創作脚本の部屋へ 作：ハイジ 潤色 ごのい
【キャスト】
ナ ナ
ジカン
智 樹 （ともき
亜 紀 （あき）
江梨子 （えりこ）
拓 （たく）
晴 彦 （はるひこ
椿 （つばき）
千 恵 （ちえ）
真 由 （まゆ）
モンゾフ
虫たち
『出会いと別れ』
木立の中の一際小高い一本の木の中程に女と男。何をするでもなく遠くを眺めている。
遠くからヒグラシの声が聞こえている。なんとなく夏の終わりを予感させるもの静かな声に、
女は耳を傾け聞き入っている。
男 なんや、興味あるんや。
女 そんな顔、してる？
男 （女をちらりと見上げ）してる、な。
女 うそ。
男 お前のことは、何でも分かる。
女 ほな言ってみ。うちが何思ってるか。
男 しょうもな。
女 ほら、分からんくせに。
男 行ったらええねんで。俺のことなんか気にせんと。他の奴のとこでもどこでも。
女 本気で言うてるん。
男 俺はいつでも本気や。
女 うちが他の人のこと、好きになってもええん。
男 やっぱり興味あるんや。あいつのこと。
女 そんなん言うてないやん。
男 図星やな。顔色変わった。
女 どこの誰かも分からん男のとこにうちが行っても平気なん？
男 お前の人生や。お前の好きにしたらええねん。
女 お前がおらんかったら俺、生きて行かれへんって言ってくれたん、嘘なん？
男はその言葉を待っていた。小さく手を伸ばし、女を引き寄せる。
女 あ。
男 嘘やない。
女 もう一回。
男 なんや。
女 もう一回言って。
男 何べんでも言ったる。俺はお前がおらんかったら生きて行かれへん。
女 ホンマ？ 嘘言うてへん？
男 嘘なんかついてない。心からそう思ってる。
女 じゃ、他の男のとこ、行っても平気なんて言わんとって。あんたが顔色一つ変えずにそんなこと言うたびに、
うち、不安になる。寂しなる。心が乱れる。
男 しょうもな。
女 ほら、それやん。あんたは平気な顔してうちの気持ち、もてあそぶ。
男はそれを聞くと女を引き寄せていた手を緩め身を離した。
女 あ。
男 恋とか愛とか、好きとか嫌いとか、レベル低いねん。お前は俺のこと好きなんか？
女 好きや。
男 それだけか？
女 分からへん。
男 ちゃうやろ、嫌いな時も、うっとおしい時も、憎い時もあるやろ。
女 分からへん。
男 でも一緒におる。産まれたときからずっと。これからもずっと。死ぬまでずっとや。
女 ホンマ？
男 ああ。お前が誰と好き合おうと、この世の果てまで飛んで行こうと、俺とお前はずっと一緒や。
女 約束してくれる？
男 ああ。俺とお前は好きとか嫌いで一緒におるんやない。命がつながってるんや。宿命や。もっと深ぁい
ところで固く結びついてるんや。
そう言うと男はもう一度女を引き寄せた。
女 言って。お前が必要やって。
男 お前が必要や。
女 嬉しい。
男 なんも心配いらん。一人で生きていく寂しさなんか、お前には一生無縁や。
女 誰からも必要とされへんまま一人で生きていくなんて、うちには耐えられへん。
男 俺がもし、お前のそばからいなくなる時があるとしたら、それはお前の命が尽きる時や。
女 安心した。
男 ちょっと眠ったらどうや。俺が傍におったる。
女 うん。
男 お休み。ナナ。
女 ナナ？
男 お前の名前や。
女 うちの名前？
男 ああ。
女 ナナ。あんたの名前は？
男 俺？ 俺は、ジカン。
女 ジカン。
二人の平和な時間が突然終わりを告げる。いつの間にか黒い人影が二人を取り囲んでいた。
二人は一瞬身を凍らせる。
ジカン 誰や！ 何すんねん！
ナナ ジカン！
ジカン 離せ、俺が何をした。
ナナ やめて、離して、ジカン！、ジカン！
二人を取り囲んだ人影はあっという間にナナからジカンを引き離すと、高々とジカンを
持ち上げ連れ去ってしまう。ジカンは少し離れた地面にたたきつけられる。一人ぼっちに
なってしまったナナ。舞台上に別な人影が二人。智樹と亜紀である。智樹は優しく握った
手のひらを高く天に放り上げた。その動きに合わせるかのように解放されるナナ。
ナナ 誰。
智樹 スッキリしたやろ、これで自由や。
ナナ 自由って、何？
亜紀 今の何？
智樹 セミヤドリガ。セミに寄生しているガの幼虫だよ。セミから体液を奪って成長する変わった生き物。
亜紀 気持ち悪い。
ナナ そんな。
ジカン 俺を寄生虫呼ばわりするな。
亜紀 これでセミも自由に鳴けるようになったね。
智樹 鳴くのはオス。メスは鳴かへんの。メスも泣いたらここの林は今の倍、騒々しくなる。
亜紀 知らんかった。
智樹 人間だとメスのほうがやかましいんだけどね。
亜紀 江利子とか？
智樹 っそ。
ジカン こら、お前ら、こっち来んな。
見るとさっきの黒い人影が再びジカンに迫る。
アリ せいれ〜ちゅ！ 番号
アリ達 いち、に、さん、ちょっとイッパイ、そこそこイッパイ、かなりイッパイ、めっちゃイッパ〜イ
ジカン 数えられんの三までかよ。
アリ達 イッパ〜イ。
ジカン 集まってくるなよ、アリ。
アリ あり？ ご飯かな？
アリ達 ご飯かも。あり？
ジカン お前らの食い物にされてたまるか。おい、ナナ。これで引き下がると思うな！ 覚えとけ！
ナナ ジカン！
走り去るジカン。「ご飯逃げた」「追っかけろ」とか楽しそうにあとを追うアリ達。
亜紀 素敵なとこやね。
智樹 やろ？
音楽。ブルー暗転の中でナナは木から飛び降り、二人から逃げるように、そして
ジカンとは別な方向へ走り去る。多くの昆虫たちが飛び交う中、二人の人影はこの
森の散策を続ける。
『ドンブリ公園周辺事情』
ブルー場はやがて明るさを取り戻す。うるさいぐらいのセミの声。夏の日差しが木立を
抜けて差し込んでいる。ここは小高い丘の公園。ベンチや高台も用意されているが、
元からある里山の自然が残されている都会のオアシスである。智樹は小さなカバンから
水筒を取り出しお茶を注ぐ。
智樹 飲む？
亜紀 ええん？
智樹 まだこれ、口つけてないから。
亜紀 ふふん。
智樹 何？
亜紀 後で口つけるんでしょ。
智樹 じゃ、やらへん。
亜紀 あ〜、ごめん。じゃ、こうやって飲むから。
亜紀はそう言うとコップをもらい自分の口に上から注ぐように飲む。笑顔で見ている智樹。
亜紀 （呑み込んで）冷たぁぁ〜。
智樹 そんなん気にせんでええのに。
亜紀 だって。親しき仲にも礼儀ありって。ごちそうさま。美味しかった。
智樹 礼儀ね。じゃ。
そういうと自分も水筒から直接口をつけないように飲む。
智樹 ちぇ〜。うまい。暑い夏には麦茶やね。
亜紀 行儀悪いやん。
智樹 だって、またお茶欲しいって言うかもしれへんって思って。
亜紀 誰が。
智樹 亜紀。
亜紀 そりゃそりゃ。
智樹 飲む？ お代り。
亜紀 大事に取っといて。
智樹 分かった。
亜紀 いつもここ、来てるん？
智樹 え？
亜紀 だから、この公園。一人で来てるのかって。
智樹 いつもってわけじゃないけど、時々。家にずっとおってもホラ、暇やし。どっか行くとお金かかるから。
亜紀 ふぅ〜ん。
智樹 ここやと木陰もあるし、そこのベンチから結構遠くの方まで見えるねんで。
亜紀 どの辺まで？
智樹 和歌山城。
亜紀 またまた。
智樹 いや、ホンマやって。大阪湾の向こう側やから紀伊半島やろ？ ほんで関空があの辺やからちょい
右側は和歌山やって。だから和歌山城。
亜紀 （見に行こうとする）おちょくってるやろ。
智樹 今日は見えへんで。空気濁ってるし。
亜紀 ねぇ、和歌山ってどっちよ。
智樹 だからこの方向やけど、今日は見えへんかもしれへんって。
亜紀 そんなん見てみな分からんやん。
智樹 見えるんはたいてい雨上がりで、空気中の埃とかゴミとか無い時なんやって。こんなムシムシ暑い日に
見えません。あ、それにな、和歌山城四時閉門やで。わぁ〜残念。
亜紀 やっぱおちょくってるやろ。
智樹 ホンマやねんって。
亜紀 うわ、天守閣でお侍さんがミカン投げしてる。
智樹 嘘つけ。
亜紀 すんません、嘘です。
二人は小高い場所までいつの間にか移動し、景色を眺めている。
智樹 雨、降りそうやで。
亜紀 うそ。晴れてるやん。
智樹 あそこ。黒いおっきな雲の塊、あるやろ。この風向きやったらもうすぐこっちまで流れてくる。
亜紀 いつ頃？
智樹 今晩。いや、もうちょっと早いかも。
亜紀 あんたは気象予報士か？
智樹 ちゃうけど、雲、見えてるやろ？
亜紀 うん。
智樹 風もほら。
亜紀 あ〜、来てる。こっち来てる。あかん、今日はアカんって。
智樹 どないしたん、慌てて。
亜紀 だって、今日花火大会やで。年に一度のお祭りやで。雨降ったら、花火上がらへんやん。
智樹 そっか、花火大会って今日か。何時から？
亜紀 ７時。
智樹 微妙やなぁ。ま、ええやん。
亜紀 あかんよ。浴衣着ていくって江梨子や千恵や椿らと約束してるねん。わざわざ買ってん。今年はみんな
気合入ってるねん。
智樹 大丈夫やって、今日は中止でも順延するって。
亜紀 ホンマ？
智樹 そりゃそうやろ。
亜紀 無くならへん？
智樹 俺に聞くなよ。
亜紀 そやんな。せっかく買った花火、返品できへんもんな。
智樹 そりゃ知らんけど。
亜紀 よかった、それ聞いて安心した。ありがとう、智樹。
智樹 俺、なんも言うてへんねんけど。
亜紀 安心したついでに智樹、お願い。一緒に行って。
智樹 何処？
亜紀 花火大会。
智樹 俺？
亜紀 あかん？
智樹 いや、あかんってわけちゃうけど、ん？
亜紀 ほな行ってくれる？ 花火大会。
智樹 江梨子らと行くんちゃうん。
亜紀 そやけどうちは智樹にも来てほしいねん。
智樹 何それ、誘ってんの？
亜紀 ううん、ちゃう。どっちかというと誘って頂戴って誘ってるの。はい！
というと亜紀は智樹の反応を待つ。
智樹 あれ？ なんでこんな展開になってるわけ？
亜紀 お願い。
智樹 お茶飲む？
亜紀 いらんわ、もう。
智樹 ま、別にええか。花火一緒に行こか？
間。
亜紀 やったぁ〜、行く行く。
智樹 雨、降るかもよ。
亜紀 かまへん。降ったら明日。明日も降ったらその次。約束な。
智樹 変な奴。暑っ。汗かくわ。ホンマ。
いつの間にか一人の女が小高い丘を這い上っていた。
江梨子 ちょっと、ちょっと。
亜紀 うち、浴衣着ていくねんけど、智樹どうする？
智樹 そんなん俺、持ってへんし。これじゃあかんの。
江梨子 ちょっと、いい加減気づきなさいよ。
亜紀 全然ＯＫ。でも季節感が欲しいよね。
江梨子 亜紀！ こら、人を無視るのもええ加減にしてよね。
二人 あ、江梨子。
江梨子 あんたの送ってきたメール、そういう意味やってんね。（パカッと携帯を開き）今？ ドンブリ公園で
交渉中。一抜けはうちかも。（笑） エリもガンバ☆うふ。っておちょくりやがって。
亜紀 （かなり焦る）読まんとってよ。もう。
智樹 交渉中って、俺？
亜紀 ちゃうねん。これには深いわけがな。
江梨子 何が一抜けや。智樹やろ、単なる幼馴染やん。うちらの勝負は花火大会までに彼氏見つけて一緒に
行くことやろ。手近なところで間に合わせようとするその根性が気に食わんねん。
智樹 手近って。
亜紀 ちゃうって。智樹。うちはな智樹と行きたかってん、花火大会。
江梨子 じゃ、何か？ 智樹は彼か？ 付き合ってんのか？ 告白したっていうわけ？
亜紀 告白って…。
江梨子 されました？ あなた。
智樹 （猛然と首を振る）
江梨子 これはな。女と女の勝負や。誤魔化しは許しまへんで。
智樹 そういうことやったら、もっとちゃんとした奴、選んだ方がええで。うん。
亜紀 エリのアホ。智樹のドアホ。
江梨子 あん？
亜紀 花火なんか行かへんわ。
そういうとなりふり構わず公園を駆け出す亜紀。泣いてる？ 後を追おうか迷う智樹だが、二歩目が
出なかった。
江梨子 ま、これで自分の甘えた考えにちょっとは気づくやろ。勝負は引き分け、ドローやな。
智樹 江梨子。
江梨子 何？
智樹 ちょっと言いすぎちゃう？ 可愛そうやで。
江梨子 あ、そや、智樹。今日花火大会あるねんけどナ、一緒に行けへん？
智樹 え？
江梨子 どない？
智樹 それは、あんまりやん。
雷鳴。きっと天の神様も江梨子の傍若無人な振る舞いに怒りを覚えたのでしょう。
雨はそれから三日三晩降り続くことになった。大雨の中傘をさして行きかう人々の
シルエット。智樹と江梨子もそれらの人に紛れていなくなる。
『ナナの誕生』
ツクツクボウシのエチュード。敗れて一人にこされた可愛そうなツクツクボウシ♂は
不思議な光景を目撃する。嵐の中、舞台にうずくまっている人の影。雷鳴に混じって
ターミーネーターの曲「ダダンダンダダン」が聞こえたような気もする。中心の木に
ぼんやりとサス。ゆっくり手、足、そして体全体を広げ、新しく生まれ変わった自分の
姿を確認する。驚いて逃げ去る可愛そうなツクツクボウシ♂。人影は辺りを見渡し、
ゆっくり空を仰いだ。
ナナ 冷たい。
雷の音、閃光。怯えるナナ。やがてもう一つ人影がうつる。ジカンである。
ジカン そんなところにおったらあかん。雷にでも打たれたらどすんねん？
雷の音で、その声はナナには届いていない。届かないように言っていたのかもしれない。
ジカンの手には砂時計が握られている。
ジカン 戻っておいで。また一緒に暮らそう。
ナナ …今更、戻られへん。
ジカン なんでや、俺のそばにおってくれ。俺にはおまえが必要なんや。
ナナ あんたがうちを必要やって言ってくれてたホンマの意味が分かったんや。あんたはうちを食いもんにしてた。
ジカン 誰に吹き込まれたんや。そんな嘘。
ナナ うちはアホや。あんたに必要やって言われてそれが幸せやって信じてた。たった一度の人生やのに、
何も気づいてなかった。
ジカン たった一度の人生やからこそ、二人は別々に暮らしたらあかんのや。命でつながってるんやから。
ナナ あんたの口癖。俺らは好きとか嫌いとかの関係やあらへんって。
ジカン そや。恋とか愛とかは一時の熱病。さめてもうたら終わりのしょうもない気の迷いや。
ナナ それでもええ。一度だけ熱病にうなされてみたい。何もかも忘れてぶつかっていきたい。
ジカン オマエ、変わってもうたんやな。
ナナ うちはもう今までのうちやない。夢、出来たんや。
ジカン つれないなあ。
自分の体をじろじろ見つめるナナ。腕、足。真新しいものを見るかのよう。
ナナ これで、歌える。
ジカン 嬉しいんか。
ナナ うん。
ジカン …ホンマに、ええんか？
ナナ 何？
ジカン その姿になるための引き換えが…、
ナナ （さえぎって）ええの。どうせあんなん引っ付いてても鬱陶しいだけやもん。
ジカン そんなに歌いたいんや。
ナナ うん。初めて出来たうちの夢。夢は、叶える為にある。
ジカン 叶える為なら手段は選ばへんってか？
ナナ うん。
ジカン ホンマに歌えるかどうかわからへんで。試しに歌ってみ。
ナナ あかん。歌は、好きな人に聞いてもらうもんや。
ジカン それはセミの常識。お前はもうセミやあらへんねんから。
ナナ あかん、あんたの前では、歌わへん。歌いたないねん。…ごめんやけど。
ジカン （声色を変え）時間は短いねんで。
ナナ 大丈夫やって。
ジカン その余裕が後悔に変わんねん。
ナナ なんでそんなこと言うかな。心配ないって。もう見つけてん。うちの、好きな人。
いつの間にか舞台上の人影が増える。それぞれがジカンと同じような妖気を発し、
ナナを見つめている。気がつくとジカンはナナの背後に回り込み、今にも飛びかか
ろうとしていた。気づいたナナはあわてて身を翻し、違う明かりに駆け込む。
ジカン あいつか。
ナナ あれ、うちが誰のこと好きになろうと興味ないんちゃうの？
ジカン あいつだけは別や。
ナナ あんた、妬いてるん？
ジカン 妬いてるんやない。あいつはな、俺とお前の仲を引き裂いた。ほんの遊び半分に。お前のこと助けよう
とも、俺のこと消し去ろうとも思わず。ほんの気まぐれにな。
ナナ そんなことない。あの人はうちに自由の意味を教えてくれたんや。
ジカン 違う！ 奴らは時々、心にもない親切心を装うんや。何のためや？ 理由なんかあらへん。自分の
やったことに、どれだけの見返りがあるのかさえ考えんと。俺はあいつを許さへん。
ナナ ジカン…。
ジカン お前があいつの前で歌うという夢を持つなら、それはそれでかまへん。大いに結構。その代わり、
俺は俺で別な夢を持つことにする。あいつに俺と同じ思いを味あわせるんや。復讐したる。俺の
自由をすべてささげても、この夢、叶えてみせる。
ナナ やめて、ヤドリガのあんたに何が出来るいうん。
ジカン 出来るがな。女のお前に歌が歌えるっていうならなぁ！
というとジカンは叫び声をあげ天に両手を広げた。舞台は光に包まれ、雷鳴が鳴り響いた。
悲鳴を上げるナナ。ジカンとその分身たちはその場に崩れ落ち、そして静寂が戻る。
ナナ ジカン。ジカン！
ダダンダンダダン。ダダンダンダダン。って感じで一度命が抜け去ったジカンの体に、
分身たちの体に、ゆっくりと力がみなぎってくる。やがてジカンは人の姿に、生れ変った。
ナナ ジカン、も？
ジカン ナナ。急いだ方がええで。お前には時間がないねんから。あいつにもな。
ナナ そんな…。
そういうとジカンたちはそれぞれが持っている砂時計をナナの目の前に突き出した。
それを見て激しく動揺するナナ。それ以上その場にいることは、ナナにはできなかった。
急がないと。駆け出すナナの後姿をジカンは笑って見送った。叫び声をあげナナを追尾
する分身たち。激しい雨の音が舞台を包んだ。
『リベンジ花火』
場面はうって変わって月曜日のどんぐり公園。傘を差した女の子たちが集まっている。
雨の音が小さくなるにしたがって順に傘を脱いでいく彼女たち。空からは日差しが思い出した
ように降り注ぎ始める。傘なんてうっちゃってしまえ、ター！
江梨子 無いわぁ。
椿 ホンマ。
亜紀 なんで週末だけ雨なん？
椿 有り得んくない？
江梨子 有り得んって。
亜紀 土曜日夜から雨。うちの悔し涙を代弁するかのような大雨。
江梨子 大げさやな。
亜紀 覚えときや。
江梨子 え？ 何のこと？
千恵 日曜日。一日雨。
椿 ウチの犬小屋流れて行きました。
江梨子 マジで？ 犬、大丈夫なん？ なんていったっけあの犬。
椿 ごん。
江梨子 ご〜〜〜〜ん。
千恵 いや、笑いごとやないでしょ。
亜紀 うんうん。ごんの運命が気になる。
椿 鎖一本でなんとか踏みとどまってるところをお父ちゃんが、ファイト〜！
みんな 一発！
椿 まさに危機一髪。
みんな お〜。良かった。
江梨子 なんかさ、最近天気おかしない？ 雨とか降る時半端ないし。
椿 お父ちゃんもな、ごんの犬小屋、高床式にせなあかんなって。
亜紀 ネズミ返しとか付けるわけ？
千恵 入りにくいでしょ。
椿 そっか。お父ちゃんに言うとく。
千恵 異常気象。
亜紀 地球温暖化。
江梨子 エルニーニョ。
椿 高床式犬小屋。
みんな おかしいおかしい。
椿 そっか。やっぱお父ちゃんに言うとく。
だんだんセミが勢いを増して鳴き始める。みんなはうっちゃっていた傘を拾い集め、
それぞれ折りたたんでいる。
椿 あのさ、セミって雨降ってる間、鳴いてたっけ。
江梨子 鳴いてるやろ。
亜紀 どうかな。
江梨子 え？ 鳴いてへん？
千恵 あらためて言われると自信ないけど、昨日は鳴いてなかった気がする。なんで？
椿 せっかく地上に出て一週間ぐらいしか生きられへんのにな、ずっと雨やったらどうするねんやろって、
思って。
千恵 椿は面白いね。こんなときにセミのこと心配してあげるなんて。
椿 昨日のごんのせつない顔、思い出したらな、いろんなことが気になり初めてな。
亜紀 鳴いてないかも。
椿 そやろ。うち気づいてん。雨降ってる間、セミ、何してるんやろなって。
亜紀 雨がやむまで、じっと待ってるんや。
千恵 一緒やん。昨日のうちらと。
椿 やろ？ そう思ったら心配やで。セミがさ、地上で七日生きるとするやん、それって人間の七十年とする
やん、二日雨降ってみ、二十年無駄に過ごすねんで。
亜紀 うわ、ホンマや。
千恵 深刻。
江梨子 なに？ 椿、何言うてるん？
千恵 だから、江梨子にこの先二十年彼氏が出来んかったらどうするって話。
間。
江梨子 なんでや。 なんでそんなこと決めつけるんや。
椿 苦しい。
亜紀 例えが悪いやん。
千恵 エリにはこのぐらい言ったげな伝わらへんと思って。
亜紀 伝わった後のことも考えて。
千恵 ごめんごめん。
江梨子 どうせうちには三次元の彼は居ませんよ。彼氏いない歴十七年ですよ。だからってね、この先二十年
間の夢や希望まで奪うことはないんちゃう？
亜紀 ちゃうやん、椿はな、江梨子のことやなくてセミのこと心配してるねん。
江梨子 セミ？
千恵 セミは相手を探して鳴くんやろ。鳴きたくても鳴けない間、セミはどうしてるんかなって、そう心配してる
わけ。分かった？
江梨子 はぁ。
椿 この話、やめよっか。江梨子には一生伝わらへん気がする。
亜紀 賛成。
江梨子 放置か？ みんな分かったような顔して。ええよ、セミなんか興味ないし。
ひと汗かいた気分。こいつらホンマに友達なんかなぁ。友達なんやろな。一緒におるもんな。
千恵 年に一度の花火大会やのに。
亜紀 浴衣まで買ったのに。
椿 今年こそは彼の肩越しに夜空に浮かぶ大輪の花うっとり見つめたかったのに。
江梨子 夢ははかなく消えんな。うちに彼が見つからへんのはあり得る。
千恵 花火大会そのものが無くなるのまでは想像つかへんかったよね。
江梨子 それ！
亜紀 ま、有り得るねんけど。
千恵 そりゃね。
亜紀 でもな、もうちょっとで智樹が一緒に行ってくれるって話まとまりそうな時に割り込んできて、全てをぶち
壊す奴がおるとまでは想像つかへんよね。
江梨子 だから悪気はなかったんやって。アンタの人をおちょくってるメール見てプツッて何かが切れたんやろな。
亜紀 うちのせいにする気なん？
椿 あのさ、よう分からへんねんけど、二人、もめてるん？
江梨子 いや。（次の亜紀のセリフと同時）
亜紀 もめてる。（前の江梨子のセリフと同時）
千恵 もめてるみたい。
椿 仲良くせな。
亜紀 限界はあるで。
千恵 まあまあ。花火大会も雨でなくなったことやし、水に流し。
江梨子 上手い！
千恵 そう？
亜紀 ど〜こ〜がぁ〜。
椿 すごい。
亜紀 みんなうちがどれほどの気遣いで智樹を花火に誘ったか知らんやろ。単に好きとか嫌いを超越してん
ねん。ましてや手近な男子誘って姑息に勝とうなんてしょうもない発想ちゃうんです。
千恵 どういうこと？
亜紀 智樹最近、元気ないから。なんか一人でもがいてるみたいやから。うち、なんか出来ることないかなって。
椿 もがいてるって？
亜紀 近くで見てるから、何か感じるねん。カゼでもないのにふと学校休んでみたり、授業中ぼけっと外見て
たり、休み時間に行方不明なったり。昔はそんなんちゃうかったのに一人になりたがってるねん。
江梨子 そうか？ 全然感じへんけどな。昨日かって普通やったで。
亜紀 江梨子は自分の前しか見て変から気がつかへんの。
千恵・椿 （うなずく）
江梨子 そっかなぁ。横も見えてる。ホラ。
亜紀 テスト終わった頃から何日か学校休んでん。ますます気になったからプリント持って家、行ってみたら
結構元気でさ。明日は行くからって言ったから安心してたのに次の日また休み。
椿 そやったんや。
千恵 何それ、智樹学校拒否ってるん。
亜紀 そのまま夏休み入ったからよう分からへんねんけど、放ってられへんやろ。
江梨子 なるほど。それで分かった。
亜紀 何が？
江梨子 要するに亜紀は智樹のこと、心配して気にしてるうちにホンマに好きになってしもたわけや。
亜紀 だ、だから、違うって。
江梨子 嘘、もろバレやで。めっちゃ意識してるやん。智樹おらん、智樹休んでる、智樹どうしてるんやろって
毎日考えるってことをな、好きと言うんです。
椿 そうなん？
千恵 それもちょっと極論すぎるけど。
亜紀 毎日ちゃうもん。
江梨子 じゃ二日に一回か？ 三日に一回か？
亜紀 知らん。数えてない。
江梨子 一週間に一回か？
亜紀 知らん！
江梨子 亜紀、素直になりや。
亜紀 だから違うって言うてるやん。
江梨子 あ、智樹や。
亜紀 うそ。
振り返っても誰もいない。
亜紀 江梨子。ゆるさん！
江梨子 引っかかった引っかかった。
追いかけ合いが始まる。そこへ登場する男子二名。晴彦と拓である。
亜紀 待ちぃ。
晴彦 お？
江梨子 やだよ。
拓 おお？
亜紀 ちょっとあんた。どいて。
晴彦 はい？
拓 どうしたん？ 二人。
千恵 喧嘩中。
晴彦 喧嘩？
拓 なんで？
椿 花火大会にな。
亜紀 それ以上言うな。
椿 はい。
拓 言うなと言われると聞きたくなるやんな。
晴彦 はい。
千恵 いいのいいの。どうせ花火大会も無くなっちゃったしね。
拓 あれ？ 知らんの。花火大会来週に延期になってんで。
女子 うそ！
拓 ホンマホンマ。嘘言うてどうすんの。なぁ。
晴彦 今週土曜日午後７時開始。雨天の場合は翌日に延期しますって。
江梨子 それ、何処情報？
晴彦 ＦＭ伊丹。
顔を見合わせる女子四人。次の瞬間今までのもやもやが全て吹き飛んだ。
女子 やったぁ〜！
江梨子 延長戦やな。
亜紀 負けへんよ。
椿 なんか怖い。
千恵 程々にね。
江梨子 あんたは勝負関係ないからええよね。もう彼氏おるから。
千恵 いろんな意味で良かったと思ってる。
椿 千恵の彼って二つ年上なんでしょ。いいなぁ、大学生と付き合えるなんて。大人って感じ。
千恵 もういいやん、その話。照れるから。
晴彦 ははぁ〜ん。
拓 勝負ってそういうことか。
江梨子 いちいち話に入ってこない。
拓 なんで、花火大会のこと教えてやったん俺らやぞ。なぁ。
晴彦 まあ教えてあげただけなんだけどね。
亜紀 そや、江梨子。拓とか誘ってみたら。意外と行けるかもよ。
江梨子 はぁ？ なんで拓なん。
亜紀 だって喧嘩するほど仲いいっていうし。
江梨子 このタラシ男？
拓 タラシ？
江梨子 今まで女つくっちゃー捨てつくっちゃー捨てしてきたアホ。
拓 アホ？
晴彦 なんでやろね。ええ人やのに。
江梨子 どーこーがー？ ありえへんし。あれに騙される女の子の気が知れん。
拓 …お前な。
千恵 本人目の前にそこまでけちょんけちょんに言えるの、江梨子だけよ。
江梨子 とりあえず拓だけはありえん。ま、晴彦やったらさそってもええけど。な、あれ？ 椿？
拓 結構です。ありえんくて上等です。
二人がにらみ合っている間、もう一つの物語は静かに進行していた。
椿 晴彦くん。良かったら今度の花火大会、一緒に行かへん？ 浴衣も買ったし。
全員 何〜？
晴彦 え？
椿 一緒に行きたいな。
間。一同晴彦の挙動を息をのんで見つめる。
晴彦 おっけ〜です。
椿 やった！ ゲットだぜ。
千恵 びっくり。
亜紀 やるわね。
江梨子 無いわぁ〜。ホンマ。
椿 ごめんね。
千恵 亜紀、どうするの？
亜紀 え？
千恵 智樹。誘うんでしょ。
亜紀 でも、ドアホとか言っちゃったし。
千恵 誘わへんの？
亜紀 だって。
拓 俺、まだ空いてるけど。
江梨子 うっさい、黙っとけ。アホ。
拓 おまっ、
江梨子 あんたが行けへんねやったらウチが行ったろか？
亜紀 誘う。謝ってもう一回誘ってみる。
千恵 そう。
江梨子 先手必勝やで。
亜紀 お願いやからからんで来んとってな。
江梨子 はいはい。
千恵 江梨子ってどこからが本気なんかよう分からん。
江梨子 こうでも言うたらな亜紀はよう動かんの。
『ナナ、人間界へ』
ナナ やっと見つけた。
その声に誰からともなく気付くみんな。ナナである。ナナは迷わずに亜紀の前に立ち亜紀を
見つめる。
亜紀 こ、こんにちわ。
ナナ あたしのこと覚えてる？
江梨子 誰、この子。
亜紀 えっと、…ごめんなさい。前に会ったこと、あったっけ？
ナナ ある。会いたかったよ！
めっちゃ笑顔でナナは突然亜紀に抱きついた。
亜紀 ちょ。ちょ〜っと。みんな、何してるん。助けて。
千恵 でも、喜んでるで、この子。
亜紀 おかしい、おかしいって。知らんもん、こんな子。やめてぇ〜。
拓 おい、助けたらんでええんか？
江梨子 下手に手、出して抱きつかれたら怖いやん。
拓 抱きつかれたらって…（何かを想像してにやける）
江梨子 変態！
拓 ちゃうって。
亜紀 何してるん。食われる。とにかく助けえや。
拓 しゃあないなぁ。おい、晴彦。
晴彦 おお。
椿 （晴彦の変化を見逃さなかった）いや〜、晴彦までにやけてる。
亜紀 そんなんどっちでもええから。早く。
みんな寄ってたかって亜紀からナナを引き離す。ナナもようやく落ち着きを取り戻し…、
てなかったりするので再び大騒ぎ。なんとか全員でナナを抑え込みに成功。
亜紀 あんたはライオンか？
ナナ ちょっと興奮しちゃって。
亜紀 松島トモ子の気持ちがよぉ分かったわ。
晴彦 誰？
椿 知らん。
晴彦 何怒ってるん？
椿 男はみんなケダモノや。
晴彦 はい？
千恵 ちょっとみんな、一回落ちつかへん。
江梨子 賛成。あんた、もういきなり抱きついたりしたらあかんで。
ナナ わかった。
亜紀 大丈夫なん？ その子。
江梨子 大丈夫やって。こっちにはケダモノ二匹おるねんから。
拓 おまっ、
晴彦 がるるるぅ。
椿 最低。
晴彦 冗談です、冗談。
みんなゆっくりとナナから手を離す。ナナも落ち着いた様子。それを確かめてみんな
一安心。ちょっとトラウマな亜紀だけ離れたところにいるけどね。
千恵 知り合い？
亜紀 うううん。思い出されへん。
ナナ 人を探してるの。手掛かりをくれそうな人にやっと会えたから嬉しくって。
亜紀 うち？
ナナ うん。
江梨子 あんたの探してる人って、誰？
ナナ あの子と一緒にこの森に来てた男の子。
拓 亜紀とここに来てた奴って。
亜紀 智樹？
ナナ 智樹って言うんや。どこにいる？
亜紀 今日は来てない。
ナナ 明日来る？
亜紀 知らへん。
ナナ じゃ何処に行けば会える？
亜紀 知らへん。
ナナ 意地悪。教えてよ。
亜紀 どこの誰かも知らん子に、なんで教えなあかんわけ。
ナナ 怒った。
亜紀 怒ってないけど。
ナナ 智樹はあの子のもの？
拓 わお。
千恵 あの子のものって訳やないけど、友達、かな。
江梨子 ま、友達以上恋人未満。
亜紀 違うわ。なんかやめてくれへん、どんどん話がおかしい方行ってるから。
ナナ お願い。智樹に会いたいの。ダメ？
椿 ダメってことはないと思うよ。でもね、いきなり抱きついたりしない？
ナナ …しない。
椿 ホント。
ナナ ごめんなさい。
千恵 じゃ、ゆっくり聞かせてくれる。あなたがどこの誰で、なぜ智樹を探してるか。話によっちゃ協力してあげ
られるかもしれないし、出来ないかも知れないから。いい？
ナナ ありがとう。私はナナ。この町に一週間だけ居られることになったの。そのチャンスをくれたのが智樹。
私に自由の意味を教えてくれた。会ってお礼が言いたくて。
晴彦 おい、拓？
拓 ん？
晴彦 さっきも同じようなこと行ってた奴、おったやん。
拓 ホンマや。
亜紀 どういうこと？
晴彦 なんかちょっと薄気味悪い男が俺らに突然話しかけてきてな。この公園によく来る男の子に会ってお礼が
したいとか、誰が最近ここによく来てるかとか聞いてきたやん。
拓 あれって、智樹のことやったんかな。
江梨子 何それ。智樹の奴、陰で何してるんや？
ナナ ジカンだ。あいつも智樹のこと、探してるんだ。
亜紀 ジカン？
ナナ 急がないと…。お願い。智樹のところへ連れて行って。
椿 どうする？ 亜紀。
亜紀 うちに聞かれても。
拓 ええやん。ナナちゃん、悪い子やなさそうやし、ジカンって奴も気になるし、な。
江梨子 なんや、ちょっとかわいい子見たらデレデレして。
拓 そんなんちゃうわ。なぁ。
椿 （晴彦をチラ見）
晴彦 もちろん。
拓 案内したるからついといで。
ナナ ありがとう。
亜紀 拓…。
江梨子 待って、うちらも行く。
拓、晴彦、椿、江梨子、ナナは智樹を探して舞台を去る。残された亜紀と千恵。
千恵 亜紀。
亜紀 ん？
千恵 一緒に行かへんの？
亜紀 うちが行っても、…ほら、関係ないし。
千恵 誘うんでしょ。花火。
亜紀 うん。あ、メールしてみるから、大丈夫。
千恵 そう？
亜紀 じゃ、上手いこといったら報告する。だから、一緒に行ってきて。
千恵 分かった。楽しみにしてる。バイバイ。
亜紀 バイバイ。
千恵が去った後、後ろ姿が見えなくなるまで見送った亜紀は意を決して携帯電話を取り出し
操作を始めた。メール？ いや、電話だ。髪をバサッと振り、電話を耳に当てる。聞こえてくる
のはアナウンス。次第に照明が変化し、亜紀へのサスに変化していく。
メッセージ 「こちらはソフトバンクです。現在この電話はお客様のご都合によりおつなぎできません…。」
ゆっくりと電話を切る亜紀。
亜紀 智樹の、ドアホ。そんなに一人になりたいん？
『近づく影』
電話を閉じて考える人になる亜紀。セミの声がうるさい。見ると一匹のヒグラシ♂が
近くの樹に飛んできて木に留まる。亜紀気付く。ふと立ち上がって見に行く。セミが
鳴いてる。
亜紀 お前、何てセミ？ 他のセミみたいにうるさないよね。いい声。ヤドリガも付いてない。もしヤドリガが
引っ付いてきたらここに来るといいよ。友達が取ってくれるから。智樹って言うんだけど…、友達。
思わずセミに手を伸ばす。セミ短く鳴いて逃げていく。おしっこを飛ばして。顔面に
もろおしっこを浴びる亜紀。フリーズする。
亜紀 やっぱりセミなんか嫌いだ！ 絶滅してまえ！
ハンカチでおしっこを拭き取ると、この怒りのテンションで誰かにメール。
亜紀 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえ。江梨子っと。うりゃ！
勢い任せに送信。重い気持ちのまま顔を上げる。初めて気付く雨上がりの空。
三日三晩降り続いた雨は空気中のホコリを全て洗い流し、清んでいた。和歌山…。
亜紀の心に浮かんだ智樹の言葉。今日なら見えるかも知れない。急いで公園の
高台へ。急げ。登り切った坂道を振り返ったとき、亜紀の目には見たことのない
景色が広がっていた。
亜紀 すごい。見えるかも、和歌山。
ナナへのもやもやも、セミへの怒りも、智樹と連絡さえ付かない不安さえも、
一時忘れ去る広がりに、亜紀は心を奪われてしまった。やがてふと口をついて
出てくる歌。初めは鼻歌。次第に大きく、
亜紀 『明日へ』（作詞・作曲 照屋実穂）
遠くで歌が聞こえる
夜空に浮かぶ思い
時の行方に
さまよう心
大切な人と
明日の夢を見られるように
命のかけらを
星よ守ってください
歌の間にこの公園へもう一人の訪問者。スケッチブックを抱えた女が一人現れる。
真由である。歌を聴くでもなくそちらを見るでもなく、ベンチに座って絵を描き始める。
真由 上手ですね。
つづく…
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