創作脚本の部屋へ作：五ノ井幹也
【キャスト】
恐がりの女の子 （中村麻衣）
のんきな男の子 （片山亮太）
フリーター男 （大月寛和）
フリーター彼女 （中山沙織）
のんきのオカン （片山芙美子）
科学部の男の子 （江添孝二郎）
勇敢な警察官 （菊池巡査）
おっちゃん （土田浩三）
通行人の人々
『通り雨』
舞台はとある街角の建築資材置き場。足場に使われるような材木や脚立、
工事中の看板などが雑然と置かれている。ムシムシした暑さの昼下がりである。
夏間近の強い日差しの中で、遠くから小さな雷鳴が聞こえている。夕立が近づ
いているのだろうか。やがて舞台は薄暗くなり、大粒の雨が降り始める。大急ぎで
現れたのは現場のおっちゃん。
おっちゃん 和男！ 降ってきたぞぉ、オイ！ 和男！
和男（袖） 通り雨だよ、すぐやむって。
おっちゃん ３丁目の現場、基礎のコンクリ流したばっかだろ。
和男（袖） あ、やばいか。
おっちゃん シート持っていってやるか？
和男（袖） 了解。トラック回してくる。
おっちゃん ああ、早いとこ頼む。
おっちゃんは資材の中から大きいブルーシートを取り出すと並べはじめた。
おっちゃん 空が真っ黒だ。こりゃ結構降るなぁ。多分。
閃光１
おっちゃん 来た来た。２、３、４、まだ遠いな。
１０秒ほどして雷鳴。走り込んできたのは一人の女の子。資材置き場の
屋根の下に入るとうずくまる。雨の音。
おっちゃん ちょっと…。姉ちゃん？
麻 衣 …。
おっちゃん 大丈夫か？
麻 衣 （うなづく）
おっちゃん ならいいんだけど。
麻 衣 （動かない）
おっちゃん 大丈夫そうに見えないんだけどな。
麻衣は手をひらひら。これでも大丈夫ですの意味らしい。雨の音。
おっちゃんはハハンと笑いブルーシートの積み込み準備をするが、ふとした
弾みにイタズラ心が芽生える。麻衣の背後に忍び寄ると大声で。
おっちゃん グァラガラ、ドカァアン！
麻 衣 …。
おっちゃん ワッハッハッハッ。今のは雷じゃなくておっちゃん。びっくりしただろ。ん？
見ると麻衣は無言でゆっくりと倒れる。ころん。
おっちゃん おい！大丈夫か？ 姉ちゃん！ こりゃ困ったな。和男～！はまだか。ええい、こうなったら。
気道確保。
あわてるおっちゃんに麻衣が意識を取り戻す。かなり焦る二人。
麻 衣 え、あ、すいません。
おっちゃん いや、こっちこそ、すいません。
麻 衣 雨が降ってきて、おまけに雷が…。
おっちゃん なあ、姉ちゃんはひょっとして雷が、恐い？
麻 衣 恐いですよ。めちゃめちゃ恐いです。
おっちゃん やっぱりなぁ。
麻 衣 恐くないんですか？
おっちゃん いや、恐いよ。でも姉ちゃんほどにはなぁ。
麻 衣 もう、ダメです。音がしただけで。
おっちゃん らしいなぁ。
麻 衣 ここ、大丈夫ですよね。
おっちゃん ああ、ここなら屋根もあるし雷も落ちてこないよ。多分。
麻 衣 多分なんですか？
おっちゃん いや、大丈夫だよ。
麻 衣 ここ、しばらく使ってもいいですか。
おっちゃん ん？
麻 衣 雨宿り。
おっちゃん ああ、いいよ。どうせ夕立だ。そのうちやむから。
麻 衣 ありがとうございます。
トラックの音。袖から呼ぶ声がする。
和男（袖） 土田さん。トラック回して来ましたぁ。
おっちゃん おお。今行く。
麻 衣 行っちゃうんですか？
おっちゃん おお、おっちゃん、ちょっと今から現場まで戻らないといけないんだけど、そのうち帰って
くるから、もし雨が止んだら適当に帰っていいから。な。
麻 衣 はい。
おっちゃん それまで遠慮無く使っていいから。
麻 衣 はい。あの…。
おっちゃん 心配しなくても雷なんて落ちないよ。多分。（去る）
麻 衣 やっぱり落ちるかも知れないんですか、ここ。おじさん！ 置いてかないでくださいよぉ。
雨の音。強くなったり弱くなったり。屋根のしたから一歩足を踏み出すと
滝のような雨。ここだけ乾いた地面なのが不思議な気持ちがした。麻衣は
雨の当たる場所を確認した後、一番安全そうな真ん中にしゃがみ込み
雨を見ていた。
『少し安心』
そうこうしている間にも雨は強くなる。おまけに来た、閃光２。
麻 衣 ああ、やだ。光った。（耳をふさいで待つ）
まだ遠くだがはっきりとした雷鳴がする。一人でどうしょうもなく不安な
彼女はとんでもない行動に出た。携帯電話を取り出すと…。
麻 衣 あ、もしもし、大変です、奥畑２丁目の土田工務店前でケンカです。急いできてください。
はい、伊丹市奥畑２丁目、資材置き場みたいなところで、あ、こっちに来た、助けてぇ～（ぴっ）
電話を切って息を詰める。
麻 衣 ごめんなさい、ごめんなさい。あ～やっちゃった。どうしよう。
ちょっと罪の意識でぐるぐる回る。そのときずぶぬれの男の子が飛び込んで
くる。亮太である。急いで携帯電話をしまう麻衣。
亮 太 ああ、もういや。
そういうと濡れた頭をイヌのようにぶるぶる振る、振る、降り続ける。やっと
一息ついた。
亮 太 よし、乾いた。
麻 衣 嘘でしょ。
亮 太 わ、びっくりした。おったんや。
麻 衣 ごめんなさい。
亮 太 君も雨宿り？
麻 衣 そう。
亮 太 ごっつい雨やもんなぁ。前見えへんかった。
麻 衣 うちはずっと下向いて歩いてたから。
亮 太 あ、そういう手、あるんか。今度からそうしよ。僕なんかぐぉぉって前見て歩くもんやから顔、
痛い痛い。ばしばしや。
麻 衣 （笑う）
亮 太 そのかわりな、今日はええもん見れてんで。
麻 衣 何？
亮 太 雨が来るとこ。
麻 衣 来るとこ？
亮 太 うん。はじめは遠くの方の山が白くなって消えるねん。次にだんだん近くの山や建物が白く
なってきて霧の固まりがこっちに近づいてるって感じ。それからな、２００メートルぐらい
離れたコンビニの前の道路が黒光りし始めて、道の黒いところがこっちにすぅぅって近づい
て来るねん。
麻 衣 すごい。
亮 太 そやろ。次に音が先に来るねんで。（クレッシェントで）ばしゃばしゃばしゃっていう雨の降って
る音が道の黒光りと一緒にこっち来たと思ったとたんに雨が、バババババ。顔バシバシバシ。
麻 衣 雨って来るもんなんや。
亮 太 僕って詩人やろ。
麻 衣 いや、詩人って感じじゃないけど。
間。雨はまだ強い。
亮 太 自分、西高やんな。何年？
麻 衣 １年。
亮 太 何組？
麻 衣 ７組。
亮 太 端っこ同士やったら顔、知らん人、いっぱいいるもんな。
麻 衣 １組でしょ？
亮 太 そう。知ってるんや。
麻 衣 見たことあるなってぐらい。良かった、来てくれて。
亮 太 え？ そうなん。
麻 衣 うん。うち、雷めっちゃ苦手で泣きそうやってん。
亮 太 それで縮こまっとったんか。
麻 衣 うん。さっきまで工事のおっちゃんがいてたんやけど、用事でいなくなって独りぼっちやったし。
ついつい…。
亮 太 ま、僕が来たからには心配せんでええよ。なんてね。
麻 衣 ありがとう。かなり安心する。
亮 太 え？ そうなん？
麻 衣 うん。でもどうせやったらもう少し早く来て欲しかった。
亮 太 なんか、そう言われると、照れるな。
麻 衣 あ、そんなんじゃないけど。
亮 太 僕、頑張るわ。
麻 衣 頑張らんでもええの。いてくれるだけで、結構安心。
亮 太 ええ～。そ、そんなん言われたん、初めてやし。
麻 衣 え？ そんな意味じゃなくて。
亮 太 ええからええから。なんか、こそばいっていうか。
麻 衣 え？ だから。
亮 太 誰かに頼りにされるって、嬉しいっていうか。
麻 衣 あ、ありがとう。
亮 太 いや、いいからいいから。
麻 衣 あはは、いい、のかな。
亮 太 いいっていいって。
麻 衣 じゃ、そういうことで。
閃光３。
麻 衣 あ、光った。
亮 太 大丈夫。まだ向こうの方や。
雷鳴。さっきよりは近くなっている。
麻 衣 いやや。こっち来てる。
亮 太 心配いらんって。
麻 衣 でもよ、もしここに落ちたら。
亮 太 こんな屋根の下にわざわざ落ちへんって。
麻 衣 おっちゃんも大丈夫って言ってたけど、絶対じゃないって。
亮 太 あのな、雷って高いところに落ちるんやろ。ここやったら周りにマンションとかもあるし、屋根だって
ある。滅多なことでは落ちてこうへんよ。
麻 衣 でも、高い木のそばとか、危ないんでしょ。
亮 太 まあそうらしいけど、木の先から４５度離れたところやったら大丈夫とか聞いたことあるよなぁ。
麻 衣 あそこのマンションからは？
亮 太 十分離れてるって。
麻 衣 裏の建物は？
亮 太 大丈夫ちゃう？
麻 衣 じゃあ、後は…。
亮 太 高い木もないし完璧やって。
麻 衣 そうね。
亮 太 落ち着きって。
麻 衣 うち？
亮 太 心配いらんって。
麻 衣 うちは十分冷静。
亮 太 そわそわしてるで。
麻 衣 じっとしといてくれたらうちも落ち着くから。
亮 太 僕が？（やっとじっとする）
麻 衣 （確認するように）…４５度。
亮 太 ワシかぃ！
麻 衣 だって。
亮 太 自分、すごいこと考えるな。
麻 衣 あ、こっち来た。
亮 太 いや、
麻 衣 お願い。うち雷、苦手なの。
亮 太 そういう問題ではないやろ。
麻 衣 あなたがいるだけですごく安心できるの。
亮 太 そういう意味やったんか。
麻 衣 ひどい奴だと思わないで。
亮 太 思うな言われても。
麻 衣 うちは死んでも雷だけはいやなの。
亮 太 僕は死んでもええんか。
麻 衣 ここ、大丈夫なんでしょ。
亮 太 そうや。
麻 衣 じゃあいいじゃない。
亮 太 さっきまでは良かってんけど、なんか急にめちゃめちゃ不安になってきた。
麻 衣 大丈夫よ。多分。
亮 太 自分になぐさめられたくないわ。ほんま。
閃光４
二 人 来た！
しばらくして雷鳴。ふと見ると亮太は地面に伏せている。
麻 衣 （気付いて）何してるの！
亮 太 だって雷。
麻 衣 うちの方が高いじゃない！
亮 太 雷の時、地面の伏せるのは常識や。
麻 衣 卑怯者！
亮 太 何とでも言ってくれ。
麻 衣 こうなったら。
麻衣も負けずに伏せる。
亮 太 これで同点やな。あとは運次第。
麻 衣 あなた、時計してるわよ。
亮 太 うぉぉぉ。（起きあがって時計をはずそうとする）
麻 衣 おまけに金歯ね。
亮 太 え？
麻 衣 私はアマルガムよ。
亮 太 え、それも金属ちゃうん。
麻 衣 うそ！
口の中に指を入れ確認する二人。やがて目が合う。お互いへんな顔。
亮 太 やめへん？
麻 衣 そうね。
亮 太 他人を犠牲にして自分だけ助かろうなんて、良くないで。
麻 衣 見苦しいわ。
亮 太 先に始めたん、自分やで。
麻 衣 ごめんなさい。
亮 太 人間の本性を見た気がしたわ。
麻 衣 普段は、全然違うの。
亮 太 そうそう。そんな顔して心の奥底に隠れているのが本性。
麻 衣 そうなん？
亮 太 そやで。
麻 衣 ショック。うちまた自分の知らない汚い自分を発見してしまった気分。
亮 太 誰でもそんなとこあるねんから、気にすること無いって。僕もしっかり伏せてしもたし。
麻 衣 そっか。
亮 太 そうそう。
麻 衣 うち、改心した。自分だけ助かろうなんて考え捨てる。
亮 太 ほな、僕もそうしょっかな。
麻 衣 あなたはいいのよ。うちに乗せられただけやねんから。
亮 太 いや、なんぼそうでも簡単に乗せられるようではあかん。人間が未熟や。
麻 衣 汚れた心はこの雨で流されていけ！って感じで。
亮 太 自分なかなか詩人やで。
つかの間の平和が雨宿りの屋根の下に広がったのであった。あくまでもつかの間の。
『意味ありげな二人』
つかの間の平和はたとえばこうして破られる。閃光５。しばらくして雷鳴。
和解した二人は理性的にその場を取り繕う。が、目の前を信じられないもの
が通過する。一人の高校生ぐらいの男の子が、舞台を下手から上手へ
小走りに通過したのだ。
亮 太 なあ。
麻 衣 なに？
亮 太 今なんか通らんかったか？
麻 衣 通った気がする。
亮 太 通ったやんなぁ。しかももの凄い危ない感じ、せんかった？
麻 衣 した。なるべく見ないようにしたんやけど、背筋が寒くなる感じが。
亮 太 雷さん？
麻 衣 そんなアホな。
亮 太 また来た？
そうこう言っている間にずぶぬれの女が走り込んでくる。資材置き場の
前まで来ると立ち止まる。泣いている？ 見ては行けないと思いながら
見てしまう二人。後を追って一人の男が駆け込む。少し離れたところに
止まり女の腕をつかむ。振り払う。つかむ。振り払うの繰り返し。だんだん
熱くなる。
沙 織 もう、放っといてよ。
寛 和 …濡れるぞ。
沙 織 もっとマシなことよう言わんの。とっくに濡れてるわ。
寛 和 …カゼ、ひくから。
沙 織 カゼひいて死んだ方がええねん。
寛 和 またそんなこと。
沙 織 ヒロもそう思ってるんでしょ。
寛 和 思ってないって。
沙 織 正直に言いなさいよ。
寛 和 思ってないって。
沙 織 なんで嘘つくん？
寛 和 嘘じゃないって。アホやな。
沙 織 どうせ私はアホです！
寛 和 いい加減にしろ。
寛和はそれでも優しく彼女の頬を叩いた。一瞬の間。
沙 織 なんで叩くんよ！
沙織怒りの反撃。平手一発容赦なく寛和は宙を舞う。
寛 和 ヒデブッ。
沙 織 親父にも殴られたことないのに。
捨てぜりふを残し去っていく沙織。雨の中なぜか残された気分の寛和。
寛 和 お父さん、一回ぐらい本気であいつ、殴っといてくださいよ。
息をのんでたたずむ二人に気付く。
寛 和 あ、お騒がせ、しました。
亮 太 いえ。
麻 衣 全然。
寛 和 せっかく二人で雨宿りしてたのに。
麻 衣 え、そんなん違うんです。
亮 太 そうそう。
麻 衣 たまたま。
亮 太 そう、偶然ここで。
寛 和 あ、そう。
麻 衣 よかったらどうぞ。そこ濡れるでしょ。
亮 太 身も心も。
麻 衣 余計なことを。
寛 和 あはは、うまいこと言うなぁ。
亮 太 よく言われます。
麻 衣 信じられへん。
亮 太 とりあえず雨が止むまで。
寛 和 じゃ、お言葉に甘えて。
麻 衣 どうぞ。
寛和腰を上げると屋根の下へ避難。全身ずぶぬれの上に泥だらけ。
亮 太 これでさらに安心出来ると思ってるやろ。
麻 衣 え？
亮 太 雷。
麻 衣 思ってません、そんなん。
亮 太 うそうそ。
寛 和 本格的に降ってきたなぁ。俺、これぐらい降ってくれると嫌いじゃないねん、雨。
亮 太 そうなんですか。
寛 和 ああ。何？
亮 太 なんか負け惜しみに聞こえるって言うか。
麻 衣 ちょっと。
寛 和 確かに。でも嘘とちゃうよ。
麻 衣 そんなん思ってません。
寛 和 いやいや。カッコ悪いとこ見られたからなぁ。今日は何を言うても負け惜しみに聞こえそうや。
麻 衣 さっきの人、彼女さんですか？
寛 和 え、ああ。まあそんな感じかな。
麻 衣 ごめんなさい。こんなこと聞いちゃって。
寛 和 別に。
亮 太 じゃ、なんでケンカしてたんですか？
寛 和 うん。ちょっとね。たいした理由とちゃうねん。
亮 太 たいした理由もないのにあれだけ殴られるんですか？
麻 衣 なに聞いてるんよ。
寛 和 あいつ、人より血の気が多いねん。だから時々殴られる。
亮 太 たいしたことないのに？
寛 和 そう。意味なく。
亮 太 恐いですねぇ。
寛 和 この間なんて…、聞いてくれる？
麻 衣 聞いて欲しいんだ。
亮 太 なんすか？
寛 和 前の晩に食べた鮭の皮が残ってたから朝飯にお茶漬けと一緒に食べてもうてん。そしたら起きて
きて「なんで私の皮、食べるんよ！」ってフライパンでぼかぁんって。
亮 太 素手じゃなく？
寛 和 その辺にあるもの何でも武器になるんだ。宮本武蔵みたいな奴やで。
亮 太 強そうですね。
寛 和 そうなんだ。お前の皮じゃないだろ、鮭の皮やぁちゅうねん。
麻 衣 でもほら、ケンカするほど仲がいいって。
亮 太 超越しとるやろ。
寛 和 こしすぎ。
亮 太 じゃあ今日も昼飯か何かで？
寛 和 え、違うちがう。今日のはまた別。あれ、なんでこんな話、君らにしてるんやろ。おかしいなぁ。
麻 衣 そうですよね。
亮 太 言いたかっただけでしょ。
麻 衣 きっと雨のせいですよ。私たちだって今日ここで偶然一緒になっただけなんですから。
寛 和 へぇ。そうなんだ。僕はてっきり二人が付き合ってるかなんかやと思ってた。
麻 衣 ちがいます。ねぇ。
亮 太 頼りにはされてるみたいなんですけど。
寛 和 そう。
麻 衣 雷、超苦手で。
寛 和 ふぅん。
雨の音。静かに女が帰ってくる。
寛 和 お帰り。
沙 織 （手で挨拶）
寛 和 こっちおいでよ。
沙 織 （何か言っているけど雨の音で聞こえない）
寛 和 雨がウルサくて聞こえへんよ。
沙 織 …。
寛 和 世話焼けるなぁ。
寛和は屋根の下から飛び出すと沙織を連れに行く。
沙 織 ん。叩いて、ゴメン。
寛 和 慣れてるから。今日は素手やったし。
沙 織 雨降ってるとあかんね。熱くなれへんから。
寛 和 ええこと聞いた。これからは水かけよ。
沙 織 相当かけないと逆効果やから。
寛 和 俺の方も、ごめん。黙って決めてもうて。でもそんなに怒ると思わんかったんや。
沙 織 あの子たち。
寛 和 あ、たまたまここで雨宿りしてたみたい。
沙 織 そう。
寛 和 行こ。ここよりはずっとマシや。
そういうと沙織の手を繋いで屋根の下へもどる。
麻 衣 こんにちわ。
亮 太 （身構えている）
麻 衣 何やってるの。挨拶ぐらいしたら。
閃光６。麻衣は首をすくめる。ややあって雷鳴。
亮 太 …おそいぞ武蔵。
寛 和 おい。
亮 太 冗談です。
麻 衣 ひやひやする。
寛 和 せっかく頭も冷えたことだから、さっきの続き話そか。
沙 織 そうね。私も言っておかないといけないことがあるから。
寛 和 そう。お二人さん、あっちの隅っこ借りるね。
亮 太 どうぞ、遠慮なく。
麻 衣 あたしたち、ここにいてもいいんですか？
寛 和 先に来てたの君たやん。それに雨の音がしてるから、何しゃべってるかまでは聞こえないって。
亮 太 危なくなったらいつでも呼んでください。
寛 和 だいじょぶやって。慣れてるから。それに大人の話に子供は口出さへん。
亮 太 はぁい。どうぞごゆっくり。
沙織を連れた寛和、屋根の下の上手奥へ。確かに雨の音は一つの屋根の
下に二つの空間を作ってくれている。
亮 太 なんだよ、さっきは聞いて欲しそうな顔してたのに。
麻 衣 いいじゃない。放っておいたら。
亮 太 人を子供扱いして。
麻 衣 うち、まだ電車、子供料金。
亮 太 なにぃぃぃ！
麻 衣 うそ、うそ、冗談。めったにやらない。
亮 太 やっとるんや。
麻 衣 何話してるんだろ、あの二人。
亮 太 さあ。興味あるん？
麻 衣 そういうワケじゃないけど、ああいうときどんなこと話すのかなって。
亮 太 結婚してるんかな。
麻 衣 まだしてなさそう。
亮 太 指輪は？
麻 衣 してた。
亮 太 じゃしてるんちゃうん。
麻 衣 そんなの分からないわよ。友達でしてるこいっぱいいるでしょ？
亮 太 僕いややなぁ。男やのに指輪。第一指太いし。
麻 衣 でも奥さん想いの男の人はするんでしょ、きっと。
亮 太 それだけ彼女のこと想っててなんでケンカになるんやろ。なぁ。
麻 衣 大人も邪魔くさいね。
亮 太 せやなぁ。
麻 衣 でも高校生も邪魔くさいか。
亮 太 生きてりゃ人間邪魔くさいってこと。
麻 衣 かもね。あのさ、こんなに邪魔くさいならいっそ、死んじゃった方がイイやって考えたことあるよね？
亮 太 ない。
麻 衣 …もちろん本気じゃないよ。
亮 太 冗談でもない。自分あるん？
麻 衣 な、ないない、でも子供のころ何回かぐらいは。
亮 太 自殺考える子供なんて、自分ませてるなぁ。
麻 衣 そうねぇ。
亮 太 それで電車だけ子供料金なん？
麻 衣 だから、いつもじゃないって。あぁ～。あんたなんかに話すんじゃなかったわよ。脳天気。
微妙な乙女心の揺らぎなんて、亮太には通用しないのであった。男にも
いろんなタイプはいるけどね。分かるかなぁ。奥の二人は立ったり座ったり。
ずっとなにやら話し込んでいる。雨の音。
『おかん登場』
閃光７。ややあって雷鳴。雷鳴と共に自転車に乗った主婦登場。
お か ん ああこわ。ちょっと雨宿りさせてもらうわ。すいません。お邪魔します。
寛 和 ああ、どうぞ。僕らも雨宿りのクチですから。
沙 織 話そらさないでよ。
寛 和 そんなんじゃないよ。
亮 太 やば。
麻 衣 何が？
お か ん そこのスーパー特売日やったから。店はいるときは晴れてたんですよ。それがこの雨。
いいながら自転車満載の荷物も雨宿りさせる。なぜか麻衣を残して
亮太は逃げる。
お か ん おまけに雷でしょ。ここまで何とか来たんやけど、こりゃあかんと思って。すいません、ちょっと
手伝ってもらえる？
麻 衣 はい。
お か ん ごめんなさいね。
寛 和 あれ？ どうしたの。
亮 太 お話し中なのは十分分かっているんですが、ちょっとかくまって欲しいなぁと。
沙 織 なんで？
亮 太 いや、のっぴきならない事情で。
麻 衣 荷物これだけですか。
お か ん ありがとう。お陰で助かったわ。せっかくいろいろ買ったのに、水に濡れたら困るもんだってある
でしょ。
亮 太 あの、移動するときは僕をはさむように移動してもらえません。
沙 織 え？ なんで？ ねえ。
亮 太 後で事情は。
寛 和 だって不自然でしょ。この体勢。
お か ん せっかく通販で買ったのに、これ、全然。
麻 衣 なんですか？
お か ん 日焼け留めスーパーバイザーⅢ、やったかな？ おばちゃんらトシやからお日さん浴びたら死んで
まうんよ。
麻 衣 え～！
お か ん シミとか出来てねぇ。
亮 太 こんな大雨の日に何の話しとるんや。
お か ん スーパーバイザーⅡは５センチ延長お値段据え置きやったんよ。買うたろかなと思ってたらⅢは
なんとお値段据え置きワイパー付き。小雨の時に便利やんと思って買うたんやけど、この雨じゃねぇ。
麻 衣 はぁ。
お か ん スーパー出てから２、３分で壊れたわ。通販会社に文句言うたらな。クーリングオフって知ってる？
亮 太 通販会社が気の毒や。
寛 和 確かに。
沙 織 あれだけ使い倒してクーリングオフって効くの？
寛 和 さぁ。
亮 太 効くわけないでしょ。
お か ん あら？
亮 太 やばい。
お か ん そちらも、雨宿り？
沙 織 ええ。
寛 和 そうです。
お か ん どこ行くんですか？
沙 織 この体勢、無理。
亮 太 これまでか。
お か ん 亮太やん。
亮 太 おかん。
全 員 お母さん？
お か ん 何してるん。そんなことで。
亮 太 雨宿りに決まってるやん。
お か ん いややわ、大きい体してそんなとこはさんでもらって。
亮 太 だってな、おかん恥ずかしいねん。
お か ん 何が。何も恥ずかしないよ。
亮 太 恥ずかしいって。なんで見も知らん人にぺらぺら話しかけるん。
お か ん なんも見も知らん人やあらへんがな。同じ雨宿りしてる同士やろ。ねえ。
寛 和 まあ。
亮 太 おまけにスーパーバイザーⅢの話まで。
お か ん なによ。
亮 太 お値段据え置きとか。
麻 衣 いいじゃない、別に。
お か ん そうでしょ？ あんたの方がおかしいねん。なにかっこつけてるん。
亮 太 つけてへんって。
お か ん つけてるって。ちょっと女の子の前やから言うて。
亮 太 違うわ、そんなんと。
寛 和 まあまあ、二人とも、落ち着いて。
亮 太 おかんのそういうところが嫌やねん。
お か ん 何が。誰にも迷惑かけてへんでしょうが。
亮 太 かけてるかかけてないかも分からんところがあかんねん。
お か ん 偉そうに。そういうことは自分で朝、起きれるようになってから言え。
亮 太 それとこれとは話が違う。
大事な話を妨害された沙織が切れるのにそんなに時間はかからなかった。
奥から角材が２本、おかんと亮太の間に投げ込まれる。間。
沙 織 それで決着付けたら。
おかん・亮太 いえ。
沙 織 あっそう。ヒロ。
寛 和 …はい。
二人は奥へ向かって移動していく。話の続きがあるんだろう。静かな雷鳴が
聞こえる。
亮 太 こわぁぁ～。
麻 衣 フライパンも嘘じゃないかも。
お か ん なに？ なに？ なんのこと？
亮 太 興味持つな。
お か ん 教えてえや。
亮 太 もう。あっこの二人な、さっきからもめてるねん。何か知らんけど。
お か ん へぇ～。
麻 衣 それで、隅っこの方で話してたんです。
お か ん あそう。
亮 太 それを、空気の読めないおかんが来て、中断させられたもんだから…。
お か ん なによ。お母ちゃんのせいか？ あの二人のケンカ。
亮 太 いや、ちゃうけど。
麻 衣 静かに。
亮 太 …せやな。武蔵を目覚めさせたらやばい。
亮太の心配をよそに武蔵はやがて目覚め始める。きっかけは我慢の限界を
超えた寛和のひと言だった。
寛 和 だから俺かて努力してるやんか！
沙 織 …なにそれ。大きな声出したら勝てるとでも思ってんの。
寛 和 いや、別に沙織に勝とうとかじゃなくて。
沙 織 ええやん、上等やわ。私を倒してもらいましょ。
寛 和 ちょっと待て、落ち着け。
沙 織 女一人倒せへん、なよっちい男が、何の努力よ。そんなんやからいつまでたっても、何やっても
長続きせえへんねん。その腐った根性たたき直したる。
閃光８、雷鳴。そして乱闘タイム。手近にあった角材で一発。寛和たまら
ずもんどりうって前へ。なおも攻撃、かわすのも上手かったりするのは長年の
付き合いのお陰？ オカンたちは安全な場所を探して逃げまどう。沙織の執拗
な攻撃の前に追いつめられた寛和。沙織は彼の足元に向かって角材を投げる。
沙 織 拾い。
寛 和 いややぁ！
沙 織 丸腰の人間、ぼこぼこにするほど私は腐ってない。
寛 和 どっちにしろぼこぼこにされるんやったら一緒や！
亮 太 大変や、あの兄ちゃん殺される。
麻 衣 え～！
お か ん ラッキー。
亮 太 何がラッキーや。
お か ん 他人のケンカは派手な方がおもろい。
亮 太 鬼！
沙 織 拾わへんの。じゃこっちから行くわ！
亮 太 危ない！
『事情聴取』
突然の銃声。みんなの動きが止まる。現れたのは一人の警官であった。
菊池巡査 動くな！ 全員手を挙げろ！
何事が起こったか分からない他の人間を尻目に、麻衣だけはこそっと
逃げだそうとしている。
菊池巡査 そこ！ 動くなと言うのが分からないのか！
麻 衣 はい！ ごめんなさい。
お か ん もうちょっとでええとこやのに。
亮 太 信じれん。
菊池巡査 そこもしゃべるな。よし。全員そのまま。いいな。（無線機のマイクを取り出し）あ～本部、本部、
聞こえますか。奥畑２丁目の土田工務店前でケンカ、現着、確認しました。
全 員 え～！
菊池巡査 手を挙げろ。しゃべるな。
全 員 （とてもいい子）
菊池巡査 あ～、不良グループ同士のケンカだと思われます。木刀を持って暴れていました。現在威嚇射撃で
鎮圧しています。実弾使用許可をお願いします。
全 員 えええ～！
菊池巡査 動くなぁ！ は、この雨ですからね。は、はい。以上。
お か ん 不良グループって。
亮 太 グループちゃうやんなぁ。
寛 和 あのぉ。
菊池巡査 嵐の中の決闘か。お前たちもやりたい放題だなぁ。
寛 和 個人的には助かったんですけど、なんで。
沙 織 何かの間違いじゃないんですか？
菊池巡査 こら、お前。武器をおけ！
沙 織 あ、すいません。
菊池巡査 通報があったんだ。善良なる一般市民をなめちゃいかんぞ。
麻 衣 あちゃ～。
菊池巡査 全く、この雨の中出動してくる俺たちのことも考えろってんだ。メガネがびちゃびちゃだ。ちょっと
待ってろ。
そういうと菊池巡査はメガネのしずくを丁寧に拭き取る。
菊池巡査 さてと、（メガネをかけて）今から順番に事情…、あれ？お前老けてるなぁ。
お か ん な、なんですって！
菊池巡査 あれ？ 不良グループ？
亮 太 ひょっとして。
寛 和 お巡りさんめちゃくちゃ近眼とか？
菊池巡査 さっき木刀振り回してたのは？
沙 織 私ですけどぉ。
菊池巡査 やられそうになってた。
寛 和 それが、俺です。
菊池巡査 やっちまえ～ってはやし立ててたのは。
亮 太 それ、うちのオカンです。
お か ん ちゃい！ 違うんですよ。この二人ケンカしてたんでね、仲裁に入ろうかどうしようかって、ねぇ。
麻 衣 え、ええ。
亮 太 嘘つき。
間。全員大笑い。
菊池巡査 なんだぁ、不良グループ同士のケンカじゃなかったのかぁ。せっかくテンションあげて来たのに。
亮 太 上げすぎ。
寛 和 すいませんね、痴話げんかで。
菊池巡査 で、もめてたのがお父さんと、お母さん。
沙 織 その言い方やめてください。
菊池巡査 あ、失敬。まだ二人とも若いもんね。アベックだよね。
全 員 アベック…。
菊池巡査 で、通報したのは、奥さん？
お か ん いいえ。
菊池巡査 じゃ、君？
亮 太 違います。
菊池巡査 じゃ、彼女？
麻 衣 いえ、とんでもない。うち、電話持ってないから。
菊池巡査 じゃ、誰だろうねぇ。ま、いいか。
麻 衣 さっき小さい男の子が「電話使えやぁ～」とか言ってたから、その子かも。
亮 太 そんなんおった？
麻 衣 あなた来る前。
亮 太 え、それおかしいやろ。この人ら来たん、俺の後やで。
麻 衣 あ、そうやね。違うわ、別の話やったんかも。
菊池巡査 ま、みなさんはケンカには直接関係ないと言うことで、もうお引き取り頂いて結構ですから。
寛 和 俺らは。
菊池巡査 せっかくテンション上げて来たんだから、ケンカの訳くらい聞いてやるよ。
お か ん それやったらねえ、私らも。
亮 太 また首突っ込む。
お か ん だって帰れって言われても、この雨じゃねえ。
菊池巡査 ああ、そうですねぇ。言われてみれば。
お か ん まだまだ雷も鳴ってるみたいですし。
沙 織 えぇ。こんなに一杯人のいる前で話すんですか。
菊池巡査 いやならいいんだけどね。でも聞いてもらうとすっきりすることだってあるから。ねえ、お母さん。
お か ん そうですよ。
亮 太 めちゃ嬉しそうや。
お か ん なんならほら、買ってきたばっかりの肉まんもあるし。
亮 太 出た、得意の５５１。
お か ん これ、きらい？
沙 織 （ごっつい笑顔に変わる）いただきます。
寛 和 こいつ、肉まん大好きなんです。
お か ん よかった。お巡りさんもどうぞ。
菊池巡査 勤務中ですから。いや、そうですか。頂きます。
お か ん お嬢ちゃんのもあるよ。
麻 衣 すいません。
菊池巡査 ５５１のあるとき。
全 員 わ～っはっは。
菊池巡査 無いとき。
全 員 しゅ～ん。
菊池巡査 あるとき。
全 員 わ～っはっは。
菊池巡査 いやぁ、関西人同士だったら、打ち合わせいらないなぁ。このネタ。
沙 織 常識よね。
寛 和 うん。
亮 太 やってしまう自分が恐い。
お か ん さ、話聞きましょか。今日のケンカの原因。
菊池巡査 まあまあ、そう焦らないで。ここはプロに任せて。じゃ、被害者の方からいこうか。本名、年齢、住所は。
菊池巡査は手帳を取り出しさらさら記録。
寛 和 大月寛和、２３歳。住所は伊丹市昆陽字佐藤前、８６８番地、パンション平和荘１０４。です。
お か ん なんか本格的ね。
菊池巡査 プロです。で、どこ殴られたの。
寛 和 え？
菊池巡査 いや、さっきお宅らもめてたでしょ？
寛 和 今日は角材でここ一発だけ。お巡りさんが止めてくれたからまだましでした。いつもの調子だとあと
５、６発は堅いですからね。
亮 太 フライパンとかあるみたいですよ。
菊池巡査 フライパンね。君から殴り返したりはするの？
寛 和 そんな、出来ないですよ。さっきもひどい目に遭いましたから。
亮 太 確かに。
麻 衣 ちょっとかわいそうかなって。
菊池巡査 目撃証言あり、と。
お か ん けんかするほど仲が良いって言いますけどね。行き過ぎた暴力は。そういうのテレビのワイドショー
でもよくやってるじゃないですか。ドメストなんとかって。
菊池巡査 ドメスティックバイオレンス。
お か ん そうそう。そのバイオレット。
麻衣・亮太 バイオレンス。
菊池巡査 告訴しますか？
寛 和 しませんって！
沙 織 ねえ、何の話してんの？
寛 和 いや、俺のもやるから。
沙 織 …ありがと。（まんざらでもない）
菊池巡査 告訴しないのか。なんだつまんない。
お か ん 思い切ってしといたほうが。
寛 和 しませんって。
菊池巡査 じゃ、加害者の方からも事情を。氏名、年齢、住所は？
沙 織 私？
菊池巡査 他に誰が？
沙 織 私、加害者なんですか？
菊池巡査 いや、まだ確定した訳じゃないけどね。
沙 織 この私のどこが加害者なんですか。
お か ん でた、ドメストバイオレット。
菊池巡査 一応形式だから。ね。本官のもあげるから。
沙 織 …どうも。
寛 和 こいつ、好きなんです。豚まん。
沙 織 言っとくけど、いつでも通じる訳じゃないから。
寛 和 はい。
菊池巡査 ええ、お名前は。
沙 織 中山沙織。１８歳。
菊池巡査 若いな。
沙 織 ってことで。
寛 和 同い年です。
一 同 ははぁん。
沙 織 住所も同じ、です。ほんとはまだ住所変更とかしてないんだけど、実態はそれ、です。
菊池巡査 こっちが中山さんで、君は大月君。
お か ん 同棲ってやつ？ いいわね、若い人は。
寛 和 はあ。
亮 太 あのさぁ、好きで一緒に住んどんのになんでケンカすんの。分からんなあ。
麻 衣 あなたってホントに無神経ねぇ。
亮 太 何が。
麻 衣 好きですべてが解決するほど世の中甘くないってことでしょ。
沙 織 分かったようなこと言うじゃない。
麻 衣 え？分かってませんよ。もちろん。
沙 織 そこなの。お巡りさん、おばちゃん、聞いてくれる？
お か ん 言ってごらん。おばちゃん聞いてあげるから。
沙 織 この子がよ。こんなにちっちゃい子ですら分かってるようなことが、こいつには見えてへんのよ。
麻 衣 ちっちゃいって…。
寛 和 見えてるよ。
沙 織 見えてないって。なにも見えてない。
寛 和 じゃ、沙織は見えるのか。
沙 織 私にも見えへん。
寛 和 じゃ、一緒やんか。
沙 織 違う。私に見えへんのは、未来。
閃光９。雷鳴。
沙 織 どんなに目をこらしても、幸せそうに笑ってる私たちの未来が見えてこうへん。
寛 和 それって、別れるってことか。
沙 織 さあ。
お か ん 急転直下だわ。
菊池巡査 まあまあ、結論はいつでも出せる。もうちょっと話してみなさい。
沙 織 はじめは楽しかった。バイト先で知り合って、つきあい始めて、この人の下宿に転がり込んで。あの
ころはまだ二人とも学生だったから仕送りもあったし、そんなに贅沢は出来へんかったけど、お茶碗
セットで買ったり、ちょっと大きめのお鍋手に入れたり。
寛 和 今思えば、ママゴトみたいなもんやな。
お か ん あったわぁ～。おばちゃんにもそういう次期。
亮 太 うそん！
お か ん あったのよ。お前は知らへんけどね。
亮 太 知ってたら恐いって。
沙 織 この人優しいだけが取り柄やから、こんなんも幸せかなって思っとった。
寛 和 悪かったな、取り柄がそれしかなくて。
菊池巡査 それがいつしか、変わっていったんだな。
寛 和 いや、そんなことはないんですよ。今日はたまたま。
沙 織 違うわ。ときどきめちゃくちゃ不安になる。こうしてここにいていいのかって。何しても長続きしいひん
この人見てると、我慢出来なくて。
寛 和 いや、店長と上手く行かなくて、バイト辞めて来ちゃったんですよ。でもまた探せばええやん。バイト
なんて。
沙 織 また探せばってこれで何回目？
寛 和 覚えてない、けど。
沙 織 バイトだけやない。誰よ、毎日腹筋１００回続けるって言ったん。
寛 和 なんで腹筋の話になるんや？
沙 織 誰がピーちゃんに餌あげてると思ってんの？
寛 和 ハムスターなんです。
沙 織 駅前留学の回数券、あんな束で残してどうすんの！
寛 和 講師がパキスタン人だとは聞いてなかったんや！
菊池巡査 お前、よっぽど根性ないんだな。
亮 太 他人事とは思えない。
お か ん よく言った。そこの言葉忘れるな。
麻 衣 うち、ちょっとこの人に同情しちゃった。
寛 和 あ、そっち行かんとって。
麻 衣 だって、聞いてて情けないもん。
沙 織 でしょ？ 一緒にいる身にもなってよ。
寛 和 ごめん。
亮 太 あ～、つらい。俺の将来もこうなるのか。
お か ん 通信教育、もっぺんやるか？
亮 太 やる。決心した。
寛 和 俺を踏み台にして立派な人間になってくれ。
菊池巡査 あのなぁ、何か一つでも長続きしてるものないのか？
沙 織 ない！
寛 和 ちょっと待て。そこまで言い切るなよ。
沙 織 じゃ、何かあるっていうの？
寛 和 …沙織と付き合ってること、ぐらいかなぁ。
菊池巡査 あのなぁ。
寛 和 言っときますけどそれはそれで大変なんですよ。あちこちひっぱたかれて。
菊池巡査 そこまでされて悔しくないのか。やってやろうって思わないのか？
お か ん そうだよ。男でしょ。
寛 和 そりゃ悔しいです。情けないですよ。
菊池巡査 じゃあやってやればいいじゃないか。一つでいいからどんなに苦しくても続けてやろうってこと見つ
けろよ。
麻 衣 そうだ！
菊池巡査 俺だってつらいよ。こんな雨の中出動したくないよ。交番でお茶飲んでたいよ。でも世のため人の
ため、テンション上げて出動するじゃないか。
亮 太 兄ちゃんガンバレ。
お か ん そうだよ。
雨の音。屋根の下が一つの方向へ向かって動き始めている。雷鳴。
寛 和 …沙織。
沙 織 なに？
寛 和 自信はないけど、もういっぺんチャンスくれへんか。今度の仕事は何があっても辞めへん。死ぬ気で
頑張ってみる。ピーちゃんの餌やりも、水替えも、腹筋だって始める。だから。
沙 織 出来るの？
寛 和 お前が信じてくれたら。
沙 織 自信はないけど信じろってどういうこと？
寛 和 自信がないっていうのは今までの俺で、信じてくれっていうのはこれからの俺や。
お か ん ああ、イライラするねぇ。もっとしゃきっと出来ないの？
寛 和 これが今の精一杯なんや。
沙 織 分かった。
寛 和 分かってくれるか。
沙 織 …この雨上がったら、田舎帰る。
寛 和 え？
沙 織 ママゴトはお終いってこと。
寛 和 冗談やろ？
沙 織 本気。
寛 和 嘘だ。
沙 織 嘘じゃない。
寛 和 嘘だ、嘘だ、嘘だ。
間。
沙 織 あのさ、黙ってたけど、子供出来たと思うんや。
寛 和 へ？
沙 織 おととい、薬局行って調べてん。多分ホンマ。
お か ん おめでとう。
沙 織 この子のこと守ってくれるんかなって考えとったら、どんどん不安になって、結局私しかこの子のこと
守れへんちゃうかなって思えてきて、涙が止まらなくなって。
寛 和 ホントに俺の子か？
沙 織 当たり前よ。
菊池巡査 その質問はないんじゃないか？
寛 和 だってあんまり突然で。
麻 衣 あの、アカチャン出来たんだったら、別れない方がいいんじゃないんですか？
亮 太 僕もそう思う。
沙 織 私もそうしたいけどね、中途半端にそばにいられるより、一人になった方が覚悟出来るでしょ。
お か ん 難しい選択ね。
沙 織 私は本気よ。
閃光１０。雷鳴。
『お待たせ孝二郎』
超シリアスな空気の中、再びあの信じられないものがやってくる。舞台を
下手から上手へ小走りに走り抜けた。しかも今度は凧を揚げながら…。
つづく…