでも、Ａの７０はあるから！
紗南 …あっ、涙が…。
恵 不憫な娘じゃ…。
文香 やめてぇ、泣くのは！
お姉さん 大丈夫や、文香ちゃん！
文香 へ？
お姉さん あたしも、寄せて上げてる。
文香 お…お姉さあああん！
２人、アツく抱き合う。
お姉さん 今のご時世、技術が発達してるから。脇腹から背中からお腹からみんな寄せてこれるから（二〇二五年現在）。あちゅまれ〜ボンって。
文香 はい！！
お姉さん なんなら、豊胸手術でプチ整形。
文香 ホウキョウシュジュツ？
恵 （噛んで）で、何の話してたっけ。
紗南 なんやったっけ。
文香 あたしの愛しのヨネヤマ先生の話！
恵 ああ、そうや。
紗南 年齢的にうちらくらいの娘がおってもおかしくないかな？ あの先生。
恵 でも年齢不詳やんな。
文香 そんなミステリアスなところも素敵。
紗南 この前さ、山田に、「山田クン、君にはミュウズがついている！」とかいってた！
恵 あー、ゆってたな。ミュウズってなんやねんって感じやし。
お姉さん ギリシャ神話に出てくる音楽の神様やね。
恵 へー、そうなんや。
紗南 お姉さんすごい！
お姉さん えへへ。
文香 山田って？
紗南 えっとね、１組の子やねん。めっちゃ歌うまくて超真面目。今、忘れ物取りに帰ってる。もう帰ってくるかな？
文香 へー。真面目ちゃんも忘れ物とかするんや。
紗南 うん。今日提出の数学のワーク。でもな、山田なら絶対３日前には終わらせてる。
文香 あー。それはすごいわ。
恵 今はもうおらんけどな。合唱部。
文香 そうなんや。残念やな。
恵 まあもうだいぶ経ったから、慣れたけど。
「シーラカンスをひな壇で歌う」
紗南 メグちゃんと山田って、小学校から一緒なんやっけ。
恵 うん。もう腐れ縁。
文香 中学から合唱部？
恵 ううん、小学校から。小学校のころ近所に小さい合唱団があってさ。山田とは、そこで知り合った。
少し明かりが変わる。
恵 人前でちゃんと笑えなかった不器用な私のそばに、山田は居てくれた。キョロンとした目で私のこと見ていてくれた。
お姉さん （遠くにその場面が思い浮かぶ）覚えてる。
文香 ずっと一緒やってんね。
恵 うん。毎朝、信号のある交差点の対角線で山田に出会う。私が先に横断歩道を渡る日もあれば、山田が先に渡る日もある。信号が変わるまでの三〇秒ほどの
時間と、七メートルほどの距離を持て余して無表情にうつむく私を、山田は道の向こうからでも分かる笑顔で見ていてくれた。
お姉さん 覚えてるよ。
恵 信号が変わる。やっと二人の距離が近くなる。並んで歩き出す。
紗南 おはよう。
文香 おはよう。
お姉さん 肩越しの山田の気配に、不器用な私はようやくホッとする。
恵 毎日決まった朝の恒例行事。
お姉さん なんでこんなに離れてしもたんやろ。私は今でもその答えを探す旅を続けている。
恵 そんで中学２人とも合唱部で、高校も同じとこ受けて、当然のように合唱部のぞきにいって、一緒に仮入部して、本入部して、いろいろあって、今に至るって感じ。
明かりが元の世界へと戻ってきた。
文香 へー。だいぶ長い付き合いやな。
お姉さん 幼なじみってレベルやね。
紗南 年季はいってます。
恵 うん。古くなって、化石みたいな関係。
文香 化石？
恵 うん。カッチカチ。
紗南 死後硬直？
文香 怖い単語出さんとってよ。
恵 硬直は…してるかもしれへんけど、死んではないねん。ゆっくり呼吸はしてるねん。生きた化石…みたいな。
文香 あ！ シーラカンス、やろ？
恵 そう、シーラカンス。
紗南 「シーラカンスをとりにいこう」！
お姉さん わー、懐かしい、その曲。
紗南 お姉さんも知ってるんですか？
お姉さん 高校のとき、大好きやった。その曲。かわいい曲よね。
恵 あたしもそう思います。
文香 今日これから、合唱のテストがあって、その曲歌わなあかんのですけどね。
お姉さん シーラカンス？
文香 はい。その可愛い曲にやんわり苦しめられてると。
紗南 なーなー、やっぱ練習かねて歌っとかへん？
恵 えっ、ここで？
紗南 うん。
恵 さすがにここでは…なあ、文香。
文香 評定下げたくない私としては、是非ともお願いしたい。
恵 お姉さん、何とか言って…。
お姉さん 分かりました。やってみましょう。
お姉さん、準備体操。
恵 めっちゃ乗り気ですやん！
お姉さん ん？ いやー、最近ストレスたまってるしね。
文香 ストレス社会ですもんね。
紗南 喉は無理するな。
恵 声はセーブする。
お姉さん オッケー。ただし表情筋はフルに使うこと。
恵 ええ？
紗南 解くんですか、封印。
お姉さん イエス。ここにはいい顔して歌っても、バカにする人なんて一人も居ません。
文香 居ません！
紗南 ブス言うなよ。
文香 へへ。あたしもブス、挑戦していい？
恵 だからブスじゃないんやって。
お姉さんの口三味線で伴奏スタート。全員立ち上がる。ベンチはひな壇である。
４人 ♪ねえもしも明日 空が晴れたなら
シーラカンスをとりに行こうよ出かけよう
君にも１匹は 必ず釣れるはず
シーラカンスをとりに行こうよ出かけよう
有紗、彼方が相合い傘で現れる。公共の場で歌っている、変顔の４人にびっくりして、その場で立ち止まる。
４人 ♪お弁当を作って行こう 僕が持つからさ…
「有紗と彼方」
４人、相合い傘（女物）の２人に気づく。ちょっとっていうかかなり不良っぽいルックスの二人。有紗は裏にまで刺繍入りのスタジャン
腰パン金属チェーンにいかつい眼鏡＆目の下にクマがあるけどど派手メイク。彼方はロング金髪、スエット上下、巾着袋にど派手メイク。
二人とも靴のかかとは踏みつぶしている。ぼっきり折れ曲がった別な傘も一本持参。
４人 …。
気まずい空気。恵が大げさに咳き込む。
紗南 メグちゃん、大丈夫？
恵 喉が、やっぱり喉が（ゲホゲホ）。
お姉さん 大丈夫？
文香 ゴメン、無理させて。
紗南 やっぱり歌っちゃダメだ。
お姉さん そうね、そうね。
文香 大事な喉、なんだから。
恵 うん、分かった。
４人 ね。あはははは…
４人は直立。正当化しようとして、余計に不自然になったケース。有紗と彼方、そんな空気を読む。
有紗 何か、な。
彼方 うん。
有紗 邪魔、だったかな。
彼方 盛り上がってたのにね。
有紗 盛り下げちゃったよな。
彼方 そだね。
有紗 あっち、行ってよっか。
彼方 でも、雨。
有紗 しょうがねえよ。あの人たちが先、居たんだし。
彼方 傘、いっこしか無いよ。
有紗 しょうがねえよ。一本ぶっ壊れたから。
彼方 それに有紗、びしょびしょだし。
有紗 良く言うじゃね？ 惚れてる方が濡れているって。
彼方 （すんごく幸せそうな笑顔）ば・か。
なんだ、この二人は。
文香 あのぉ〜、良かったらこっち、どうぞ。
つづく…
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